以前言ったように、妖精さんと私の間では大衆を分類したり、その分類に名前をつけたりして大衆について考察することは我々の生活の一部である。
近頃では、私がかつて大衆を全てイモと呼んでいた如く、大衆全般は『ババア』にとらわれているという一つのシンプルな帰結が生まれた。
早合点しないでいただきたいのは、以前に使っていた『ババア』という名称と同一視してはならないこと。
名称として用いているので、テーマあるいは分類としての質は同じだが、その内容は複雑で、単なる名称として用いるには不適当なくらいに完成されたものだからである。
その『ババア』という帰結を解説する前に、ひとつ、最も重要なことを言っておく。
それは、我々のように互いに幸せを確信できる人以外はほぼ『ババア』であるというのが事実であること。
あるいはこうも言えよう。
世の中の大衆どもは『ババア』という幻想に支配され、洗脳され、とらわれているというのが事実であること。
この世は実に『ババア』教育が盛んである。
特に、経済すなわち消費社会の発展とともに、『ババア』教育は、識字率や計算力を高める教育よりもずっと効果を上げている。
では、『ババア』とは何か?
まず、我々が『ババア』に感づき始めたきっかけとなる、初級『ババア』を紹介しよう。
それは実に、皆様方にもどこかしら共感していただけるような、普遍性の高い『ババア』であると思う。
1化粧が厚い人。
2車の運転が下手で、周りを見ない人。
3ブランド品(ルイビト●、コ~チ、プ●ダ、等)の、センスを微塵も感じられない鞄をたずさえ、不釣り合いでこれまたセンスを問う余地のない格好(たとえばユニク●風の服を着ていたり、あるいは十代くらいで若い)の人。
4貴金属を、たいして必要ないのに欲しがる人。
5説得力が無いのにおしつけがましい人。
6外食時に気取ったカフェかイタリアン、あるいは高級レストランじゃないと許せない人。
7やたら温泉だの旅行だのに行きたがる人。
8鼻が曲がりそうな強烈な香水を振りまいてる人。
9女性の品●とか読んで(読まなくても)影響受けたり妄信するバカ。
さて、この列挙だけ見ると、以前書いた『ババア』とさほど変わりのない内容のようにも思えるが、注意すべきはこれが、あくまでも導入部分の扉ていどであるということである。
つまり、『ババア』の真髄はこういった目に見えるだけのものではない。
今回はこの初級『ババア』に、我々の帰結点に少しでも繋がる道を拓くべく、『ババア』の考え方の手ほどきにもなる解説をつける。
残念ながら丁寧過ぎる解説になるので、今回は1のみにしぼる。
1について。
厚化粧にはどんな意味があるのか。それをまず考えてみよう。
さらに、化粧とは何なのか。
化粧は『ババア』教育のひとつである。
これでは皆様には理解できないだろう。
化粧のねらいは何か?
自信をつけるため。
言い換えると、『ババア』教育によって、素顔への自信を持ってはいけないと植えつけらているのである。
素顔でいるのは恥ずかしいことであると植えつけられるのだ。
もっと消費社会に即して言い換えると、『お金』をかけない素顔でいるのは恥ずかしいと植えつけられている。
それは、日焼け止めに始まり、にきび隠し、おしろい、おしろいで白くなった顔に目が埋まってしまったから目張りをいれ、唇や頬にも紅をさし、時には眉毛を削って描き改め、……などなど、始まったからにはどうやら特殊メイクを目指す勢いである。
残念なことに、化粧というのは、必ずしもその見た目をより良くするとは限らない。
そこには技術とセンス、あるいは元来有している自信が必要なのだ。
結局美しさに不可欠なのは、作ることができない持ち前の自信なのだ。
つまり、化粧しようが金かけようが、自信が無い人間があがくのは醜いもの以外の何者でもない。
しかして、自信が無いと思い込まされている『ババア』諸君は、金をかけた化粧によって肌を荒れさせ、金のかかったスキンケアを化粧品販売員にすすめられ、金のかかったスパイラルから出られなくなるのである。
それが、美しかった素顔を覆い尽くし荒廃させる、世にも奇妙な(厚)化粧にいたるのである。
誰かに、「化粧、やめたら?」と言ってもらえることを心のどこかで夢見ながら。