これまで、北海道内の仮乗降場についていくつか調べてきました。
そして北海道内版の時刻表での扱いや、停車ダイヤを見てきました。
今回は、全国版時刻表では果たしてどうなのか、北海道内および他地方の仮乗降場の扱いはどうか、少しまとめてみました。
1981年(昭和56年)3月号の交通公社(現在のJTB)刊時刻表が手元にありますので、こちらを参考にしています。
まず、北海道内について。
既に過去の記事でも触れていますが、仮乗降場はその多くが北海道(特に旭川鉄道管理局管内)に集中しています。
続いて青函鉄道船舶管理局、釧路鉄道管理局に多く、北海道でも札幌鉄道総局の管内はかなり仮乗降場は少なかったです。
釧路鉄道管理局の仮乗降場は北海道内版の時刻表にすら掲載されないものが多く(新士幌、共栄、多和、笹森、大森、稲士別など)、逆に青函鉄道船舶管理局管内は全国版にも掲載されていたものも複数ありました。
1981年3月号全国版時刻表に掲載されていた仮乗降場は下記に挙げたもののみです。
(時刻表本文での表記方法に則っています。)
(臨)仁山
(臨)姫川
(臨)渡島沼尻
(臨)桂川
(臨)本石倉
(臨)鷲ノ巣
(臨)北豊津
これらは全て臨時乗降場ではなく、仮乗降場(信号場が旅客の取り扱いを行っていたものを含む)でした。
このほか、本来の臨時乗降場として留萠本線の瀬越が掲載されていました。
表記は上掲のものと同じで「(臨)瀬越」となっていました。
ちなみに、士幌線黒石平駅は上り列車の停車がなく、代わりに電力所前仮乗降場に停車していましたが、全国版時刻表では上り列車も黒石平駅に停車するものとして掲載されていましたので、ある意味では「全国版時刻表に掲載されていた仮乗降場」かも知れません。
なお、釧網本線原生花園仮乗降場は昭和53(1978)年に一度廃止されているので、この時刻表の時期には存在しておらず、現在の原生花園臨時駅はJR化後に同一位置に再開業したものです。
また、この年には国鉄史上最後に設置された仮乗降場である大学前仮乗降場が開設されていますが、12月1日の開設のため、本時刻表の時点では未開業で、大学前の次に新しい仮乗降場である幌内線栄町仮乗降場が前年に開設されたばかりという時代背景となります。
一方、この時点で冬期休止となっていた駅として、深名線の蕗ノ台駅、白樺駅の2駅があります。
これらは(臨)の文字は付されず、◯に▲の印を付けた上で欄外に「3/31まで休止」の旨を記載していました。
仮乗降場であることを表す表記は道内版の時刻表では無印(キロ程欄が空白)がほとんどでしたが、(乗)の記号を付していた時刻表もありました(一時期の弘済出版社刊「道内時刻表」)。
全国版ではそれが(臨)の記号となっているのも見どころかと思います。
また全国版への掲載があったものが青函鉄道船舶管理局管内に集中しているというのにも注目です。
さて、今度は本州以南について見てみましょう。
同じように時刻表本文での表記に則って挙げていきます。
ここでは便宜上、仮乗降場ではなく臨時乗降場のものも一緒に記します。
赤字はキロ程の記載がないものです。
下線は仮乗降場、それ以外は臨時乗降場です。
(臨)十二湖/五能線
(臨)千畳敷/五能線
(臨)今川/羽越本線
(臨)八ツ森/仙山線
(臨)面白山/仙山線
(臨)柿ノ木/只見線
(臨)偕楽園(上りの本文には非掲載)/常磐線
(臨)岩原スキー場前/上越線
(臨)東塩尻/中央本線
(臨)東清川/久留里線
行川アイランド/外房線
(臨)恋路/能登線
(臨)立戸の浜/能登線
(臨)小松島港/小松島線
(臨)津島ノ宮/予讃本線
と、このように臨時乗降場も仮乗降場も一緒くたに(臨)表記になっていた状況です。
掲載の有無の基準はよく分からないというのが正直な私の感想でして、羽越本線ならば今川は掲載されている一方、桂根、二古(ふたご)、折渡、女鹿は非掲載です。
(うち二古以外は今川も含めて民営化時に正駅化、二古は信号場として民営化後も存続するも旅客取り扱いは昭和55年以降62年以前のどこかの時点で廃止)
桂根などと同じく、信号場が旅客の取り扱いを行うパターンの仮乗降場では、磐越東線の江田や伯備線の布原などがやはり非掲載である一方、中央本線東塩尻が掲載されています。
純然たる仮乗降場としては赤谷線東中学校前、会津線舟子、岩日線行波、山口線仁保津、本俣賀、三江線長谷といったところがありますが、これらはいずれも非掲載です。
やはり信号場として国鉄本社が関知する停車場であるか否かの差が大きいかと思われます。
また仮乗降場でも季節営業のものは、そこを目的地とした臨時列車の設定対象になり得るため、掲載されやすいものと考えられます。
このほか、昭和44(1969)年10月1日付で仮乗降場から臨時乗降場になったものに留萠本線瀬越のほか、本州以南では上述したもののうち下線がない各乗降場(東清川を除く)が全て該当します。
東清川は昭和53(1978)年に臨時乗降場として開設され、民営化時に駅となったもので、成り立ちとしては国鉄最後の改正である昭和61年11月1日付で臨時乗降場として開設された新駅の数々に近いものかも知れません。
信号場ではなく純然たる仮乗降場にもかかわらず、当時刻表に掲載があった希少な例としては、柿ノ木仮乗降場、立戸の浜仮乗降場、八ツ森仮乗降場、面白山仮乗降場、小松島港仮乗降場の5例があります。
民営化時に臨時駅に移行したものが多いのが見て取れます。
八ツ森、面白山はキロ程欄に数字の代わりに◯に▲の記号を付して、欄外に開設期間(実態は通年でしたが、書類上は開設期間の延長を繰り返していた形だったようです)および運賃の計算方法「この駅の先の営業キロが示してある駅までの営業キロで計算します。」という文言が記載されていました。
(要は一般的な仮乗降場の運賃計算方法そのままです)
この中で現存するのは臨時駅から正駅に昇格する際に面白山高原に改称した、面白山仮乗降場のみです。
(面白山という名の停車場には、面白山信号場もありますが、面白山仮乗降場とは別位置です)
小松島港は小松島線の終着地で、小松島駅の構内扱いでしたが、路線の終点であるため全国版時刻表にも掲載されていました。
珍しい例としては、記録上は臨時乗降場であったはずが、他の正駅と同じように扱われていたものに、外房線行川アイランド臨時乗降場があります。
同乗降場は昭和40年代に開業後間もなくして通年営業となりましたが、正駅化は民営化と同時に行われています。
しかし1981年(昭和56年)3月号のこの時刻表には(臨)の表記はありませんでした。
補足として「臨時乗降場」と「臨時駅」の使い分けですが、国鉄では「臨時乗降場」と呼称しており、民営化に際して「臨時駅」に改称されていますので、国鉄時代について言及する場合は「臨時乗降場」としています。
なお「正駅」という言葉は正式なものではなく、正式にはただ「駅」(特に旅客駅および一般駅)といいます。
弊ブログでは仮乗降場、臨時乗降場、臨時駅と区別するため、正式な駅として俗称である「正駅」という言葉を用いています。
また日本国有鉄道時代は「仮乗降場」と呼称していましたが、鉄道院、鉄道省時代は「仮停車場」という呼称が用いられていました。
鉄道省時代以前は後の国鉄路線も国有化前で、まだ民間の路線だったところが多いため、この辺りの呼称は路線ごとにも変わってきますので、なかなかに複雑です。
以上、今回は情報の羅列に終わってしまいましたが、私の備忘録も兼ねているので、何卒ご容赦頂ければ幸いです。
今回もここまでお付き合い下さり、誠にありがとうございました。