不在 | POM-C-ISM ~松木円宏のブログ~

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俳優・松木円宏の個人ブログ。
日々、この広い世界に小さな足跡を残していくのです。

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俳優は孤独と戦わなければならない。

俳優を志す人なら一度は聞いたことがあるんじゃなかろうか。
かの藤山寛美がそう言っていたというのが、僕の知る最初の情報であるが、伊東四朗さんも何かで同じことを言っていた。
ここで言う「孤独」とは仲間がいないことではない。
役作りというものが、その本質的な部分で自分一人の作業であるということだ。
誰かがこんな風にやってみなって言って、それを消化せずただ真似して舞台に持っていくような作業ではない。

藤山寛美が自分の共演者にこのセリフのこの気持ちなんだけどどう思う?なんて絶対聞かなかっただろう。
それはつまり、俳優の作業における「理解者の不在」というところに行き着く。
理解してくれと外に投げかけることもできず、ただ溜め込み、助けを求めたくても、そこからさらに溜め込み、呼吸が苦しくなっても、まだ溜め込む。
最近は、現場でみんなで話し合ってなんて傾向もあるみたいで、そんなこともないような気がしているけど、本質は変わらない。
誰にも話せないという経験は、俳優の仕事に限らず誰でも一度は、短い期間でも経験があるのではないだろうか。

ただ話を聞いてくれる人ではなく理解者。
何でも話していいんだと思える存在。

その不在。

熟練した人ほど孤独を感じていくように思う。
また、大きな構想や悩みがある人ほど孤独と対峙していくのではないかと。
ちなみに、つぶやいたり日記に書いたりしてすぐ発散できるものは、それらもまたある意味理解者の不在なのかもしれないが、その大半が自分をかまって欲しいものだと思う。

自分には「孤独」をぶつけられるメンターはいない。
気の置けない仲間はいるけれど、機械的な言い方をすれば役割が違う。
「孤独」の先に何か見えるものがあるのだろうか。
まだ「孤独」というには浅いものであるけれど。
30代半ばに入ったら開き直れるなんて話を聞いたことがあるが、開き直ったらおしまいな気がした。


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