前回ご紹介した士幌線電力所前に続いて、正駅と表裏一体となっていた例として、国鉄羽幌線力昼(りきびる)駅〜古丹別(こたんべつ)駅間に設置されていた
番屋ノ沢(ばんやのさわ)仮乗降場
についてご紹介します。
番屋ノ沢は、苫前町の力昼という集落の実質的な中心駅です。
力昼の町には、ご存じの方も多いでしょうが、力昼駅という正式な駅が存在しました。
苫前町には苫前、古丹別という2つの大きな町があり、
日本海沿岸を走る羽幌線も、内陸にある古丹別を経由するために、この一帯は大きく内陸に路線が回り込むルートになっています。
力昼は苫前町と留萌郡小平町との町境にほど近い町で、力昼駅は力昼の集落よりさらに町境に近い場所に置かれました。
力昼の町は羽幌線に並行する国道239号から、古丹別市街地へ向かう道(道道1062号)が分岐する場所でもあり、その分岐点の近くに置かれた仮乗降場が、この「番屋ノ沢仮乗降場」でした。
このような結節点であり、力昼小学校や、力昼郵便局も現在この道道沿いに建ち並んでいます。
力昼漁港は国道沿いですが、やはり力昼駅よりかなり力昼の中心街に近くに位置します。
このような立地から、力昼駅は中心街から相当に離れた不便な駅となってしまい、代わりに番屋ノ沢仮乗降場が作られるに至りました。
力昼駅より実キロで2.1キロ古丹別寄りに位置しました。
結果として、力昼駅は非常に乗車人員も少なく晩年には無人駅になっていた一方、番屋ノ沢は仮乗降場には似つかわしくない土盛りのホームの存在する立派なもので、駅で言えば簡易委託駅ともいえる、乗車券の委託販売も行われていた利用者の多い仮乗降場となりました。
乗車券の販売があった仮乗降場は多くはないものの、相生線旭通仮乗降場などでも行われていたそうです。
仮乗降場来歴
昭和30(1955)年3月26日
番屋ノ沢仮乗降場として開設
昭和62年3月30日
路線の廃線により廃止
仮乗降場名の由来
富士コンテム刊「北海道の駅 878ものがたり」(太田幸夫氏著)によると、「鬼鹿地区の南にある小川の沢からでた。番屋のあった沢の意。」とのことです。
ホームや先述の乗車券販売所の駅名標類では「番屋の沢」の表記となっていたことが知られています。
ダイヤ
上記の通り、実質的な力昼の玄関駅であるため、普通列車は全て停車していました。
昭和52(1977)年の交通公社刊「北海道時刻表」によると、下り6本、上り7本の普通列車がこの区間に設置されていたこれら全てが番屋ノ沢仮乗降場に停車しました。
羽幌線には仮乗降場が多数ありましたが、全普通列車が停車した仮乗降場は番屋ノ沢のほか啓明仮乗降場だけでした(うち下り1本、羽幌駅以北での最終下り列車は正駅である天塩金浦駅通過、羽幌駅始発最終の上り列車は番屋ノ沢と千松の仮乗降場に停車する一方、三泊駅、臼谷駅は通過)。
長大な羽幌線ですが、留萠〜羽幌の区間運用が複数本設定されていたほかは最終下りが鬼鹿行きであったくらいで、全線通しで運行する普通列車が大部分でした。
例外的に夕方に幌延発羽幌行きの上り列車が1本ありましたが、羽幌駅以北は相対的に本数が少なくなります。
終着駅の幌延駅では宗谷本線に接続していますが、留萠本線の支線であり留萠本線と一体的に運用が組まれている羽幌線は、幌延駅から宗谷本線に直通する列車はありませんでした。
羽幌線には急行列車も設定されており、苫前町内には古丹別、苫前と2つの急行停車駅がありましたが、さすがに番屋ノ沢や力昼には停車しませんでした。
全線に渡ってほぼ日本海の海岸線に沿って留萠(現・留萌)から天塩国の幌延までを結んだ長大な羽幌線ですが、JR化を2日後に控えた昭和62年3月30日に全線が廃止となりました。
羽幌線は旭川鉄道局管轄内の路線であり、道内有数の仮乗降場多産路線でした。
昭和40年代〜50年代に一足早く廃止になった仮乗降場もありましたが、多くは廃線まで住民の足として活躍しました。
あと数日廃止が遅ければ、一斉に駅に昇格し「JR番屋ノ沢駅」などとなっていたのであろうと、妄想が掻き立てられるところです。