滝川一益の逸話シリーズ11 | おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

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    ことしはきうてんさまのおんとし

 

 

『訳文大日本野史 第2』

これは一級史料じゃないからって、あんまり重視してもらえないらしくて。

そのせいで、尾張統一目前という時期に、

大軍を率いる大将というよりは少将として活躍したらしい、

たっきーの珍しくて貴重な戦時風景をも、

取り沙汰してもらえていない。

 

ので、わしがここに抜粋したる!(`・ω・´)

岩倉城がおつるときのこと。

 

永禄元年、信長、分国の畔者を平夷す。一州の大半歸属すと雖も、

丹羽郡岩倉城主織田信知は信安の子なり、情弱にして荒淫なりと雖も、

左右或は騙勇なる者、斎藤義龍と謀し合せ、將に亂を作さんとす。

前の守護斯波氏の族、及び智多・石橋・吉良等之に黨(党)す。

信長之を聞き、森可成・坂井政尚・瀧川一益・飯尾定宗等をして、

五月浮野に戦はしめ頗る利有り。

 

七月、信長自ら兵二千餘を率ゐ、岩倉を攻めんと欲して浮野原に至る。

続信清又た兵一千餘を率ゐ、犬山城を出でて来り之に加はる。

而して城兵三千鬨を發し、喚呼して

邀戦(ようせん・まちうけて戦う?)す。信長令を傳へて隊を進め、

撃って之に克ち、遂に城際に薄(せま)りて威を視(しめ)し、

兵を南北に分ちて而して去る。城兵信清が寡軍を望見し、

浮野川を済り(わたり)、城を出でて追躡(ついじょう)す。

信清援けを乞う。信長悦び、急に騎を返し、横撃して城下に逼(せま)り、

首を獲ること九百餘なりと云ふ。

 

二年正月、信長復た岩倉を攻め、

火を郊外に縦ち、二廓に偪り(せまり)て柵を附け、而して糧路を断つこと

三月に逮ぶ(およぶ)。城中勢屈し、遂に壁を棄てて遁れ走り、

城陥る。

是の月、信長兵を率ゐて科野城(春日井郡)を攻む。

 

この年の夏、桶狭間にて今川義元果てるというわけである。

 

たっきーと打って出てるのは、

若輩の三郎からしたら頼りになる先輩格の渋い面々だね。

特に飯尾さんは、親世代かな。

 

たっきーやっぱり鉄砲隊率いてたんだろなあ…

岩倉攻めにそんなに時間かかってたなんて…

 

これらの尾張統一戦にたっきーもいるに違いない!

な、ふぁんの熱い気持ちを汲んだこういう書を

ギュウイチが書かなかったからって、

無いものとして封印・否定してしまってはフシアナだと思う。