☆2025年11月29日(土)テアトロ・ジーリオ・ショウワ

 

 今回は素敵なご縁で、足を運びました。

 配役は、クララ(阿部裕恵)・王子(林田翔平)・ドロッセルマイヤー(鴻巣明史)ほか。 

 今まで幾つか見てきた「くるみ」は、少女クララと、雪の女王・金平糖を踊るバレリーナは別、というバージョンでしたが、今回は阿部さんが全部踊りました。

 

 雪のシーンは特に“女王様感”の方は居なかったような印象でしたが、最後のパドドウ~金平糖はとても素敵。

 挨拶までの僅かな時間にクララの衣装に早替えで登場しました。

 

 冒頭はパーティーではなく街のクリスマスマーケット、雪の国からは「羽のある馬車」で去って行くのも新鮮でした。

 

 牧阿佐美バレエ団に居た頃から知っていた阿部裕恵さん、チケットを買ったときは配役が決まっていなかったので、見られて幸せでした。

 

★観たのは少し前でしたが、忘れないように記しておきます。

 

☆2025年12月13日(土)ソワレ イタリア文化会館

 

 福井晶一さんがナレーション等の役で出演するリーディングオペラ。本を読むような感じでの台詞に、歌(合唱)もありますが、椅子に座っての発声が主です。

 ピアノ、フルート、ヴァイオリンの演奏も付きます。

 

 キャストは上口耕平・柏木ひなた・中田凌多・敷村珠夕・福井晶一。

 パリのカルチェラタン、屋根裏部屋で共同生活をしている詩人のロドルフォ(上口)、画家のマルチェッロ(中田)たちのところへ階下のミミ(柏木)がローソクの火を貰いに来る。 ほか、登場するのはマルチェッロの元恋人ムゼッタ(敷村)、哲学者・音楽家・パトロンの3役とナレーション(福井)。

 

 クリスマスイブの夜に出会ったロドルフォとミミは恋に落ち、マルチェッロとムゼッタはよりを戻し…しかし寒さに震える屋根裏部屋でミミは病に冒されてしまう。

 ロドルフォは貧しさ故にミミを幸せに出来ないとわざと冷たく当たり、それを知ってしまったミミは姿を消す(身を引く)…悲しくもあり、じれったくもあり、です。

 

 キャストはみなさん歌がとても巧くて、オペラ歌唱ではなく、ミュージカルナンバーのようですが聞き惚れました。

 このホールのピアノは最近躍進めざましいファツィオリ。生の管弦楽の響きも美しく、至福の時間を過ごしました。

 

 何役もこなした福井さん、さすがの存在感でした。

 

☆2025年12月12日(金)マチネ 紀伊國屋サザンシアター

 

 「頭痛肩こり樋口一葉」など、井上作品の評伝なので、見てみたくて行ってきました。

 

 キャストは石川一=啄木(西川大貴)・石川節子(北川理恵)・石川一偵=啄木の父(山西惇)・石川カツ=啄木の母(那須佐代子)・石川光子=啄木の姉(深沢)樹)・金田一京助(眞島秀和)。

 

 節子が亡き啄木の日記を読み始めるところから劇は始まり、啄木の晩年2年間の出来事が再現されていきます。

 

 仕事が長続きしない啄木、両親は別居し、母(姑)は同居、嫁は姑から小言を言われ続けて時々爆発、優しい友人金田一が何くれとなく援助をしてくれてるが、彼もそれ程の余裕はない…。

 借りている本郷の床屋の2階の狭い1部屋で繰り広げられる、ちょっと息が詰まるようなやりとりがつらい。でもそれが現実。

 

 啄木亡き後、節子は修道会の援助で生活には困らない状況になっています。

 

 しかし。現実としては啄木の前に母カツ、節子も子ども達もこのあと全員が結核に罹患していて早世していることを知っていたため、つらすぎるなあ、と思いながらの帰途でした。 

 良い友人として登場している金田一君がその後大成したのが唯一の救い、でした。 

 

 

 

 「楽天」=プロ野球チームではなく、漫画家「北沢楽天」のことです。

 さいたま市に生まれ育ち、この地に居を構えた北沢楽天。

 漫画家ですが、風刺画を多く残していて、現在の「漫画家」さんとはかなり趣が違います。

 

 今回はこの楽天がコレクションしていたゆかりの作家さんの作品や、海外のポスターなどが展示されています。

 楽天が編集に携わった「東京パック」には、後の大作家さん達がたくさん参加していました。こんな絵を描いていたのね!と楽しめます。

 

 また、小林清親、川端龍子、山口蓬春などゆかりの作家、岡本一平、石井柏亭などの作品もありました。

 

 1910年代のドイツのポスターは、後の日本の戦時中の宣伝ポスターの元になっていたのでは、と思われるデザインも垣間見えました。

 

 会期は11月30日まででした。

 濱梨花枝さん。

 このきれいなお名前は、一時期よく活字で拝見していました。「文芸埼玉」選者など。地元久喜に県立図書館を誘致、行田の古墳には歌碑がある、埼玉を代表する歌人です。

 

 本名榎本美佐夫(1912~1998)、生まれは行田。忍高女出身で、19才で久喜の名門に嫁ぐ。

 歌への想いが捨てきれず、1939年、思い切って上京し与謝野晶子に入門するも、おりしもその翌日、晶子は脳溢血で倒れ、実際に指導は受けることは出来ませんでした。

 

 その後も歌を作り続けましたが、名家の嫁としても多忙で、歌に専念することは出来ない…周囲のすすめで1960年に歌集「風紋」を刊行して評価を得ますが、中央歌壇で活動することは叶いませんでした。

 夫が後の初代久喜市長と言うこともあって、多忙だったためです。

 

 生まれも名家でしたが、婚家も名家故、戦後の「農地改革」で彼女も何か仕事をしなければと「狭山茶を仕入れて販売」した際、何かと手引きをしてくれたのが近所に住んでいた中島敦※の夫人だったというのも、興味深いエピソードです。

 

 ふるさと行田に想いを込めた「東方より ひかりはさすと玉の柩 あらはれて輝く ひとふりの剣」の歌の歌碑が、さきたま古墳の公園に建立されました。

 

 自筆の原稿を観ると、とても柔らかな美しい文字で、彼女の人となりがそのままあらわれている、と感じました。

(冒頭の写真にある色紙)

 

※中島敦(1909~1942)代表作「山月記」