やっほー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どうだろうか、このイントロ。

サイコーだ!笑

 

絶妙にダサいタイトル(サブタイトルまでついている!!)

画像にマッチしすぎている強めのフォント(赤の縁取りつきだ!!)

からの「やっほー」

 

 

もう一回やってもいいだろうか。

 

 

 

 

やっほー!!!

 

 

 

 

もう誰にも止められない。

ポムブログの復活を予感させるサイコーのイントロだ!

 

僕は「やっほー」と書いた下書きをプレビューしてみて確信した。

 

ここにいてもいいんだ!

(おめでとう拍手)

 

 

 

 

 

ということで今回は僕が初めて青森に行った日の思い出話です!

 

 

目キラキラ

 

 

僕がお店を作ったのは2014年、初めて青森にりんご訪問に行ったのは2017年。

お店を作ってから3年間毎日りんごを触っていた僕にとって学びと発見の連続だった!

このブログを書いている今は2023年だが、いまでも青森の匂いはすぐに思い出せる。

初上陸を果たした2017年の思い出は鮮明だ。

 

今回はそんな2017年の青森学習旅行を写真で振り返ろうというよくあるやり口だ。

 

まずはどうして青森に行くことになったのかを説明しよう!

それには二人の重要人物の存在を語らなくてはいけない。

 

 

 

・りんご飴マン

青森県の弘前で初となるのスタバの一番目の客。前日夜から徹夜で並んでいたため「目覚めがいいから」という理由でオレンジジュースを購入した。

写真は本人のブログより。キッチンカーでどこかの駐車場に乗り込んでりんご飴を作った時。

 

・まるみ農園の七戸(シチノヘ)さん

農家になる前はいろいろな所でいろいろな事をやってたスーパーマン。膀胱が破裂した時に「お腹が痛い」と自分で歩いて病院に行った。

写真は「僕達の仕事も体験していただきたい」と無茶なお願いに応えてもらい、りんご飴の製造体験をしていただいた時。

 

 

 

りんご飴マンはポムダムールトーキョーのオープン前夜に新宿店に突撃してきたヤバい奴だ。

 

 

というのは冗談で、お店の取材にきてくれた。

その時の記事は探せばどこかにあるかもしれない。

ぜひ探してみてほしい!

 

といっても探す人はいないだろうから今探してみよう。

9年も前のブログだしもうな…

 

あった

今読むと懐かしくて泣けてくる…。

 

それきり僕は飴マンと会うことはなかったのだが、心の繋がりはずっと感じていた。

そして時が経ち…僕が初めて百貨店の催事に出店する時に再びお世話になった。

 

 

飴マンは東京にいたのだが、りんご飴を通して青森にゾッコンになり、青森に移住していたのだ。

僕は当時仕入れ先などを持たず(りんご飴専門店に信用がなくて持てなかった)、自力で近所の八百屋やスーパーと交渉してりんごを仕入れていた。

そんな時に名古屋高島屋から出店依頼がきて、りんごの仕入れという現実的問題にぶち当たった。

 

その催事のブログはこちら↓

 

そして藁をもすがる気持ちで相談したのがりんご飴マンだ。

りんご飴マンに事情を説明すると知り合いの農家さんたちにすぐに連絡をしてくれた。

その時に飴マンが話を持って行ってくれた農家さんの一人が二人目のキーパーソン、七戸さんだ。

 

じつは七戸さん、この百貨店催事の時は忙しい時期だったこともあり対応してもらうことができなかった。

 

しかし、その翌年に新宿本店に来てくださった。

覚えてくれていたのだ!

 

カウンター席に農家さんを案内したあの時の緊張感は今でも鮮明に思い出せる。

一口、そして一口、りんご飴を味わってくれた。一番認められたい人、届けたい人が目の前にいる興奮。

 

そして一言、

 

「ン〜!おーいしいね、これぇ!」

 

少しだけ青森の訛りが入った、温かい口調だった。

そして七戸さんは僕に「りんごのことを学んでほしい」と言った。

この日から、僕の先生になった。

 

そして実現した青森上陸!というわけだ。

 

 

 

1日目

1日目、新幹線で青森に到着すると七戸さんが迎えに来てくれた。

なんと全ての行程を七戸さんが企画、案内してくれたのだ!

一年中大忙しの農家さんが当時右も左もわからなかった僕につきっきりになってくれた。

僕は一言も聞き逃さず、1秒も無駄にせず、見るもの全てを学ぼうと決心した!

 

そして僕は七戸さんの運転する車の中で、寝てしまった。

(バカヤロー!)

(言い訳させてくれ!青森の広々とした空、乾いて温かい空気がそうさせたのだ)

(毎日12時間、300連勤でも400連勤でも休まずにやってた頃だったんだ)

(なんとか耐えた。でも確実にバレていた!!)

 

 

 

津軽りんご市場

そんなバカタレの僕を乗せた車が最初に到着したのはりんご市場だった。

積み上げられた木箱!りんごシーズンを心待ちにするようにも見える

 

これまた壮観なパレット!

 

りんごのシーズンになるとこのパレット一枚にりんごいっぱいの木箱が10箱以上積み上がることもある!

 

この時は完全なシーズンオフ(つがるがまだ青い)だったためりんごいっぱいの市場を見ることはできなかったが、僕が日頃触っているりんごもここから始まっているんだという実感があった。

 

今思えば七戸さんは僕に「この場所にりんごの残響を感じるか」を教えたかったのかもしれない。

 

…考えすぎか。

 

 

 

 

次に向かったのは

日本最古のりんごの樹

樹齢127年(当時)の青森県指定文化財でもある【りんご樹】だ。

 

さあ、みんな、心の準備はいいか!

 

 

これこそが!

 

 

日本最古の!

 

 

りんごの木だ!!!!!

紅絞(ベニシボリ)

原産地は未詳、フランスリンゴ実生の可能性が高いが、詳細は不明。

 

祝(イワイ)

おじいちゃんおばあちゃん世代には馴染みのあるりんごなんじゃないだろうか。今ではほとんど流通しない。早生種なので夏に収穫される。

(実はこの祝には裏話が…貯蔵に向かないりんごだがCA貯蔵で強制的に冬眠させ、長期貯蔵後に開封すると味わい、食味が大化けするという噂があるのだ…いつかお願いしてやってみてもらおう…。)

 

ちゃんと実もなる。生きているのだ。

 

文化財を管理されている農家さん、そして七戸さん。

僕はお二人の背中越しに日本の歴史を背負い続けているりんごの木を見た。

 

僕もやるからにはりんご飴でりんごの歴史を共に歩む!

と心に感じた瞬間だった。

そう期待されている気がした。

 

…考えすぎか。

 

 

そして初日の最後に向かったのは

丹代青果株式会社

ええ。緊張の頂点です。

 

僕は冒頭でも言ったようにりんごの仕入れは自力でやってました。

当時はそれもけっこう限界で…しんどかったのです。

しかし個人事業(組織の形が"会社"じゃないということ)だった私は社会的信用もなく…。卸や青果店との正式なお取組みは断られていました。

 

「お問い合わせありがとうございます。お気持ちは重々お察しいたしますが、弊社は個人様とのお取組みは行っておりません。」

 

という感じだ。

 

丹代青果という会社は知りませんでしたが、段ボールを見たことはありました。

 

この段ボールのりんご使ったことある!!

ここのだったのか!!

 

僕はそれがわかっただけでも嬉しかった。

なんだか、りんごの家に訪問した気持ちです。

僕は選果場を見学させてもらい、巨大な倉庫の中に入らせてもらいました。

 

写真がないのが残念なのですが、すっごい感動した!

ひとしきり見学させてもらった後、丹代成果のOさんと七戸さんと3人でソファに座り、いろんな話を聞かせてもらった。(お茶もでてきた!会社ってスゲーーー!)

 

りんごを市場で買い付ける難しさ、選果の方法や注意点など、りんご飴を作ってるだけでは絶対に気づけないことの多くを学ぶことができた。

 

これは大収穫だ!と思っていた時、七戸さんが切り出した。

その時の様子を記憶を頼りに書いてみよう。

 

七戸さん「んでさ、池田さんとお取り組みってできないの?」

 

僕「(えぇぇぇ…!ま、ま!)」

 

Oさん「ん〜、池田さんとこってぇ、だいたいどのくらいつかうの?(青森のイントネーションだ!)」

 

僕「1日このくらい、休日だとこのくらい、この時期だと一個◯◯円ほどで八百屋さんで買ってます。キロっていう単位の取引はわからないです。」

 

Oさん「八百屋で買ってるの!3年も!笑」

 

僕「お店まで運ぶ途中の横断歩道で100個くらいぶちまけちゃって、それをたまたま配送の人に見られてて、そこから運んでもらってますけど…。」

 

Oさん「あはははは!笑 じゃあ書類書いてもらうのあるから送ればいいね。(事務に向かって)あれ、個人で取引って書類同じだっけ(もちろん青森のイントネーションだ!)」

 

僕「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」

 

Oさん「どんどん大きくしてぇ、たっくさん売ってよ!リンゴアメクリエイター!(すばらしき青森のイントネーションだ!)」

 

七戸さん「(ニコニコ)」

 

だいたいこんな感じだった…。

そこから僕はポムダムールが会社になっても丹代青果さん一筋でお世話になっている。

(僕はこの日ある理念をOさんから教えてもらった。"絶対に"という言葉から始まる厳しい口調で、愛に溢れていた。僕はその学びを今もりんごに触れる時、りんごを通して人に触れる時に大切にしている。)

 

りんごがお客さんの元へ届くまでに多くの人の手を渡る。

僕はソファーに座ってOさんと七戸さんに

 

「入口から出口まで答えが変わらない伝言ゲームをしたいんです!」

 

と自己紹介したことは今でも覚えてる。

お二人とも僕の顔をバシッと強く見守ってくれた。

 

実は3年間お世話になっていた八百屋さんは閉店がきまっていたタイミングだったので、この日の出来事は本当に奇跡の喜びだったのだ。

 

 

 

 

そんなこんなで丹代青果さんを後にした七戸さんと僕。

車の中でもいろいろなお話をした。

りんごの未来、農家の未来、どれもこれも重大で、深かった。

そして明日が旅の最終日となる。

 

七戸さんと街の方へ向かい、美味しいご飯をいただいた。

七戸さんはとってもグルメ。ここもおすすめのお店だ。

めちゃくちゃ美味しかった!人生初のホヤにもチャレンジした!

 

そしてスペシャルゲストが合流してくれた!!

 

 

りんご飴マンだ!!

りんご飴マンと再会!!

(一応説明すると、りんご飴マンは向かって左だ)

 

久々の再会を果たした我々。話が尽きなかった。

あれからお互いの身に何があったのか。

心の距離は変わっていなかった。

笑顔のツーショットだ!!

 

 

 

 

次回!

僕と青森の物語(後編)

旅もいよいよ最終日!

どんな出会いが待っているのか!

頑張れりんご飴クリエイター!

 

こんなに長くなると思わなかったぜ…。

 

乞うご期待!