今日は亡き父の誕生日。1928年生まれだから、生きていたら97歳ですが、亡くなって四半世紀近くが経ちました。

 

 兄には厳しく妹の私に甘く…とはいえ、時にはサザエさんの波平さんのようにカミナリも落ちましたが。

 

 母は健在。現在の母の部屋には父の写真が飾られていますが、この可愛い頃ではなく、結婚式の控室で撮ったという、窓辺で目を伏せている、ちょっと小津安二郎の映画みたいなものです。

 

 その写真のお父さんは、なかなかイケメンでしたが、晩年は時代劇の悪役が似合う感じ、でした。(俳優の江見俊太郎さんに似ている言われたことがあります)

 

 風邪をひいて、誤嚥性肺炎であっという間に逝去してしまった父、せめてこうして時々思い出して感謝の気持ちを天に伝えれば、少しは供養になるかな、と、今日はこの写真を又使いました。

 多分94年くらい前の写真…かわいい坊やです。

 (当時は横浜在住でした)

 勝田蕉琴(かつたしょうきん)。初めて耳にした名前です。

 このエキゾチックなチラシを見つけ、行ってみることにしました。

 

 1879生~1963没。福島県に生まれ、父が使えた松平周防守が棚倉藩から川越藩に転封となったことから、川越の橋本雅邦に師事し、東京美術学校に入学.

 成績優秀だったことで卒業後インドに渡り、現地の学校で日本画を教えました。

 インドの詩人タゴール家でも教え、当時の写真が残っていました。

 

 帰国後はインドを題材にした作品も描きましたが、後年は花鳥画を中心に制作をしていました。

 美しい色遣い、端正な描写、清々しい印象の作品たちは、画壇の重鎮となった彼の人柄を現しているかのようでした。(勝手な解釈ですが)

 

 どの絵もみんな綺麗で、自分の家に飾りたくなる、案外そんな展覧会は少ないものです。 

 思い切って観に来て良かった…小江戸川越、なかなか奥が深いです。

 会期は12月7日まで。

 

 おひなさまの季節ではないのですが、綺麗に晴れた秋の日、岩槻に行ってきました。

 大好きな「人形博物館」、今回の企画展は、岩槻の歴史と連動した展示です。

 

 岩槻は江戸時代、日光御成街道の宿場町。大岡越前=忠相の親族、大岡忠光が暮らし、お墓も岩槻にあります。

 人形作りが盛んになったのは関東大震災の後、東京から職人さん達が移住してきたこともあります。

 

 人形関係の組合も戦前から存在し、立派な旗もありました。戦後の経済成長~ベビーブームにひな人形の需要が飛躍的に伸びて、幾ら作っても追いつかなかったのが、第二次ベビーブーム=1970~73頃だったと言うことです。

 

 人形と言えば岩槻、というイメージは1970年と今年の万博に、共に日本人形を出品しているということでも判るようです。

 

 少子化、販売方法の多様化もありますが、人形作家さん達も多彩な人形を展開し、みんなかわいくて美しく、世界中の人が買いに来てくれたらいいな、と思いました。

 実際、美術館の中にも外国の方が散見され、前回来たときには余り見かけなかった英語の解説もかなり増えていました。

 

 そしてその後、隣接する「ヨロ研カフェ」へ。美味しく頂いてきました。

 

 年パスが有るので気軽に訪れている遠山記念館。重要文化財の邸宅は何度観てもいい…。

 先日、近江商人の邸宅巡りもしてきましたが、幾つも見て回るほど、ここの凄さがわかります。

 

 さて、付設の「遠山美術館」の今回の展示はメインの「楊文驄(ようぶんしょう)」作画「江山孤亭図」と江戸時代の文人たち。

 

 楊文驄(1597~1645)のこの作品は、絵画の腕とその“生き方”に心酔した人々の手に渡り、幾つかの所有者を経て、遠山元一氏のコレクションに加わりました。箱書きは頼山陽の筆。

 楊文驄の作品が国内から集結、他に頼山陽、岡田半江等の作品もありました。

 

 コレクターさん達は作品が“誰の手を経てきた”か、と言うことにもかなり拘るようで、以前茶器で信長~秀吉~家康の手を経て要るものを(高価で)落札したという逸話を静嘉堂文庫美術館で観たことがあります。

 そんな気持ちのこもった小さな陶器…じっと見ていると「気」が籠っているようにも見えてきました。

 

 これらの絵画も、なんとなく観ないで、描いた人、それを所有した人の手を経ていると考えると、感慨が深まる気がしました。

 

 銘木がこれでもか、と使われている邸宅↑で寛ぎながら、昔のことに想いを馳せた素敵な秋の午後でした。

 

 ずっと気になっていた「日本民藝館」初めて訪れました。

 10時の開園時間に合わせていったつもりが、道すがら電話を受けてしまい、約10分後、受付は長蛇の列。ほぼ外国の方々です。

 

 中は撮影禁止。見上げるとどっしりとした梁などが見え、飛騨の日下部民芸館を思い出します。

 展示物は民芸の陶器、民具など。企画展の棟方志功の作品↑も企画展示室以外にもあちこちにあって。

 

 何気ない日用品だったものが、こうして美術品として展示されている=用の美、でしょうか。人の手で作られた暖かさがいいですね。

 

 棟方志功を支援し、作品を世に出す(戦前)。評価されたのは戦後でしたが、だからこそ世相がまだ沈んでいた頃の“世界的な受賞”は、大きな話題となり、人々にも記憶されているのでしょう。

 

 そんな事を考えつつ、お向かいの「柳宗悦邸」↑も見学し、まだ大盛況の入り口付近を観ながら帰ってきました。

 世界中に民藝愛好家が広がっている、と思うとなんだか嬉しい気がしました。