【問題】
大正時代にアメリカからバスケットが日本に入ってきて以降、バスケットボール用のシューズは
俊敏な動きが要求されるため製造が最も困難だと言われおり、地下足袋が主流だったのですが、
1951年世界で初めてアシックスがバスケットシューズを発売したのです。
ソールにはある食べ物がヒントとなり滑り止めのアイデアが誕生したのですが、
では、きっかけになったある食べ物とは何だったでしょう?
【答え】
タコの吸盤
【解説】
アシックスの前身である鬼塚株式会社の最初の競技用スポーツシューズは
「バスケットボールシューズ」からスタートしました。
当時のスポーツシューズ製造において、最も難しいと言われていた
バスケットボールシューズを手掛けたのは「最初に高いハードルを超えられれば、
その後のハードルもどんどん超えられる」という鬼塚喜八郎の考えからでした。
創業者の鬼塚喜八郎氏は、県立神戸高校のバスケットボール部に通って
選手の足の動きを徹底的に観察し、滑り止めにポイントを置きます。
その後、鬼塚氏は夕食に並んだ酢の物の中にあったタコの足をヒントに
吸着盤型の靴底を思いつき、バスケットボールのプレイに必要な急発進と急停止が可能なシューズを完成。
「タイガー印バスケットボールシューズ」を発売したのでした。
ちなみに、バスケットボールの本場アメリカは??と思う所ですが、
実はこの鬼塚株式会社がナイキ社の発展と大きく関わっています。
創業者の一人であったフィル・ナイト氏は、日本旅行の時に鬼塚社製のシューズと出合い
1972年鬼塚社製のスポーツシューズの輸入販売業からナイキ社をスタートさせたのでした。
ちなみに、アメリカで最初のバッシュはコンバースで1917年でしたが、
まだソールはゴムのみでつるつる滑っていたのです。
コンバースは冬に雨や雪の中で作業するときのゴム靴を作っていた会社で、
船の帆に使われる丈夫な布の「キャンバス素材」を使ったものだったため
「キャンバスオールスター」と名が付きました。