ここはソワチーヌの館。マダムちさりーなが趣味でやっているお茶のセレクトショップです。



日差しもずいぶん強く明るくなり、春のお茶がたくさん入荷したある日、まるで木枯らしに吹かれているようなお顔のお客さまがお茶を選んでいらっしゃいました。


"気になるものがありましたら試飲もできますよ"


マダムちさりーなが声をかけるとお客さまは


"なにか香りがいいけど香りの強くないお茶あるかしら"

とお尋ねになりました。


“近々入院するのでお茶を持って行きたいんですけど、あまり香りが強いと同室の方に迷惑になりそうで、、、"



"それならハーブティーはいかがですか?ミントティーはスッキリしますし、こちらのフルーツティーならそんなに香りが強く広がることもありませんよ。

そしてもし香り高いものがお好きなら、病室の外にロビーか談話室のようなところがあるでしょう?そちらでお飲みになれば大丈夫じゃないかしら。ティーバッグ1つからお売りしてますから、少しでも気分良く過ごせるように、お好きな感じのもの選んでみてくださいね"


マダムちさりーなは白桃烏龍や入荷したばかりの桜のお茶、ミントティー、カモミールティー、ラベンダーティー、あまり香りの強くないブレンドティーなどいくつかおすすめを取り出し、テーブルに並べました。


"わたしもね、5年ほど前乳がんの手術をして入院しましたけど、お茶をたくさん持って行って、その時はまだお見舞いが自由にできた時だったのできてくれた方に振る舞って、ティールームに来たみたい、なんて言われたんですよ"


とマダムは言いました。

するとお客さまは涙をこぼして


"わたしも乳がんなんです。思いがけないことですごくショックで、、、

でもなんとか気持ちを引き立てようと必要なものを買いに出てきたんですけど、何を見ても不安に押しつぶされそうでつらくて、、、

お買い物をしていると、周りの人がみんな気楽で楽しそうに見えて、わたしだけが世界から疎外されてるみたいに思えて、、、"


と声を震わせながらおっしゃいました。

マダムはお客さまの背中にそっと手を添えて、試飲の席にご案内しました。

ティッシュと屑籠を置いて、お茶の準備をはじめます。


ポットとカップを温めて。

砂時計を用意して。


"お客さま、それはずいぶんお辛かったですね。今、休憩の札をかけて参りますから、お気持ちが落ち着かれるまでゆっくりしていってくださいね"


時間を計ってゆっくりと。

注がれたお茶からは柔らかな春の香りが立ちのぼりました。


"わたしも病気が発覚した時は、とても傷ついたような気持ちになったり、わたしのどこが悪くてと自分を責めたり、怖がったり、ずいぶん辛い思いをしました。


だけどね、今ではこの病を得たことは自分にとって大きなギフトだったと思うんです。

たくさんの優しさに触れましたし、自分の内面を深く見つめて、たくさんの不要な鎧を剥がして正直な本来の自分に戻れたような気がします"


マダムは続けます。


"もちろん、無理にギフトだなんて思うことはないですよ。辛い時は辛いで、悔しい時は悔しいでいいんです。

でも、わたしはこう思うんです。誰のせいでもなくなぜか大きな病気になってしまった。それはその人が、その病気を通してなにか大きな気づきを得るような強さと深さを持っていた、ということなんじゃないかなってね。


悲しみも苦しみも怖さも、温かみもうれしさも、どれも前向きに捉えたりせずそのまま味わって。

このお茶を淹れる時のように一瞬一瞬丁寧に受け止めていけば、きっとそのさまざまな感情の底にある美しさに気がつく時が来ると思うんです。


今はまだ癌になってしまったという事実を受け止めるだけで必死で、それもうまくできない状態かもしれません。

治療中に辛いこともいくつもあると思います。

でもその都度、その気持ちを自分を責めることなくそのまま感じていけば、少なくとも昨日より深く正直な自分になれているんです。

そんな風に一瞬一瞬を大切に積み重ねていけたら、きっと気がついた時には大きな宝物を得ていたと思える時がくるのではないかしら。

そんな日がお客さまにも来ることを心より願っています"



"とても、、、とてもそんな風に思えそうにありません。思えたらいいとは思うけど、、、"


お客さまはまだ止まらない涙をティッシュで押さえながらおっしゃいました。


"無理に思わなくていいんですよ。悲しいのも不安なのも当然ですもの。本当に悲しいことですよね。悲しい、悲しいです"


お客さまは声をあげてお泣きになり、マダムちさりーなも涙を流しながらお客さまの背中をやさしくさすりました。



しばらくして、少しだけすっきりしました、とお客さまがおっしゃいました。


"わたし、励まされるのに疲れていたのかもしれません。一緒に悲しんでくれてありがとうございます"


2週間分のお茶を買って、お客さまはお帰りになりました。


お客さまを見送ったあと、大きなため息をひとつついて、マダムが歩んできた病を得てからの人生に思いを馳せました。


"さあ、休憩は終わり。暗くなるまでもうひとがんばりしましょう"


そして春のしつらえの店内を見渡しながら、


"どうか手術がうまく行きますように。治療が順調でありますように"


と願うのでした。




ほとんどお休みのソワチーヌの館、気が向いたらまた不意に営業するかもしれません。

それでは、またいつか。