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現代の日本ではあまり感じませんが、人の価値観の土台には宗教があるケースがほとんどです。
学生時代、「外国人に自分は無宗教だと言うと、倫理観も何もない、とんでもない人間だと思われるから、宗教を聞かれたら無宗教と言わずに、ヒューマニストと答えなさい」
と先生に教わったことがあります。
多くの国と時代で、宗教は単に神様に手を合わせるだけの行為では無く、学問であり、法律であり、行動や思想の良し悪しを規定するものでした。
宗教の目的はいろいろだと思いますが、多くは自分の仲間たちが、「良く生きのびるため」に生まれたと思います。
昔は今のように豊かではないし、危険もたくさんありましたから、自分たちの仲間が生きていくために、世の中のことわりを追求したりしたのでしょう。
支配に使うようになったのは、その後だと思います。
そう考えると、宗教は環境に左右されます。
狩猟採集をする人たちには狩猟採集に合わせた宗教が。
農耕をする人たちには農耕に合わせた宗教が。
狩猟採集をする人たちが自然に求めることは、来年も再来年も、末長く豊かな実りが続くことです。
年によって、実る果物や木の実に違いはあるでしょう。
獲れる魚や獣に違いはあるでしょう。
それでも、森全体が豊かであれば、人間は生き延びられます。
多少の変化…というか、ゆらぎは良いのです。
農耕をする人たちが自然に求めることは、来年も再来年も、同じような気候が続くことです。
できれば寒すぎたり暑すぎたりしないでほしい。
台風の来る時期は早くならないでほしい。
そして、作物を食べる害虫は減ってほしい。
害虫を食べる益虫は増えてほしい。
などなど。
農耕をする人たちの方が、自然に求める事柄が多いのが分かるでしょうか。
そして、物事が「良い」と「悪い」に区別されます。
続きます
こんな話面白いのかな?
と思いながら書いてます(笑)
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