もの描くひとびと、奏でるひとびと -32ページ目

もの描くひとびと、奏でるひとびと

絵画、浮世絵、音楽のこと

みなたん こんばんは(・ω・)ノ

 

くそ暑い日が続きます

酷暑を笑いで吹っ飛ばしましょう!

 

 

サザエさん

 


 

 

8時だよ!全員集合

 


 

 

オマケ

お弁当

 

 

 

 

シンクロムービーで、他にもいっぱいあるので探してね!

 

 

 

 

 

これは「海の日」に投稿しようと思っていましたが、事情があってかなわず、それならば11月1日の「灯台の日」でも良かったかもしれませんが、またまた失念してはいけませんので投稿します。

何度も観た映画で、私が灯台好きになったきっかけでもあります。
海無し県に住む私は、そもそも海には畏敬の念を抱いている訳ですが、その大海原や潮の速い海峡を睨むように、岬の先端や断崖の上に建つ孤高の姿の潔さ。
かつて「ダークシー」と呼ばれ、真っ暗だった日本の海を照らすその姿の格好の良さ。

 

喜びも悲しみも幾歳月って、題名が粋ですね。木下監督が考えたのでしょうか?

この題名だけで全てを語ってます。

 

 


四国最西端に突き出た佐田岬半島の先端に建つ佐田岬灯台(映画には出てきません)

光達距離は約35 kmで、対岸の佐賀関(約14 km)まで十分達する光力を備えている。1966年にはレーマーク・ビーコン( 無線方位信号所は、航路標識のうち電波を利用して位置を知らせる電波標識局の一種。海上保安庁交通部が運用する。電波灯台とも呼ばれている)が併置され、豊後水道と伊予灘(瀬戸内海)の間を往来する船舶の安全に寄与している。




喜びも悲しみも幾歳月 1957年日本映画。
戦前から戦中、戦後にかけて日本各地を転々としながら灯台の安全を守り続けた灯台守とその妻の激動の半生を描く人間ドラマ。

1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻、きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。
全編にわたりカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、公開当時大ヒット作となり、同年の芸術祭賞を受賞した。 

「君の名は」の佐田啓二と「二十四の瞳」の高峰秀子の共演作品。
若山彰が歌う主題歌「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットしました。
監督:木下惠介 出演者:佐田啓二(有沢四郎)、高峰秀子(有沢きよ子)、有沢正子(有沢雪野)、中村賀津雄(有沢光太郎)、田村高広(野津)、桂木洋子(藤井たつ子)、夏川静江(名取夫人)、仲谷昇(名取進吾)、ほか



第一次上海事変が勃発した昭和7年の1月29日、神奈川の観音崎灯台。
父の葬儀のため帰郷していた灯台守の有沢四郎が、新妻きよ子を連れて職場に戻ってきました。

こうして二人の新婚生活が始まりますが、灯台次長金牧の妻が精神を病んでいると知り、きよ子はショックを受けます。
金牧の妻は転勤の多い夫との暮らしにストレスを抱え、さらに我が子までも亡くすという悲劇を経験していました。きよ子は灯台守の妻という重責に不安を抱き始めます。

ある日、きよ子の同級生藤田たつ子が灯台を訪ねてきました。
たつ子には思いを寄せている男性がいますが、その男性はきよ子に一方的な好意を寄せていました。
たつ子は、男性を振って自分だけさっさと見合い結婚したきよ子を許すことができません。
そして、きよ子をなじった挙句に海に身を投げようとして灯台員達に止められます。

四郎はたつ子を追い詰めてしまったと心を痛めるきよ子を元気づけます。きよ子はこの先どんなことが起きても四郎と共に乗り越えてみせると心に誓います。


結婚から1年2ヶ月が経った昭和八年。
有沢夫妻は北海道の石狩灯台に勤めており、きよ子は臨月を迎えていました。

やがてきよ子は四郎に励まされながら出産、無事に長女の雪野が誕生しました。父となった四郎は一層灯台守の仕事に精を出します。
時は流れて昭和10年の正月。きよ子は里帰り先の信州で長男光太郎を出産しました。


そして昭和12年、四郎は日本の最南端、九州の五島列島の先にある女島灯台に転任します。

そこは村から50キロも離れた辺境地で、きよ子は遊び相手もおらず孤独を深める子供達が不憫でなりません。そしてつい夫に愚痴をこぼしてしまい、大きな夫婦喧嘩に発展します。
結局、四郎は灯台に残り、きよ子と子供達は玉之浦の退息所で生活するという別居の形をとることになりました。
四郎の後輩である野津は女島台長の娘真砂子に熱を上げていて、きよ子に恋の橋渡しを頼みます。
真砂子も野津へ好意を抱いていましたが、苦労続きだった母を見てきた真砂子は灯台員とだけは結婚できないと断ります。



傷心の野津を残し、一家は次なる転任先新潟県佐渡島にある弾埼灯台へと向かいます。

昭和16年には日米が開戦します。
ある日、後輩の水出が島の青年達から兵役逃れのために灯台員になったのではないかと喧嘩を売られ、負傷して帰ってきます。
憤慨した四郎が相手先へと乗り込みますが、抗議どころか泥酔して帰ってきて、きよ子を呆れさせます。
ある晩防波堤に立つ灯台の明かりが消えるというアクシデントが起こりますが、四郎と水出は荒れ狂う海に船をこぎだして命がけで灯りを灯し、灯台を守りました。
女島の台長が水の事故により殉職したという知らせが入り、きよ子は台長夫人と真砂子を思い心を痛めます。



昭和20年再び転勤があり、一家は静岡の御前崎灯台にやってきました。

この頃になると戦況は悪化の一途を辿っており、御前崎周辺でも連日空襲警報が鳴り続きます。
ある日きよ子は参加した竹槍訓練で東京からやってきた名取夫人と出会います。きよ子は慣れない疎開先で二人の息子を抱え疲弊する名取夫人を何かと気遣い、家族ぐるみの交流が始まっていきます。

その後、女島灯台で一緒だった野津が新妻の真砂子を連れ、御前崎に赴任してきました。有沢夫妻は二人が苦難を乗り越え結婚に至ったことを心から喜びます。

 

日本各地の灯台は次々と米軍機による爆撃に遭い、金華山、塩屋埼、尾矢崎、犬吠埼、綾里崎灯台などで灯台員が殉職するという悲劇も起こりました。

8月に日本は終戦を迎えます。

野津夫妻は北海道に転勤することになり、飲食店を再開するという名取一家も東京へ帰ることになりました。



時は流れ昭和25年。
四郎は志摩半島の安乗埼灯台に勤めています。東京で飲食店を成功させた名取一家から戦時中お世話になったお礼に雪野の世話をさせてもらえないかと手紙が届きます。
東京の大学に進みたがっていた雪野は名取の家に下宿することが決まりました。



昭和29年香川の男木島灯台。
有沢夫妻のもとに、光太郎が不良と喧嘩した末刺されて病院へ担ぎ込まれたという知らせが入ります。
光太郎の容体は極めて厳しい状態だといいます。灯台を離れられない四郎は断腸の思いできよ子だけを病院へ向かわせます。
病床の光太郎はきよ子に謝り、父の跡を継いで灯台員になりたいと宣言しますが、最期は父さんは偉いなあと呟きながら息を引き取りました。臨終に間に合わなかった四郎は光太郎を守れなかった悔しさをにじませます。


昭和30年、再び台長として御前崎灯台へ戻ることになった有沢夫妻は東京の名取邸へ招かれます。
そこで名取夫妻から長男の進吾と雪野の縁談についての相談されます。
二人の結婚の意志が固いことを知った四郎は雪野を嫁に出す決心をしました。

結婚式が終わり、雪野と進吾がエジプトのカイロに向けて新婚旅行に旅立つ日がやってきました。

 


御前崎灯台に立つ四郎ときよ子は雪野達を乗せた客船に向けて霧笛を鳴らします。
客船からは返礼の霧笛が鳴り響きます。

 

新たな旅立ちの航海の2人を、有沢夫妻は灯塔から見送るのでした。


時は流れて‥

北海道は小樽市の日和山灯台へ向かう斜面を、荷物を持って登る四郎ときよ子の二人。
新たな赴任地へ向かう二人を映し、物語は終わります。

 

 

佐田啓二は中井貴一のお父さん。似ていますよね!

光太郎役の中村嘉葎雄は萬屋錦之介の弟、また二代目中村獅童は甥になる。

雪野役の有沢正子娘も役者になり「新・喜びも悲しみも幾年月」で、母と同じく灯台守の娘役で出演している。

 

 

 
 

しつこく大谷翔平です(笑)

嗚呼、大谷翔平様、貴方がご活躍されるので

世界中のマスコミがネタに恵まれて活況です!

 

大谷翔平選手

シリウス水彩画 特厚口220g ホルベイン水彩絵の具

水彩絵の具は乾くと薄くなる(特に暖色系は)ので、濃い目に塗りましたが、ちょっと描きすぎました。

筆は置きどころが難しいです。足りないのも、過ぎるのもよくありません。

が、私は個人的には、絵は微妙に「足りない」程度が良いものが出来ると思っています。

そもそも、完全に満足の出来映えの絵なんて存在しません。

 

バーニー・フユークスは「私の最高傑作は次回作です」と言いましたし

レオナルド・ダ・ヴィンチは「 Art is never finished, only abandoned. 」

~ 芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。 と言いました。

 

 

大谷翔平トリビアを

 

賞を取ったら、賞金で家族に贈り物をするそう。'16年には父親に車を購入しており、'21年にも、結婚した姉へ車をプレゼントした。 

 

『ロサンゼルス・エンゼルス』に所属し、普段はアメリカで暮らす翔平だが、オフシーズンになると、東京のマンションに滞在する。 「お母さんは、せめて日本にいる間は翔平くんにできる限りのことをしてあげたいと、手料理を冷凍して、片道5時間、車を運転して届けに行っているんです。翔平くんはいつも喜んでくれるそうですよ」(母親の友人) 

 

「翔平くんが中学1年生のときに行われた、リトルリーグの東北大会の代表決定戦でのこと。“負けてもいいから力を抜いて投げなさい”とアドバイスすると、なんと17個も三振を取ったんです。そもそもリトルリーグは6回までしかないので、最大でも18アウト。あまりの結果に相手チームは静まり返ってしまい、異様な雰囲気でした」 

 

花巻東高校に入学した翔平。選んだ理由は3学年上の憧れの先輩の出身校だったため。花巻東高校は、現在メジャーリーグのブルージェイズで活躍する菊池雄星選手の母校。翔平は菊池選手の大ファンだったのだ。

 

「朝は茶碗3杯、夜は7杯分のお米をノルマとして食べていたそうです。取材で“学生寮では、日曜日はカレーだったから、何杯でもいけた”と豪語していましたよ」 

 

好きな漫画は『SLAM DUNK』。野球の練習が終わると、バスケに精を出していたこともあった。気になる腕前は、本人いわく「まあまあうまい」とのこと。 

 

 '18年のレンジャーズ戦に向かうバスの道中、エンゼルスの公式インスタグラムがアップした動画で、翔平が熱唱する姿が披露された。力強い美声から“打てる、投げる、そして歌える”と“三刀流”疑惑が浮上した。 

 

金銭欲も物欲もなく、“無趣味”と自称する翔平だが、唯一“睡眠欲”はあるそう。1日10~12時間寝ると報じられている。特注のマットレスを購入しているうえ、睡眠の質を計測するバンドまで着用する徹底ぶりだという。 

 

メジャーリーガーはベンチでヒマワリの種を食べることが多いが、翔平も例に漏れず大好物。 「あるとき、大谷選手が口いっぱいにヒマワリの種を頬張り、頬を膨らませている姿がテレビカメラに捉えられました。ファンの間では“大谷翔平、ハムスター、もしくはリス説”がささやかれました。殻をベンチ下に吐き出す選手がほとんどですが、大谷選手は吐き出さずきちんと捨てていたため、そのマナーの良さも評価されています」 

タイガーウッズもひまわりの種が好きで、よく食べていましたね! by Kt

 

「日本ハムに入団したとき、普通は出身高校名を言うところを、花巻東高校ではなく“僕の野球の原点は水沢リトルです”と、小学生のころに通っていたリトルリーグの名前を出したそうです。水沢リトルの監督は、それを聞いてうれしさで号泣したといいます。今でも翔平くんは毎年お正月に、監督に挨拶のLINEをするそうですよ」