<解説、前編>常陸絹衣相論書状集成、天正五年七月九日 ついに!? | おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

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    ことしはきうてんさまのおんとし

「あにき様が五百年なめんなや!!」

 

じ、じゅうべえ…!

まだいたぁ

うるさいなあ

(´・ω・`)

まだ微妙な訛りだし、

 

 

いかれる十兵衛は手負いのトラなので

そっとしておいて、

 

さくっと解説

 

・天正五年 七月九日 鳥居小路経孝書状寫

 【茨城県史料 中世編2】

 

御状拝見申候、仍彼儀江戸殿就未裁断、

 

御状…宛さきからわかるように、

水戸の天台宗薬王院からの報告

 

訳:報告をうけました、

アレに関する江戸殿の未裁断に就いてですね、はいはい、

 

真言宗絹衣着用之由不審存候、於事実者、

 

※不審…疑わしいこと

 

訳:真言宗が絹衣着用してるとの疑いですね、事実に於いては、

 

被着絹衣子細、江但(江戸但馬守重通)御一礼を被取候て、

 

訳:絹衣を着られているとの詳しい事情、

江戸さんが御一礼を取られ(礼式をはらって?)、

 

早々秋中可被差上候、以其上被遂 奉聞、

 

訳:早速、秋中さんを差しあげられるそうですから、

そのうえをもって、御聞き遂げられくだされ、

 

重而 綸旨被申出、可被遣之由候、

 

訳:かさねて、綸旨を出し申され、お遣われになられなさいとのことです

 

去年十一月十四日候哉、従仁和寺門跡、三条殿を以、

 

訳:去年(天正四年)十一月十四日でしたか、仁和寺門跡さまから、三条西どのをもってして、

 

信長へ戒光院御成敗之儀不相届候由被仰掠ニ付而、

 

訳:信長さんへ、戒光院御成敗之儀を相届けずの由

(※離山された深増を復権してほしいとのこと)、

掠め仰せられたにつきまして、

 

つづきは次回(`・ω・´)