以前の夕張鉄道に続いて、あまり触れられてこなかった私鉄の駅名の由来をまとめるという企画を、今回は三菱鉱業美唄鉄道について記事にしてみます。
私個人が調べたものとなりますので、至らない点、誤りなどがあるかも知れませんので、何卒ご了承下さい。
一応の調べとして、複数の文献を調べて、裏取りはするようにしていますが、諸説あるものに関しては全ての説を挙げきることはできませんので、ご理解頂けると幸いです。
当線ははじめ、石狩石炭の専用線として計画し、紆余曲折ありつつも美唄軽便鉄道として開業に漕ぎ着けたものの、石狩石炭がこれを手放し、美唄鉄道が免許、施設、設備等の一切を譲り受け、この美唄鉄道を三菱鉱業が買収したことで、三菱鉱業美唄鉄道となり廃線まで貨客の輸送を続けました。
廃線は昭和47(1972)年、美唄炭鉱の閉山を受けての全線廃止でした。
以下、簡単に駅名とその由来を列記していきます。
駅名は旅客営業廃止時点のもので記します。
所在地は全駅とも美唄市となります。
●美唄(びばい)
省線函館本線(現在のJR北海道函館本線)の同駅に乗り入れる形で開業、省線と同じ美唄駅を名乗った。
開業時は空知郡沼貝村(ぬまかいむら)に所在したが、駅は明治24(1891)年の開業当初から美唄駅を名乗っていた。
元々江戸期より「ビバイ」と記されていた地で、アイヌ語の「ピパ・オ・イ」(pipa-o-i:カラス貝の多い処)による。
沼貝村の名はpipa-o-iの意訳であるが、町制施行し沼貝町(ぬまかいちょう)を経て、大正15(1926)年に美唄町(びばいちょう)に改称、昭和25(1950)年に市制施行し美唄市となって現在に至る。
●東明(とうめい)
美唄町の東部に位置するため、昭和16(1941)年に地区名制定の際に「東雲(しののめ)」と命名しようとしたことに始まる。
道内には同一の成り立ちによる「東雲」という地名が多い。
明け方の薄明かりを「篠の目」(採光のために用いられた竹で編まれた格子で、あまり多くの光を通さない)を通して入る日差しに見立てて、「東雲」を「しののめ」と読むようになったといわれ、この熟字訓は平安期には既にあったという(古今和歌集などに見える)。
元来、「東雲」は雅語とされてきたはずだが、ここでは「東雲」では「東に雲が掛かって気にかかる」ということで不吉とされ、地域青年団の冠称であった「明隆」から一字をとって「東明(しののめ)」となった。
昭和16年という、戦時体制下での地区名制定であったことも背景にあるかも知れない。
ところがそれから間もない昭和23(1948)年に、駅や小学校が開設されると、「東明」で「しののめ」の読みでは無理があったのか、それらは「とうめい」という読みを採用した。
やがてそちらのほうが定着し、地区名も「東明(とうめい)」となった。
●盤の沢(ばんのさわ)
パンの沢、磐の沢とも表記していたが、大正14(1925)年に駅ができ、「盤の沢」の表記を採用したので、この表記に統一された。
盤の沢の「パン、バン」は、本多貢氏によればアイヌ語のpanke-nay(下の川)に由来するという。
●我路(がろ)
道内に類似の地名があるが、ここでの「我路」の由来はアイヌ語説、和語説とがありはっきりしない。
「美唄アイヌ語地名考」という文書には「カル(凹凸がある意)」からきたとあるが、ガラガラと岩石があることを指す和語の地名語「ガロ、ガレ」に由来するという説もある。
●美唄炭山(びばいたんざん)
当線の最大の存在意義でもあった、三菱鉱業の炭鉱があったことによる。
開業時は行政自治体名であった沼貝駅を名乗ったが、大正7(1918)年に改称している。
●常盤台(ときわだい)
元々「北一の沢」といった地区で、一の沢、二の沢と呼ばれる沢があった。
地区名を改める際に常盤台とし、ここに炭住を開発した。
駅名はこの地区名からとったもので、常盤台の名の由来は定かではないが、願望を込めた吉祥地名であると思われる。
「◯◯台」という地名はしばしば新興住宅地などに新たに付ける地名に用いられ、古くからの地名にはあまり見られない。
一の沢、二の沢の名称からしても、元々地名はなかったか、あっても継承されてこなかったことが窺える。