結局は真面目ですよ。



結局は、尖ったこともしたくないし。



私は、のんびり気ままに生きてたい。



なぜ、これまで、何者かにならないといけないと思ってきたかというと




たぶん



周りから、変わっていると言われるのがしんどかったから。



変わり者である理由が欲しかった。




自分的には普通のことも、



大勢から『えっ?』ってリアクションされると




あれ、間違ってるのかな


何かやらかしちゃってるかな



ってすぐ不安になってた。





自分が良いと思ったら、良いのに


やっぱり人間は賢いから、


他の人がどう思ってるか、瞬時に嗅ぎ分けられる。


だから、


他の人と比べるし


世間体とか、常識的に、とか


一般論みたいなものが生まれる。






でも、


今の時代だから、そんな考え方があり得るわけで





隣人も見えないくらい広大な敷地で


自分の感覚を信じて自給自足して





みたいな生き方だったら、



別に集団の中で自分がどうあるべきかなんて考えないわけだ。









でも、少なからず私たちは


集団の中で生きている。



共存し、集団、共同体の中での、"個"なわけだ。




だから、全く周りを気にしないというのも問題だ。


人がいて、自分がいて。


自分がいて、人がいて。


その中でお互い助け合い、共有し合い、


そうでなければ生きていけない生き物だ。



だから、他人を意識することは大事なのだけど



意識しすぎる必要は全くない。


それぞれ違う人間であることは間違いない。


違って当たり前。


みんなで全て一緒だと、何も生まれない。





 


ぶつかること、


否定される事、


乱れる事、



ネガティブに感じることを、避ける必要がない。



これが、人間としての活動なのだから。



でも、昨今は



一つ間違えると、ものすごい叩かれる。


間違いが許されなくなってる。


子供のうちから、間違えないように、教わる。


連帯責任もあるから、


人に迷惑をかけちゃいけない。



間違えると、罰を与えられる。


間違えると、晒される。





だから、同調しといた方が生きやすい。


目立たず、意見を持たず。


大きなリスクを負ってまで、主張したいことなんてない。







どんどん、そんな風になってしまうなと。





今の社会って、人間のキャパ超えてるよね。


だから、みんなが疲れてるし、蝕まれてるなって。



物に溢れ、情報に溢れ、キリがない。


次から次に新しいものが出てきて、


着いていかなくちゃいけない。



そのスピード感たるや、リニアだ。




だから、



この社会に適合できず、AI化になじめず、


なんか違和感を感じる…


って人って



実はまともで、真面目すぎるんじゃないかと思ってる。


それが普通じゃないか?


大変すぎるもん、この世の中w



それでいて、住んでるのは地球に変わりないわけだから


環境的、自然的な影響も当たり前に受けるわけだ。




もっと根本を思い出して、


もっとシンプルに暮らせないものだろうか。




Netflixもインスタもタッチ決済も


便利でしかなく、ありがたすぎるのだが



同時に、



別になくても、死なないのにね?


とも思う。





そして本当に大事なものが地球から失われてく。












いつも考え事すると

ゴールが地球になるんだけど、

別に怪しい者ではないです。


でもさらに、宇宙があるわけですよ。

そうなってくるともう訳わからないので、

地球で収めときます。

怪しい者ではないんです。







国によって、地域によって、ルールも常識も味付けも、全然違う。



だから正解はない。


今いる世界が合わないのなら、


自分の身体に馴染む場所を見つければいいだけの話だ。



現代の良いところは、


簡単にあちこち移動できることだ。



コロナも落ち着き、本当にいろんなことができる幸せを改めて感じる。




そうやって人は、たまには今現在自分が置かれている環境のありがたみに気づく必要があるな。




でも合わないなら、

どんどん環境変えればいいよな。


近代化の進んでいない場所だって実際、存在するわけだし。







私にはまだよくわかりません。

自分に合う環境ってなんだろう?





色々旅すると、それぞれの良さが分かって


それと同時に、


今の自分の環境の素晴らしさに気付かされたりもする。


なんだかんだで、家に帰りたいって思ったりする。





家というのは、


物質的なものなのか


家族という存在なのか


両方なのか。





こういう話をすると、

旦那はぼーっとしてしまいます。



でも私はこういう考えを巡らせてるのが好き。


一人っ子だからでしょうか。




答えのないものだけど。


きっと明日も考えるんだろう。