この前多福寺へ行った時から 急に 西行について興味がでてきた私です。
西行は信州に3年ほど滞在していたという。その滞在場所が前回ブログに書いた
布引山 釈尊寺だという。通称 布引観音である。
この場所は 補陀落浄土をあらわしていて、つまり観音様が崖の上に住まわれるという聖地の土地形状をなしていたのであった。
ほんと 山の崖のすごいところに観音堂があるのよ。
そこで西行が詠んだという歌
みとせへて おりおりさらす 布引の 今日たちそめて いつかきてみん
西行にとってこの布引観音と 別所の北向観音は信州での格別の聖地だったという。
別所の西行の戻り橋の話
http://beccan.blog56.fc2.com/blog-entry-2576.html
信州にはそのほかにもいろいろな西行伝承が残っているようなのだが、滋野一族の海野家は
この西行を郷土の誉れと感じて 伝承していったようなのだ。なのでそれは真田家にも受け継がれていき、真田家が治めていた松代にも伝承していくこととなったようだ。
ところで 信州の歌枕についてですが、
(歌枕とは和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡をいう)
浅間山・有明山・伊那・姨捨山・風越の峰・桔梗ケ原
木曾・桐原・更科・菅の荒野・諏訪・園原・千曲川
七久里の湯・寝覚の床・富士見・御坂・望月の牧 があるそうなのですが、
歌枕は、荒ぶる魂を鎮める必要がある場所におかれることが多いのだそうです。
和歌には 魂を鎮め、怨霊になるのを防ぐ効果があったからだそうなんです。
確かに上記場所は 浅間山だと 火山が噴火して災害が多くあったし、
望月の牧だと、沢山の駿馬を飼育した全国的にも有名な牧であったのですが、そのため
武田氏などの侵略を受けて 望月氏は滅びてしまったわけで、、、(時系列は前後しておりますが、つまり未来を予見していたともいえる)
思うに 鎮魂が必要な場所であるともいえる。そういう場所を和歌をよむことによって
その場所に光をあてるというのでしょうか。
それが鎮めるということにつながっていくんだろうなというのは理解できるわけです。
西行が望月で詠んだという歌
望月のみ牧の駒は寒からじ布引く山を北と思へば
望月と布引のつながりを感じますね。
望月の牧と布引釈尊寺のパトロンは滋野一族ですからね。
西行は信州の中でも ポイントになる場所は全部おさえている印象があるので
(善光寺、戸隠に有明山など )とても興味深いです。

