「動かなきゃ」と思うのと同じ力で「動きたくない」という力が働く。
自分にとっての当たり前のレベルが「そこの程度である」というラインがよく見える。
比較的やりやすいことにはすぐ手が伸びるし、ヨイショと腰をあげねばならないことにはその分の力を使う。
止まっているのが嫌い。
進歩のない時間が嫌い。
それなのにいつも「その程度」の上に行くために頑張るのは、未熟ゆえである。
未熟だから頑張らないとラインの上に行けない。
例えば俳優として…というわけではないかもしれないが、小説を読むことを一つの小さくも確かな進歩として、それを目の前のすぐ実感できる進歩の対象として認識しているがゆえに、小さな満足をする。
そこに溺れる。
本当にやるべきはその他にもあり、その他のことが実は大事な要素であったりするのだ。
でも実際はどうかが問題なのである。
自分が興味を持つのは人の行動であり、それによって得た経験・結果。
これは個人的なものだが、舞台と人生はやはり何ら変わらないのだと勝手に思う。
基本、動くところに焦点が集まる。
それはつまり、自分が止まっていたら逆のことが起こる。
ブログを更新しなければ目に見えて閲覧数が減少するように。
自分の変化は大事なことだ。
でも環境が変化してなければ、僕にとって進歩ではない。
止まっているのが嫌い。
進歩のない時間が嫌い。
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