こんにちは。



もともと体調は良くないんだけど、このごろ強く疲労を感じてさらに不調です。



初夏を喜びすぎて、おでかけ(スーパーや散歩含む)が多かったせいもあると思うけど、一番の要因は車の運転の練習のプレッシャーがすごいからかなと思います。



わたし、右と左もしょっちゅうまちがえちゃうし、とにかくブレーキとアクセルの踏み間違いが怖くて、誰かを傷つけてしまうのが怖くて怖くて、ガッチガチで震えながら練習してるんです。



練習し終わった後でも

大丈夫だったけどカーブの連続が怖かったとか

大丈夫だったけど自転車を追い越すのが怖かったとか

恐怖のイメージが頭に残って常に胸がドキドキしていて。

だから実際に失敗して他の車に迷惑をかけてしまってクラクションを鳴らして怒られた時なんか大ドキドキ+大しょんぼりぼけー

失敗のイメージで頭がいっぱいになっちゃうんです。



そんなに怖いのなら無理して運転できなくてもいいんじゃない?という考え方もありますよね。

しなくちゃならないことなんて何もなくて、そんなに嫌々がんばる必要は何事にもないんじゃないかって。



でもきっと、後悔するだろうなと思うんです。

父が運転できなくなった時、もしくは60歳くらいになった時、あの時やりかけたんだからがんばっていれば今頃できるようになってただろうにって思うと思うんです。

そして年齢が上がってから練習するのは今よりもっと困難ではないですか。



わたしはね、自分に聞いてみるんですよ。

ほんとうに望んでいることはなに?と。

できないことはひとつもなくて、誰もが自分に賛成してくれて、なんでも可能だとしたらどうしたい?

↑この質問の仕方はハッピーちゃんの配信で知ったんだけど、自分の本音を知るのにとても有効で、この質問から導き出された答えに沿って行動するとすっきりします。




たとえば、もう練習はやめて全部タクシーを使えたとしたら?

下矢印

いちいち呼ぶのがめんどくさいし、運転手さんとのやりとりもめんどくさいからわたしの最高じゃない。




たとえば自分専用の車と運転手がいて、いつでもどこでも行きたい場所に連れて行ってくれたとしたら?

下矢印

いちいち他人に頼むのが煩わしくて自由を感じないのでわたしの最高じゃない。




たとえば親ほど高齢じゃない家族がいつでもどこでも連れて行ってくれたら?

下矢印

それはかなりいい感じ。

(でもそんな家族はわたしにはいない)




たとえば安全装置とバックモニターと高性能のカーナビとドラレコ付きの車で、自分が上手に運転できたら?

下矢印

それはとてもいい感じ。




わたしはいつも迷ってしまうんですけど、なにかとてもめんどくさくて嫌だなあと思うことがある時に、「やりたくない」が本音なのか、恐怖やなんかに支配されて「やりたくない」が前面に出てきているだけで「本当は乗り越えてやりたい」のかわかんなくなってしまうんですよ。




いとこの子どもがね(もう大人。二児の母)、車の練習をしている様子をしょっちゅうインスタにアップしているのですが、すっごい頑張りようで、これは今年中に普通に運転できる人になるんだろうなという感じ。



わたしはそんなに若くないし、なにしろほんの少しのことで体が疲れて苦しくてそんなにがんばれないし!と思うんだけど、考えてみたら病気になる前だって何事にも頑張りきれない傾向があったなあと思い当たったりして。




今から考えれば、あの時もっとできた、もっとこういう風にがんばれば良かったんだ、ということはたくさんあるんだけど、とにかくわたしはなにかをする時に気が重くて気が重くて、「やりたくない」の方を採用しがちなんですよ。

たまにこれはがんばろう!と一所懸命やっていたら体が壊れたり。



がんばれないってことはそんなにがんばらなくてもいい人生の流れなのかなと思ったりもするけれど、ひとつの法則が全部に当てはまることはないので、その都度バランスを見ながらひとつひとつ本音を見て行動していきたい…。




長い上にまとまりがない文章だけど、ここまで読んでくれた方がいたらありがとうございました。

今日のお天気のようにもやもやしたわたしの心、毎日絶賛していた初夏のようにすっきり晴らしたいな〜。




それでは〜バイバイ