渋沢栄一は、明治初期の貧しい人々を収容する施設の開設から、最初は国立、以後東京市立の「養育院」の運営に関わり、死去するまで52年もの間、院長を勤めていました。

 

 数百もの会社設立に関わるなど「超多忙」な中でも、毎月13日にはお菓子などのお土産をいっぱい持って、自ら養育院を訪問していたことを、この展示で初めて知りました。

 

 児童たちがその時のことを作文に書いた抜粋がパネルになっていましたが、みんな「院長さん」が来るのを心待ちにして「私を父、祖父、曾祖父と思って」という言葉が、暖かく響いていたようでした。

 

 また晩年は、王子の飛鳥山の自宅に養育院の子どもたちを招くこともありました。

 展示の中で、逝去の2ヶ月前に写真師を招いで撮った「最後の写真」がありました。

 「笑って」と言われ「笑えないなあ」といいながらも微笑んだ、90歳の渋沢栄一のやさしい笑顔には、胸がいっぱいになりました。

 

 この日は「渋沢さんのプチ園遊会」が開催されていて、子ども向けの縁日や茶話会、紫陽花が美しい飛鳥山のガイドツアー、キッチンカーもあって、楽しげな雰囲気でした。

 

 栄一の母が言っていた「みんながうれしいのが一番なんだで」と言う言葉、いろいろなことに当てはまると思いました。