山科さんの 元亀二年十一月八日 しりやうきのしたおさへ | おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

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(^_-)-サーチ本

 

さあさ( ..)φあせるかたぽちあせる

 

元亀二年十一月八日

 

八日、丙寅、天晴、

中御門来談、

實徳院へ罷向、勸黄門雜談了、次萬里小路へ罷向、酒有之

雜談移刻、次大典侍殿へ参了、

黄昏泉涌寺之役者慈専來、錫擕(携)之、

寺領木下藤吉郎推(押ヵ)之、武家、木下等へ女房奉書可被出

之間、予に御使可存知之由申、傳奏飛鳥井乍父子他行云々、

同心了、酒有之、

巳刻南向葉室へ被行、昨晩迎に彌右衛門來、

※勸黄門…黄門は中納言らしいから、

元亀二年(1571年)、

・勧修寺晴右…1523年生、48歳、

1555年に権中納言、

1573年に権大納言、

・勧修寺晴豊…1544年生、27歳、

1572年に参議・右大弁

 

つまり、黄門さまは

晴右さんですねえ(・∀・)

 

泉涌寺…天正三年(1575年)の十二月に泉涌寺造営の儀を、

公卿四人衆に指示してる書状が出てるねんね、

元亀二年(1571年)からはだいぶ未来のこったね

 

※傳奏飛鳥井乍父子…傳奏役の飛鳥井さんちは、

父子ともすっかり(みんな)、

他に行っちゃったから、山科さんに依頼が来たような…?

 

・飛鳥井雅網…1489年生!!

われらがパパのもとにいらしった飛鳥井さん!

 

1563年には出家して、

1571年には亡くなっちゃうとか…(´・ω・`)ナガイキダ

 

・飛鳥井雅教…1520年生、

1559年には権中納言

元亀二年前後の日記中に出てくる飛鳥井黄門のような(・∀・)

 

・飛鳥井雅敦…1547年生、

1570年一月廿七日の日記の中に、

「今日飛鳥井黄門一讀興行、」があって、

飛鳥中将として参加しとるような(・ω・)

この歌会にはほそべえと一色式部さんもおるとか…ううむ、

 

まとめると、

傳奏飛鳥井乍父子は、

黄門と中将のことかなあ?

 

※巳刻…午前九時~十一時

※南向…山科さんの正室のことらしいよ、

昨晩彌右衛門がお迎えにきて、葉室にいったってさ

実家かな?