アイヌ語に由来する地名は、アイヌ語が文字を持たないこと、北海道内でも発音や語彙に地域差があったこと(方言)、音訳した和人が聞き間違いをした可能性が捨て切れない、また和人が入ったことで和語特有の訛りの影響を受けた可能性があることなどで、元のアイヌ語が何だったか分からない地名が結構残っています。
アイヌの人たちも、世代を重ねるうちに元の意味が忘れられてただ地名として残ったという場合もあるようで、今となっては残念ながらその由来は永遠に分からないかも知れないと思われる地名たちです。
特に中でも駅名になっていて知名度があるであろう、3駅をご紹介します。
1.美流渡(みると)
現在は岩見沢市の地名となっています。
国鉄万字線に美流渡駅があり、空知炭田の一角を担っていた地域で、美流渡にも炭鉱がありました。
廃止間際には万字線で唯一有人駅として残っていました。
古い時代のアイヌ語研究者はこの地名を記録しておらず、「北海道駅名の起源」が昭和22(1947)年から数年おきに発行されるようになってようやくこの地名の由来について言及がなされるようになっていきました。
しかし「ミユルトマップ」から出たとされるが、意味は不詳、という書き方をされるケースが多いです。
「北海道駅名の起源」では「山の間の地」という訳を記している版もあるようですが、アイヌ語に明るい人ほどこの「ミユルトマップ」には頭を悩ませているようです。
昭和後期のアイヌ語地名の第一人者といえる山田秀三氏の著作物には拙ブログも大変お世話になっていますが、山田氏は「ひどく訛った形でこのままでは解しようがない」と結んでいます。
「山の間の地」は「sir-utur-oma-p」というアイヌ語から出ているようで、sirは大地、山などの意、uturは間、omaは存在を表す動詞で「ある」の意、pは動詞を名詞化する語尾で「〜のもの、〜のところ」の意になります。
読みとしては単語ごとに区切ってアイヌ語仮名的に書くと「シㇼ・ウト゚ㇽ・オマ・ㇷ゚」(小文字は子音を、ト゚はトゥの音を表します)、普通に読めば「シルトゥロマップ」のような感じになります。
これが「シルトロマップ」となって、音韻転倒して「シルルトマップ」となり、訛った果てに「ミユルトマップ」になったのでしょうか?
研究者でも結論を出すことを避けている以上、結局は「不詳」なのです。
2.豊頃(とよころ)
中川郡豊頃町の町名であり根室本線の駅名にもなっています。
この地名は江戸期に北海道の各地を踏査した松浦武四郎氏も記録しており、「トヒオカ」という地名として記載されています。
松浦氏は土地のアイヌの人から聞き取って語義なども残していることが多いですが、「トヒオカ」の語義には触れられていません。
江戸期から明治期にかけては「トヒオカ」「トヒヨコロ」という記述が見られますが、いずれも由来は不詳です。
豊頃町史では、「アイヌ語のトピオカル、あるいはトプヨカオロに由来し、”人死して住まはざる所”を意味する」とし、アイヌの抗争があって住人がいなくなったという伝承がありそれに基づいているそうですが、語学的には全く解釈が付けられないようです。
3.丸瀬布(まるせっぷ)
紋別郡丸瀬布町、現在は遠軽町にある駅名です。
石北本線の駅で、特急「オホーツク」停車駅でもあり、森林鉄道の保存施設も町内にあるので、地名を聞いたことだけならあるという方も多いと思います。
この地名は明治期にアイヌ語地名を道内全域に亘って解説した、アイヌ語地名解説書の草分け的存在である、永田方正氏の「北海道蝦夷語地名解」(俗に「永田地名解」と呼ばれています)に記録があり、「マウレセㇷ゚ ?」とだけ記されています。
長らく「マウレセㇷ゚」というアイヌ語に由来するらしいということだけ伝わって来ており、言語学的にはやはり全く手が付けられない地名になってしまっています。
「丸瀬布郷土史料6」に「子の川が並んで三つある広い所」とあるほか、山田秀三氏も土地のアイヌの人から「小さい川が集まってできた広い処」と聞き取っている旨の記述をしていますが、結論は出していません。
「北海道駅名の起源」では単に「広い所」としています。
「広い」に対応するアイヌ語としては地名では「para」(パラ)がよく見られますが、「sep」(セㇷ゚)という語も同じ意味に用いられます。
また郷土史にある「三つ」というのは、アイヌ語では「re」(レ)といいます。
だからといって「マウレセㇷ゚」が解釈できるわけではないのですが、参考として記しておきます。
「小さい川」は流れ方や本流への入り方、位置などによって様々な語が使い分けられていますので、和訳から元のアイヌ語を推定するのも難しいところです。
今となってはアイヌ語の話者そのものが少なくなり、アイヌの方も普通に和語を話す時代、山田秀三氏らが活躍された40〜50年前に比べて研究は困難になって来ています。
もはや先人の遺した記録を集めて、机の上で研究して現地の地形と摺り合わせて推定するしかなくなりつつあるのですが、山田秀三氏は折につけて「後学の研究を待ちたい」と期待を込めて自説を付しておられました。
氏が鬼籍に入って30余年が経過し、幾ばくかの研究の進捗もあるかとは思いますが、それでも断定には至っていないこれらの地名の由来、いつか何かしらの形で結論が出ることを願って止みません。
私個人も、偉大な学者の先生方の足元にも及びませんが、いつか踏み込んで調べてみたいと思うところです。
参考資料
北海道蝦夷地名解 附・アイヌ地名考 https://amzn.asia/d/5fGef1U
北海道の地名 (アイヌ語地名の研究―山田秀三著作集) https://amzn.asia/d/a23Xj6D