【問題】
 
元々は、子どもの不良防止のために作られたゲートボールが
いまや高齢者のスポーツに。
対して、こちらのタバスコも元々外国では使用目的が違いました。
 
タバスコが日本にやってきたのは、終戦直後のことです。アメリカの進駐軍が日本に持ち込み、
アントニオ猪木が経営するアントントレーディング社がタバスコの代理店契約を結びました。
 
田中ケロ@リングアナ on Twitter: "懐かしきタバスコCM。 猪木会長とタイガーマスク編と、 猪木会長と田中ケロ編がありました。… "
アントニオ猪木さんと初代タイガーマスクの佐山聡さんのCM効果で、タバスコの人気は急上昇。
ピザにタバスコをかけるのは日本独自の習慣になったのですが、
このタバスコ。アメリカ発祥で元々、ある食べ物のお供として作られたのですが、
そのあるものとは何だったのでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
 
アントニオ猪木がタバスコを日本に持ち込んだ?名言の道も凄い!
 
 
 
【答え】
生牡蠣
 
【解説】
 
『TABASCO』とはネイティブメキシカンの起源の言葉で
「湿った土の場所」、「珊瑚 または牡蠣殻の場所 」を意味するそうです。
 
多少味の落ちた牡蠣でも、美味しく食べるために、
みんながいろいろなソースを試行錯誤していたのだという。
 
タバスコのオリジナルである赤くてスパイシーなソースは、
マキルヘニー社の創業者エドムンド・マキルヘニーさんによって
1860年代後半に開発されました。
 
その当時、アメリカ南部ルイジアナ地域の食生活は、単調なものばかりでした。
そこで、エドムンドさんは単調な食事に刺激を与えるため、ペッパーソースの開発に着手します。
唐辛子を砕いてアヴェリー島の塩と混ぜ、瓶や樽の中で30日間熟成。
そこに、フランスの白ワイン酢とブレンドし、さらに30日間熟成させました。
これが、タバスコの始まりです。
 
ルイジアナでは生牡蠣が大人気で、数々のオイスターバーが立ち並んでいました。
そこにタバスコが参入。生牡蠣に添えられたタバスコの広告ポスターで宣伝され、
牡蠣とタバスコの組み合わせが定着したというわけです。