映画「破戒」を13月の13日にみた | しあわせの種まき 花音

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昨日 映画「破戒」を観ました。

 

この日はマヤ暦的には 13の宇宙の亀の月の13日目の13の音の

日のトリプル13の日だったようです。

13のキーワードは 「存在 持ちこたえる 越える」です。

 

破戒 って 「破壊」は 外側にあることものを壊す感じだけど、

「破戒」は 父親等の戒めを破るという意味では、内側の思いを

超えるという感じだったのか、、、と

13の意味合いとあいまって、感じてみると深いなあと思いました。

 

 

 

島崎藤村の不朽の名作を60年ぶりに映画化ということで、

楽しみにしていたのでした。

 

舞台は明治時代の長野県の飯山市でした。


主演・丑松役は間宮祥太郎さんでした。

 

まあ間宮さんの美しいこと、美しいこと。

もう存在から醸し出される空気感がほとんど芸術作品のよう。

 

自分の出自を隠すように父親に言われ、それを守り、偽って

教員になったことに苦悩しています。

 

その苦悩というか、差別に対する偏見への苦しさとか、

まあ、苦悩するって 実は俯瞰してみたら美しいことなのね、

って思ってしまいました。

 

自分の思いを偽るわけでなく、

自分の内面の苦悩に向き合うことは

その人の世界を奥深く 優しく 色濃くしてくれるのかも。

観る人の苦悩も明らかにしてくれるのかも。

 

社会にある 部落差別の偏見によって、他者を差別したり、

蔑んだりすることによって、

実は 自分の内側の闇や苦悩から逃げて、

それを見ないようにしているだけで、

臭いものに蓋をしている状態にすぎないから、、

だから偏見や差別を持てば持つほど、

醜くもみえるのも当然かも。

 

でもなあ、自分の苦悩や闇をみるってなかなかヘビーだものね。

私もなかなか出来ないのよね。誰かのせい 

社会のせいにした方が

楽かもと思わされているのかも。

 

それにしても明治時代って 

江戸時代につくられた身分制度の偏見、

差別 がものすごく強くあったんだなあ。

その集合意識の中にいたらそこを越えるって

大変なことだったろうなあと思いました。

 

飯山 上田 高遠 祢津 という地名がでてきて、

島崎藤村が小諸に居た時にいろいろ感じたこと

から生まれた作品ですから、

明治時代の 長野に在った重苦しい空気から

インスパイアされて生まれたということなのですね。

 

私は 祢津の歩き巫女に興味があって 

本を読んだり、話をきいたりしていますが、

まさしく祢津の歩き巫女などは 身分制度の中

においてはおそらく エタ非人 という身分で

あったと思われるので、

特殊な能力があるような職種に関しては、

身分を落されてしまっていたようなんですよね。

芸能関係の仕事もそうですよね。

そのあたりは繊細な部分なので、

だから、歩き巫女についても

なかなか本当の情報がきけないのは 

そういうところなんでしょうと思いました。

だって傷ついちゃっているんだものね。

扉が閉じちゃっているんだと思いました。

 

歩き巫女さんなどなど傷ついてきた出自や家系

に関しては 自分事として光をいっぱい送って

癒していこうと思いました。

 

信念や思想や親からの戒めなどを越えるとは何なのか

宇宙の月の 今 いろいろ考えてみたいと思います。

 

今日もありがとうございます。