もうすぐ七夕ですから、お星様のことを‥
日本の国旗は天文学的である。それは、私たちにいちばん近い恒星・太陽を描いたものである。この国旗を定めた日本人の先祖たちは、人間と宇宙とのあいだの深い関係をいくらか理解していたに違いない。
日本だけでなく、世界の国々のうち、ほぼ半数が宇宙に関係のあるものを国旗のデザインに使っている。
つまり、私たちはみんな、大むかしからずっと天文学者だったのである。
この本が日本でも出版されるのは、私にとってとくにうれしいことである。
日本は、高度に工業化された国であり、科学と技術とに国民の未来をかけている国である。
天然資源のほとんどない国でも、教育と知識と計画に力を入れ、技術開発に献身し、国防の重圧から自由であれば、大きなことをなしとげられる、ということを日本は証明してくれた。
そのような国でこの本が広く読まれるのは、うれしいことである。
「コスモス」は、惑星、太陽、恒星、銀河などの探検をテーマとしている。いままでのところ、このような探検は、大部分、アメリカとソビエトとが進めている。
しかし、現在の傾向が続けば、やがて日本も宇宙探検の分野で重要な役割をはたすようになるだろう。
一〇年か二〇年後には、日本の探測器が惑星や彗星に向かって飛び、日本の国旗に描かれた恒星・太陽に向けても、日本の探測器が飛ぶようになっているだろう。
現代は宇宙探検の時代である。私たちは、人類史上きわめて重要な時代に生きている。
私たちの子孫は、私たちのことを驚異の目をもってかえりみることだろう。
そのような重大な時期に、日本が大きな役割をはたしてくれることを期待しながら、この日本版を太陽の国のみなさんにささげる。
「コスモス」 1980年8月イサカとロサンセルスで カール・セーガン
北北東の空、木星や天王星からずっと上の方向、牡羊座流星群よりもさらに上の方向に「ミラク」と呼ばれるレンズ状銀河がある。
そこからまだ少し上に目視出来る「M31アンドロメダ銀河」がある。
M31アンドロメダ銀河(実写)
アンドロメダ座に位置し、さんかく座銀河、銀河系(天の川銀河)、大マゼラン銀河、小マゼラン銀河などとともに局部銀河群を構成する。
地球から約250万光年の距離に位置し、およそ1兆個の恒星からなる渦巻銀河で、直径18~23万光年で、直径8~10万光年の我々の銀河系より大きく、局部銀河群で最大であるが、質量は銀河系と同じぐらいであると考えられている。
かつては、アンドロメダ星雲、アンドロメダ大星雲とも呼ばれていた(発見された当時、そこにあるのは銀河ではなく星雲デあろうと思われた為)
我々の住む天の川銀河は約40億年後に、アンドロメダ銀河と衝突し融合する。
お互いは接近し、すり抜け、一旦は通り過ぎるが互いの重力に引き戻され、最後には銀河核の融合を起こす。
アンドロメダ銀河は、我々の天の川銀河に向かって時速25万マイル(時速約40万キロメートル)の速度で接近している。約250万光年という長い旅路ではあるが、約40億年後には天の川銀河にぶつかると見られている。
不運にも地球上の生命はすべて、このスペクタクルを目にする前に死に絶えることとなる。
その頃には、エネルギー不足に陥りはじめた太陽が金星の軌道上に達するほど膨張し、地球は現在の水星並の灼熱の星となるからだ。
そのM31アンドロメダ銀河までやってきて、下を覗いてみると、アンドロメダに非常によく似た銀河がある。私たちの天の川銀河で、その渦は2億5000万年に1回のわりでゆっくりと回転している。
渦から、またまた長い腕状の渦が2本出ており、その腕の1つの端っこの方、中心から3万光年ぐらいの辺鄙な場所に太陽系がある。私たちの地球は天の川銀河のかなり田舎にあると言えるが、そのおかげで銀河の中心に向かって天の川の美しい光景を観ることが出来る。
とはいえ、私たちは平たい銀河の端に居るので解らないが、もし、銀河と正対するように真上から観ることが出来るなら、夥しい数の星が輝く、怖ろしいともいえる見事な銀河系の姿を観ることになる。
もし地球が、天の川銀河の中心近くにあれば、1つか複数の太陽があろうが無かろうが、燃えるような星の光のなかで、夜がやってくることはない。
私たちの故郷、天の川銀河
人類が誕生してからずっと、私たちは、自分が宇宙のなかのどこにいるのかを知ろうと努力し続けてきた。
私たち人類がまだ子供だったころ(私たちの祖先が、いささかぼんやりと星をみつめていたころ)にも、古代ギリシャのイオニアの科学者たちの時代にも、そして、私たち自身の時代にも、「私たちはどこにいるのか」「私たちは何者なのか」という質問の前に、私たちはいつも立ちすくんできた。
私たちは、つまらない惑星のうえに住んでいることを知った。
この惑星は、平凡な恒星のまわりをめぐっており、その平凡な恒星・太陽は、銀河系の端のほうに、うず状の2本の腕の間にあり、その銀河は、まばらに散らばって存在する数多くの銀河の1つであり、宇宙の中の忘れられた片すみに存在する。
アリスタルコスの時代から、研究が一歩前進するごとに、私たちは宇宙劇場の中心的な舞台から、次第に遠ざかってきた。
新しい発見を1つにまとめる時間的なゆとりは、これまで、あまりなかった。
シャプレーやハップルの発見は、今生きている多くの人たちが誕生した前後になされたものである。
これらの偉大な発見を、ひそかに悲しんでいる人たちもあるだろう。新しい前進は、すべて地球と人間を格下げするものだと考え、心の奥底で「地球は宇宙の中心であり、焦点であり、テコの支点であってほしい」と願っている人もあるだろう。
しかし、私たちが宇宙を取り扱おうと思うなら、私たちはまず宇宙の真実を知らなければならない。
私たちがどこに住んでいるかを知ることは、私たちの近くを改善するための、欠くことのできない前提条件である。
私たちの惑星・地球が重要なものであってほしい、と私たちが願うなら、そのことについて私たちが出来ることがいくつかある。
私たちは勇敢に問い、奥深い答えを得ることによって、私たちの世界を意義あるものにすることができる。
「コスモス」より カール・セーガン
この記事を書いている6月18日の深夜、天の川とその中心はちょうど西の空に横たわって見える筈であるが、これが見えない。
ほぼ快晴で雲はないが、空気の中の塵と、何よりも光害のために星空を見ることが出来ないのだ。
日本では、70%の人が光害で星空をまともに見ることが出来ない、と言われている。
私が生まれた奈良県の吉野では、私の幼い頃には、満天の星を臨むことができた。手を伸ばせば、掴むことが出来るような星々が輝いていたものである。
時間を忘れて星空を仰ぎ見て、吸い込まれるような感覚におそわれながら、宇宙の広大さに畏怖心を抱いたものである。
科学的な知識、教養がなくとも、そこにあるものがかけがえのないものであることは理解できた。
現在の子供たちの疑問も、古代の、好奇心に溢れたひとびとの疑問もおなじである。
「なにか、想像を絶するものが、そこに広がっている」
しかし、それも星空を経験出来るからであり、そこに見えるものが見えないのであれば話はちがう。
夜空を仰いで、星座や星を探しては楽しむ、というような事を私たちの次の世代の子達は経験できなくなるのは悲しいことである。





















