瀧川左近は奏者の代表でござい益 | おらのなにがし

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    めめんともり

はい、たまには希少な史実に浮き彫りなたっきー像を見ていきやしょう!

 

徳川実記より

 

これより織田家と講和の議は起りしなり。

水野信元が織田家に申すゝむるにより。

尾張より瀧川左近将監一益もて。

石川興七郎数正が許に和議の事いひ送りしかば。

 

これは桶狭間で義元が終わった後の、

永禄4~6年(1561~1563年)のアレ。

ゾクに言う清州同盟の前交渉。

 

ここは村井とか林とかが出てきたって良さそうなとこをね、

なんだかんだ敢えて、

たっきーですよ!

こんな重要なシーンに奏者してるのは。

 

もうずいぶん前から松平家とも懇意で、

イケメンなだけじゃなくて、

礼儀作法も板に付いとるわけで、

そもそも、てつはうもだけど、交渉も大得意で、

説得力が120%なわけで、

 

世代や立場が近しい忠次(ちゅーじ)とも、

「瀧左殿の華麗な鼓に拙者の痛快なえびすくいは劣りゃしませぬ」

きっと話に花が咲くわけで、

 

「ま、あにじゃ頼むわ!」

って吉法師三郎も悩まず言っちゃた感じなわけですね。

 

「事実あの頃の拙者の走舞ぶりは思い出すも地獄…勘弁してくれ」

 

あらら(`・ω・´)

何やって盛り上げたん?たっきーってばあ…若気のいたり?

いいのよいいのよ。

そんなたっきーが大好き!