天正八年 十月廿二日 指出濟由也、地図つき・其の四 | おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

 

十市さんは英俊の親縁戚…?

あらためて見ると「戚」って

これ以外で見ない難しい漢字やね…

(^_-)-サーチ

 

『多聞院日記』

 

天正八年十月廿二日

 

廿二日、

三藏會堅問幷影供廻請書遣之、仙學房上了、

一 備衛來了、指出濟由也、

一 八千石多武峯、…、

一万九千石當寺、…八百石也、千三百五十石十後室六分一

 

※十後室:千三百五十石六分一…いわずと知れた、

英俊(興福寺)のダンオツ十市さん(・∀・)

なんか小さく「六分一」と書いてあるんだけど、

リンク先の天正四年の記事に書いた「六分一」と関係あるんやろか

まさかいまだに原備に対して何か根に持ってるみたいな…??

 

十市さんは二派くらいいるらしいんだけど、

なんやもめごとも多いみたいな…

 

しめてた場所は、

やっぱ地名として現代残る『十市町(十市城跡もある)』を

中心として

橿原市周辺…かなあ??