今回も前回に続き、北海道で駅名の変更が行われた事例を路線別に列挙してみたいと思います。

資料的な記事になりますが、よろしければお付き合い下さい。

また、今回もデータ類はJTB刊「停車場変遷大辞典」を元にしておりますが、当方の見落としなどで誤りが万一ありましたら、ご指摘頂けると有り難いです。


文中、(仮)は仮乗降場、(仮停)は仮停車場、(留)は停留場(私鉄時代)、(信)は信号場を表し、特にこうした標記のないものは正式な駅(停車場)を意味するものとします。



●日高本線

1.厚真(あづま)→浜厚真(はまあづま)→浜厚真(はまあつま)

改称年月日:大正14(1925)年11月15日、昭和2(1927)年8月1日

駅名の由来:アイヌ語の「アッ・オマ・ㇷ゚」(at-oma-p:オヒョウニレのある処)から。海岸沿いに位置するため「浜」を付け、昭和2年国有化の際に読みを変更した。


2.佐瑠太(さるふと)→富川(とみかわ)

改称年月日:昭和19(1944)年4月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「サㇽ・プト゚」(sar-putu:沙流川の川口)から。沙流川の「サㇽ」は「ヨシ原」の意。

新駅名の由来:地区名から。沙流川流域に発達した地域であることから富む川ということで命名、昭和11年に成立した門別村(当時)の行政字名である。旧大字佐瑠太村、大字平賀(びらが)村、大字富仁家(とにか)村の各一部から成立しているので、駅名の改称は行政大字から字への再編に伴う地名の変更によるものとも言える。


3.門別(もんべつ)→日高門別(ひだかもんべつ)

改称年月日:大正14(1925)年2月10日

旧駅名の由来:アイヌ語の「モ・ペッ」(mo-pet)から。moには「静かな」という意味もあるが、ここではmoは「子」を表し、大小ある内の小さい方の川のことを示す。(poやponと同義。)

新駅名の由来:旧駅名に同じ。国有化は昭和2年であるため、私鉄時代に改称していることになる。

道内各地に同音の地名が多数あるため、旧国名を付けて区別を図ったものと思われるが、この変更が国有化のタイミングではないのが珍しい。


4.波恵(はえ)→豊郷(とよさと)

改称年月日:昭和19(1944)年4月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ハィ」(hay:イラクサ)から。この辺り一帯に住まうアイヌをハユンクㇽ(hay-un-kur:波恵に住まう人)と呼び、シュムンクル(西の人;新冠川から西の住人で、サルンクㇽとも)の一族で、その酋長オニビシとメナシュンクル(東の人;静内川より東の住人)のカモクタインやシャクシャインとの戦いが、有名なシャクシャインの戦いである。

新駅名の由来:上記のように歴史ある地名であったが、昭和11年に行政字名として豊郷に変更された。豊かな郷にしたいという住民の願いから命名。昭和19年の駅名一斉変更で波恵駅も行政地名に合わせて改称。


5.慶能舞(けのまい)→清畠(きよはた)

改称年月日:昭和19(1944)年4月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ケン・オマ・イ」(ken-oma-i:ヒルガオの根のある処」から。

新駅名の由来:富川、豊郷と同様、門別村(当時)の昭和11年の大字廃止と字の起立による改称。清らかな慶能舞川に沿って田畑が続くことから命名。駅名も昭和19年の門別村内の一斉変更で当駅も行政字名に合わせる形となった。


6.高江(たかえ)→新冠(にいかっぷ)

改称年月日:昭和23(1948)年8月1日

旧駅名の由来:諸説あるが、江戸期には「タカヱサラ」の地名が見え、アイヌ語由来の地名であることは確実である。永田地名解ではタプコプサラ(孤山の茅の意)が転訛したタカヱサラに由来する、すなわち「タㇷ゚コㇷ゚・サㇽ」(tapkop-sar:たんこぶ山のヨシ原)の転訛としている。北海道駅名の起源昭和17年版では永田説とともに、参考として別説であるアイヌ語の「タカイサラ」説を挙げている。曰く「駅附近にある丘陵の形が、アイヌの儀式に使う台付盃『タカイサラ』に似ているので此の称があるという。」(漢字、仮名は現代表記に改めた。)北海道の駅878ものがたりは後者の説を採っているが和語由来であるように説明している。なお、アイヌ語の「タカイサラ」という語は実在しており、知里真志保氏「地名アイヌ語小辞典」によればtakaysaraで「天目台」という意味とのこと。これは和語からアイヌ語になった(アイヌ語にとっての)外来語だそうである。

新駅名の由来:元々アイヌ語で「ピ・ポㇰ」(岩崖の下)と言っていた地名だが、呼びにくいとのことで文化6(1809)年に、この地のアイヌが二カㇷ゚(オヒョウニレの樹皮)の衣を服し、その色が他地のアットシと色を異にし特徴的だとのことでニイカップと名付けた、いわば和製アイヌ語地名。二カㇷ゚はni-kap:木の皮。改称時点では新冠村大字高江村であった(大正12(1923)年〜)が、大字名から村名に駅名を変更した形になる。旧駅名の高江も、大字が廃止された昭和29(1954)年より新冠村(昭和36年より新冠町)字高江となって引き続き地名に残っている。



●富内線

1.上鵡川(かみむかわ)→豊城(とよしろ)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:鵡川の町が河口付近にあるのに対し、ここはそれより鵡川の上流側に位置することから。鵡川の名はアイヌ語の「ムッカ・ペッ」(muka-pet:塞がる川)から。流量が少なかったり流れが緩やかだったりで、海からの上げ砂により川口が塞がる川のことである。

新駅名の由来:アイヌ語の「ケナㇱ・オロ・コタン」(kenas-oro-kotan:川端の林の中の村)が「ケナシロ」となり「毛奈城」と当て字をされていたが、地内にある豊饒(ほうじょう)橋の「豊」と「毛奈城」の「城」をとって「豊城」という地区名となった。国有化に際し、地区名に合わせて改称。


2.萌別(もえべつ)→春日(かすが)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「モィ・ペッ」(moy-pet:静かな川)か「モ・イプト゚」(mo-i-putu:子の勇払川、i-putuは「その口」)かと考えられている。それらしいアイヌ語地名は見当たらず、何かの別名から取ったのであろうという見方である。

新駅名の由来:春の日差しが暖かく、木の芽が早く出る地であることから。国有化に際して改称。


3.生鼈(いくべつ)→旭岡(あさひおか)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ユㇰ・オッ・ペッ(yuk-ot-pet:鹿が多い川)より。難しい字を当てられており、「鼈」は「べっ甲」の「べっ」の字である。

新駅名の由来:地区名から。日当たりの良い丘ということで命名された。国有化時に駅名変更。


4.似湾(にわん)→栄(さかえ)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ニ・アン・ペッ」(ni-an-pet:木のある川)から。anは「多くある、群在する」意ではなく、単純に存在を表す動詞。

新駅名の由来:地区名から。


5.杵臼(きなうす)→豊田(とよた)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「キナ・ウシ」(kina-us-i:草の繁茂する処)。kinaは単に「草」の意であるが、地名に用いられる場合はsi-kina(本当の草…ガマ、スゲのこと)を単にkinaとしている場合が多い。

新駅名の由来:地区名から。開墾により水田が作られたので、豊作を祈願して命名された。国有化時に駅名変更。


6.辺富内(へとない)→富内(とみうち)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ケッ・オ・ナィ」(ket-o-nay:獣皮を乾かす張り枠の多い川)から。

新駅名の由来:国有化時に改称。「辺富内」の下2字を取って「富内」に改めた。開業時は終点で、国有化の時点でも当駅以東は未開業であったので、当駅が路線名ともなって、廃止時まで一貫して「富内線」を名乗った。


7.ニナルカ(留)→静川(しずかわ)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ニナㇽ・カ」(ninar-ka:川沿いの台地の上)から。

新駅名の由来:地区名から。付近の安平川の流れが緩やかであることから命名。国有化時に正駅化した上で改称、ニセコ駅より早い国鉄の片仮名駅名とはならなかった。また昭和18年11月1日に鵡川駅〜豊城駅間の短絡線ができ、富内線の沼ノ端駅〜豊城駅間は日高線の苫小牧駅〜鵡川駅間と並行することから同日付で廃止、また日高線は日高本線となっている。


8.入鹿別(いるしかべつ)(留)→入鹿別(いりしかべつ)

改称年月日:昭和18(1943)年8月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「イルㇱカ・ペッ」(i-ruska-pet:それを怒る川=立腹する川)から。

新駅名の由来:旧駅名に同じ。国有化時に正駅化、読みの変更を実施したが、同年11月1日に鵡川〜豊城駅間の短絡線経由に変更し、当駅は廃止となった。



●留萌本線

1.北一已(きたいちゃん→きたいちやん)

改称年月日:平成9(1997)年4月1日

駅名の由来:かつての村名で、「イチャン」はこの辺り一帯の地域名のようなものになっていて、それを村名とした。明治34(1901)年に深川村から分村して誕生した当初の一已村は納内から多度志までを村域に含む大きな村であった。村名はアイヌ語の「イチャン」(ichan:サケ・マスの産卵場)。本によっては「イ・チャン」と区切って表記しているものもあるが、正確には「イチャン」で一語である。道内にichanに由来する地名が無数に存在する。

漢字表記の一已は屯田兵を中心とした兵村であったため、「一にして已(や)む」という意味を込めてこの字を当てたという。

表記は昭和30(1955)年の開業当初から「北一已」であったはずだが、時刻表などでは一貫して「北一已」の表記であった一方、官報などの正式な書類で誤記があったらしく、「北一己」の表記が誤って正式な表記として登録されていたようである。当然、「己」の字に「やむ」やそれに類する読み方はなく、理不尽な理由で難読駅名になってしまった。JRになってようやく登記上の表記も「北一已」に統一され、読みも「きたいちゃん」から「きたいちやん」に変更されたため、難読ではなくなった。

なお、村名は当初より「いちやん」であったようである(角川日本地名大辞典)。北を付けた理由は村域の北部であったからというが、滝川辺りまでを含むこの辺り一帯の広域な地名であった「イチヤン」も屯田兵による開拓が始まると石狩川右岸(北岸)の地域を指すように変わっていったようで、確かに広大な「イチヤン」の中では北の方に位置することが分かる。


2.筑紫(ちくし)→秩父別(ちっぷべつ)

改称年月日:昭和29(1954)年11月10日

駅名の由来:アイヌ語の「チ・クㇱ・ペッ」(chi-kus-pet:我らが通る川)から。村名は秩父別、駅名は筑紫とブレがあったが、駅名が村名に合わせる形で揃った。川名も秩父別川。


3.沼田(ぬまた)→石狩沼田(いしかりぬまた)

改称年月日:大正13(1924)年4月25日

駅名の由来:沼田喜三郎氏所有の農場内に駅が設置されたため。現在の雨竜郡の町名にまでなった人名地名である。上越南線(現在の上越線)に同名駅ができるに当たって、そちらに「沼田駅」を譲るため、こちらは旧国名の「石狩」を冠する駅名変更を行った。


4.留萠(るもい)→留萌(るもい)

改称年月日:平成9(1997)年4月1日

駅名の由来:古くから「ルルモッペ」と呼ばれていた地で、昭和初年頃までは「留萌」と書いて「るるもっぺ」と読んでいたのが、漢字に引かれて「るもい」になったという。上原熊次郎氏は「潮の静に入る所と訳す」と記している。他にも諸説あるが山田秀三氏は古い時代のアイヌ長老たちに親しんだ上原氏の説に倣って「ルㇽ・モ・オッ・ペ」(rur-mo-ot-pe:潮汐がいつも静かである処〈川〉)の可能性が高いように推定しているが断定は避けている。

北海道駅名の起源は昭和29年版から新説として「ルㇽ・パ」の「モィ」だったのではなかろうか、と記している。rur-pa(海のかみ手)が現在留萌と呼ばれる地の本来の呼び名で、その湾(モィ;moy=湾)がルルパモイ、そしてそこに注ぐ川(ペッ)をルルモイペッあるいはルルプンペッといい、それがルルモッペになったという論である。この中で著者は「ルル・モ・ペッ(潮静川)から転じたという説があるが肯(うなず)けない」としている。ただ江戸初期からルルモッペやそれに近い形の地名で記録されてきておりルルモイペッやルルプンペッという形を経て転訛したという痕跡がなく、山田氏はこれに懐疑的である、ということで二説が真っ向から対立していて未だ結論を見ないというところである。

地名は当初より「留萌」表記で、鉄道だけが異体字の「萠」を使用してきたが、民営化して地域に根ざすように鉄道のあり方も変化し、地名の「留萌」表記に合わせて駅名及び路線名を変更した。



●根室本線

1.幌倉(ほろくら)→東滝川(ひがしたきかわ)

改称年月日:昭和29(1954)年11月10日

旧駅名の由来:北海道駅名の起源などいくつかの書籍ではアイヌ語の「ポロ・クラ」(親なる岩崖)から出たとある。ただし、昭和のアイヌ語地名研究の第一人者である山田秀三氏も「クラを岩崖と呼んだ地名を従来見たことがない。どんな典拠でこれが書かれたのであろうか。」とこの説に疑義を呈している。確かに知里真志保氏の地名アイヌ語小辞典にも「クラ」なる単語は出てこない。むしろ「クラ」を「崖」と読むのは古い和語に由来する地名用語でよく見かける(佐倉、片倉など)ので、それと混同している節があるように個人的には感ぜられる。

クラの本当の意味は分かっていないものの、空知川の支流に大小それぞれポロクラ川とポンクラ川とがある。クラというのは元来このあたりを呼んだ地名らしい。なお、幌倉駅がある位置は本来ポンクラの方だったそうである。永田地名解では「機弓を置く」(ku-rar:弓を置く)と解したようだが確証はない。

新駅名の由来:滝川市の市制施行に合わせ、市域の東部にあることから「東滝川」とした。


2.上赤平(かみあかびら)→赤平(あかびら)

改称年月日:昭和18(1943)年6月15日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ペンケ・フレ・ピラ」(penke-hure-pira:フレ・ピラ〈赤い崖〉の上流側)。「ピラ」の部分だけ音訳で「平」を当て、他は意訳したもの。

新駅名の由来:アイヌ語の「フレ・ピラ」(hure-pira:赤い崖)の半訳。昭和18年、赤平村が町制施行した年に駅名も変更した(昭和29年より市制施行)。


3.下芦別(しもあしべつ)→芦別(あしべつ)

改称年月日:昭和21(1946)年5月1日

旧駅名の由来:芦別川の下流域にあるため。芦別はアイヌ語の「ハㇱ・ペッ」(has-pet:灌木の中を流れる川)から。haの音はしばしばaの音に近い音で発音される(アイヌ語では有声音と無声音を区別しないため)。

新駅名の由来:町名に合わせた改称。芦別川に沿っては三井芦別鉄道が運行されていたが、当駅はその接続駅だった。芦別村は昭和16年に町制を施行(昭和28年市制施行)。


4.奔茂尻(ぽんもしり)→滝里(たきさと)

改称年月日:昭和21(1946)年5月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ポン・モシㇼ」(pon-mosir:小さい島)。空知川の中にある小島にちなんだ地名。

新駅名の由来:地名に合わせて改称。アイヌ語の「ソ・ラㇷ゚チ・ペッ」(so-rapchi-pet:滝がゴチャゴチャと落ちている川)の意訳。音訳したものが「空知」である。当駅は滝里ダム建設に伴うルート変更で平成3年に廃止となりダム湖に沈んだ。


5.下富良野(しもふらの)→富良野(ふらの)

改称年月日:昭和17(1942)年4月1日

旧駅名の由来:富良野川の下流にあるため。明治33(1900)年の開業時は富良野村に所在したが、明治36年に上富良野村と下富良野村に分村、図らずも自治体名と駅名が一致する形となった。富良野はアイヌ語の「フラ・ヌ・イ」(hura-nu-i:においを持つ処)から。

新駅名の由来:当駅の所在する下富良野村が大正8(1919)年に町制施行する際に富良野町に改称(昭和41年に市制施行)、駅名も町名に合わせた。


6.清水(しみず)→十勝清水(とかちしみず)

改称年月日:昭和9(1934)年11月20日

駅名の由来:アイヌ語の「ペ・ペケㇽ・ペッ」(pe-peker-pet:水の清い川)の意訳。昭和9年に東海道本線の江尻駅が清水駅に改称することになったため、それに先立って当駅が旧国名を冠する「十勝清水」に改称し、重複を避けた。根室本線は大正10(1921)年に既に本線になっていたが、当時はまだ全国規模(外地も含めて)で駅名が重複する場合、国策上で格下となる路線では旧国名を付けるなどで重複を回避する風潮があった。


7.佐念頃(さねんころ)→御影(みかげ)

改称年月日:大正11(1922)年10月15日

旧駅名の由来:アイヌ語の「サン・エンコㇽ」(san-enkor:突き出ている鼻;出崎)から。

新駅名の由来:佐念頃では語呂が悪いということで、この地の産物である花崗岩(御影石)にちなんで命名。


8.伏古(ふしこ)→西帯広(にしおびひろ)

改称年月日:昭和29(1954)年11月10日

旧駅名の由来:アイヌ語の「フㇱコ・ペッ」(husko-pet:古い、古くからある川)

新駅名の由来:帯広の西に位置することから。大地名に飲まれる形の改称である。


9.止若(やむわっか)→幕別(まくべつ)

改称年月日:昭和38(1963)年11月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ヤㇺ・ワッカ・ピラ」(yam-wakka-pira:冷たい水の崖)から。

新駅名の由来:町名に合わせて。幕別という駅は天北線に既にあったので、先に天北線の幕別駅を恵北駅に改称し、当駅を幕別駅に改称した。幕別はアイヌ語の「マㇰ・ウン・ペッ」(mak-un-pet:後ろ〈山の方〉にある川)によると考えられており、当初はこの字で「まくんべつ」と読んでいた。幕別村は明治39(1906)年に旧幕別(まくんべつ)村、止若(やむわっか)村、咾別(いかんべつ)村、白人(ちろっと)村、別奴(べっちゃろ)村の5ヶ村が合併して成立。したがって、明治38年に当駅が出来た時点ではまだ止若と幕別は別の村であった。


10.下頃部(したころべ)→新吉野(しんよしの)

改称年月日:昭和17(1942)年4月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「シタ・コㇽ・ペ」(sita-kor-pe:犬を生んだ処)や、「シタッ・コㇽ・ペッ」(sitat-kor-pet:マカンバの木の川)(korは「持つ」という意)といった説がある。前者は永田地名解の説、後者は山田秀三氏の説が元となっている。

新駅名の由来:吉野桜に似た山桜があったことから。下頃部では読みにくいとのことから改称。


11.上別保(かみべっぽ)→別保(べっぽ)

改称年月日:昭和27(1952)年11月15日

駅名の由来:アイヌ語の「ペッ・ポ」(pet-po:川の子)から。別保川の上流側にあるため「上」を付けた。上別保駅は大正6(1917)年の開業で、大正14年に後から出来た信号場が別保を名乗ることとなった。別保信号場は昭和3(1928)年に駅に昇格し、東釧路に改称している。所在地は別保信号場(東釧路駅)が釧路市貝塚、上別保駅(別保駅)が釧路郡釧路町別保(改称時は釧路郡釧路村字別保)。字別保は大正9年に成立しており、駅の開業直後の行政字名成立に32年遅れて合わせる形となった。



●富良野線

1.辺別(べべつ)→西神楽(にしかぐら)

改称年月日:昭和17(1942)年10月1日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ペッ・ペッ」(pet-pet:小川がゴチャゴチャと集まっている処。室蘭本線弁辺駅→豊浦駅も参照)。

新駅名の由来:旧駅名が女陰を表す言葉を連想させるために改称。当時の神楽村の西部に位置したことから。神楽村の名はアイヌ語の「ヘッチェ・ウシ」(hetche-us-i:歌舞の合間に『ヘイッ!』と囃子を入れる処)の意訳。富良野線には「神楽岡」という駅もあるが、そちらは昭和33(1958)年開業なので、西神楽の方が駅名としては古い。



●池北線

(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)

1.淕別(りくんべつ)→陸別(りくべつ)

改称年月日:昭和24(1949)年11月20日

駅名の由来:アイヌ語の「リクン・ペッ」(rikun-pet:高いところにある川)から。昭和24年に村名が足寄郡淕別(りくんべつ)村から陸別(りくべつ)村(昭和28年町制施行)に改称したのに合わせての駅名変更。


※新潮社刊「日本鉄道旅行地図帳1号 北海道」では本別駅の読みを昭和36(1961)年に「んべつ」から「んべつ」に変更したとあります(前書より刊行時期の古い富士コンテム刊「北海道の駅878ものがたり」にも同様の記載あり)。この情報は昭和37年版の「北海道駅名の起源」が初出と思われますが、なぜか「北海道駅名の起源」昭和17年版、昭和29年版ともに既に「んべつ」と振り仮名がされていることから、ここでの掲載は一旦保留とします。

しかし、「北海道駅名の起源」昭和12年版、「停車場一覧」昭和12年版では「んべつ」の振り仮名になっていることを確認しております。

昭和36年の改称という情報の出どころ、あるいは改称があったかどうかの情報の真偽が分かりましたら、追って弊ブログ内で追記という形で記したいと思います。

(上記※欄内、2024年7月23日加筆)



●宗谷本線

1.新旭川(しんあさひがわ→しんあさひかわ)

改称年月日:昭和63(1988)年3月13日

函館本線旭川駅と同時にに変更。明治期に旭川駅が「あさひがわ」になってしまったのが長らく引き継がれてきたが、国鉄民営化後にようやく本来の発音に直された。なお、鉄道管理局が設定する仮乗降場としてスタートした旭川四条(あさひかわよじょう)は当初より「あさひかわ」の表記で、昭和48(1973)年に旭川四条が正駅化すると旭川駅の駅名標にも隣駅表示で掲載されるようになるが、国鉄時代の駅名標の写真を見ると自駅が「あさひわ」で隣駅が「あさひわよじょう」と奇妙な状態となっていたのが分かる。


2.剣淵(けぬふち→けんぶち)

改称年月日:明治38(1905)年4月1日

駅名の由来:アイヌ語の「ケネ・ペッ・プト゚」(kene-pet-putu:ハンノキの川の川口)から。明治30年より剣淵(けんぶち)村となるが、それまで「ケネフチ」(ケ子フチ、などと表記)と呼ばれていた地である。


3.東風連(ひがしふうれん)→名寄高校(なよろこうこう)

改称年月日:令和4(2022)年3月12日

旧駅名の由来:風連の東にあるため。風連はアイヌ語の「フレ・ペッ」(hure-pet:赤い川)から。川が赤く見えるのは鉄分を多く含むため。

新駅名の由来:北海道名寄高校(道立)の最寄り駅として現在地に1.5km移転、併せて駅名も変更した。所在地は上川郡風連町東風連だったが平成18(2006)年に名寄市に合併、令和4(2022)年の移転後は名寄市徳田に位置する。


4.美深(ぴうか→びふか)

改称年月日:昭和26(1951)年7月14日

駅名の由来:アイヌ語の「ピゥカ」(piwka:小石川原)より。天塩方言や名寄周辺では泉池、湧き壺(=mem)を指すこともあるが、美深の語義については上記の意味とされている。川名は今でも「ふか」と読む(角川日本地名大辞典)。自治体名としては大正9(1920)年に下名寄村が美深(びふか)村に改称したのが最初。駅名は旧仮名遣いでも「ぴうか」であり、江戸期には「ヒウカ」と記録がある。昭和26年になって駅名は自治体名に合わせた形となる。


5.南咲来(みなみさっくる)(仮)→天塩川温泉(てしおがわおんせん)(仮)

改称年月日:昭和56(1981)年7月(日付不詳)

旧駅名の由来:咲来の南にあることから。咲来はアイヌ語の「サㇰ・ル」(sak-ru:夏の道)から。夏になるとここを往来してオホーツク沿岸に漁に出ていた慣習があった。

新駅名の由来:音威子府村の村営保養センター、天塩川温泉の最寄りであることから。


6.誉平(ぽんぴら)→天塩中川(てしおなかがわ)

改称年月日:昭和26(1951)年7月20日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ポン・ピラ」(小さい方の崖)から。

新駅名の由来:所在自治体名を採って駅名とするための改称。天塩国中川郡中川村(昭和39年より中川町)に位置するが、同名の地名が多いため、旧国名を冠した。「中川」は天塩川の中流の意。


7.宇戸内(うとない)→歌内(うたない)

改称年月日:昭和26(1951)年7月20日

駅名の由来:アイヌ語の「ウッ・ナィ」(ut-nay:肋骨の〈ように本流に入る〉枝川)。同じ語源の地名は道内に無数にある。

改称は地区名に合わせるために行われた。


8.稚内(わっかない;初代)→南稚内(みなみわっかない)

改称年月日:昭和14(1939)年2月1日


9.稚内港(わっかないみなと)→稚内(わっかない;2代目)

改称年月日:昭和14(1939)年2月1日

駅名の由来:アイヌ語の「ヤㇺ・ワッカ・ナィ」(yam-wakka-nay:冷たい水の川)から。稚内桟橋仮乗降場の開設に伴い、稚泊航路の玄関口がそちらに移ったため当駅を「稚内」、従来の稚内駅を「南稚内」に改めた。



●天北線

1.幕別(まくべつ)→恵北(けいほく)

改称年月日:昭和38(1963)年10月1日

旧駅名の由来:根室本線幕別駅と同じく、アイヌ語の「マㇰ・ウン・ペッ」(mak-un-pet:後ろ〈山の奥〉に行く川)に由来。根室本線の止若駅を幕別駅に改称するに先立ち、当駅を恵北駅に改称した。

新駅名の由来:地区名から。北の地で幸せに恵まれるようにとの願いを込めて命名されたという。






今回は以上となります。

雑多な文章の羅列でお見苦しい限りですが、ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

続きは次回、またご紹介致します。