今月からトレーニングとして続けることを目的に演技WSをはじめたわけですが、昨日が6月WSの最終日。
色んな方に参加して頂き嬉しい限りです。
WSが終わった後も都合がつく人と飲みに行ったりするんですが、演技の話ばかりで終わりがない。
それほど今、自分にとっても発見があるということだと思う。
話すことで自分の中の曖昧な部分を一つ一つ明確なものにしていったり、疑問を洗い出したりしようとしているとも言える。
何にしても、今のこの基礎づくりが僕の中で今一番しっくりきており、現実的であると感じているのでしょう。
現実的、これが大事です。
俳優として自らトレーニングを受け、体感したからこそのものであるから、僕の中で特に疑いはない。
むしろ毎回のように、自分がやっていても発見があり、また、目の前で俳優を見て、彼や彼女が生きているその瞬間は本当に美しいのです。
見ていて心が動かされるのです、実際。
例えばメソッドなんて言うと、ここは日本だ、ロシアでもハリウッドでもないって思うこともあるのかもしれない。
でも僕の演技は、いつだって書籍化されている様々な方法論、今までの舞台や映像における実践、先輩・俳優仲間とのコミュニケーションの中で培い、盗み、蓄積してきたものだ。
しかも、それらがろ過されて、純度がより高いものだけが選ばれていっているはずだ。
一つの方法論を疑いなく鵜呑みにしたりもしないし、逆に全部が全部使えるなんて思わないし、でも全部使う気で読み込んだりするし、そこで一か百か、右か左か、なんて堅くて損な考え方はできない。
だって、自分が素晴らしいと感じたそれは、今確かに素晴らしいのだから。(明日は知らない)
日本人だから、日本の著者が書いた手法が正しいということもない、海外のメソッドだから何より素晴らしいわけでもない。
自分に合うかどうか、自分がどこに行きたいかというベクトルに沿っているかどうか。
単純に僕が個人として目指すのは、それが観ている人を魅了できる演技かどうかだもの。
方法論が方法論として語られることに意味はないと思うので、僕は実践で使える演技のための訓練としてより有効と思われるものを続けていきたいと思うのです。
昨日と今日で考え方はプラスされ、さらにろ過される・・・
吸収と実践を繰り返してばかりしている今はその連続。
でも、その蓄積が増えることはあっても減ることはない。
行動と継続。