IB教育 考える力
波頭亮氏(マッキンゼー)は、考えるを次のように「定義」している。
考えるとは?
1 インプットを行う
2 インプットされた情報を整理する
3 整理した情報を繋げる
マッキンゼーでは、上記1~3を考えるとして、これ以外を悩む(マッキンゼー的には時間の浪費)としている。
ここからは「考える力」について教員を観察した感想になる。
1 インプットを行う
平たく言えば「『読書』等をするか?」というような話になる。
これは日本人一般にいえることであるが「勉強をする大人は稀」である。
教員も同じだ。
まず、この段階をクリアできない大人が大半になる。
次の「2」に繋がることであるが、IB教員は抽象的に「探求」「探求」と繰り返し言っているが、その具体である「読書」等をしていない。これでは教員は、「探求」をきちんと理解出来ていないと評価するしかない。
下記の記事に『「学べ」という教師が「学ばない」現実』という指摘がある。
教員が学ばないのは世界共通の課題のようだ。
マレーシアでは、なぜ「教えない教師」が優秀とされるのか、納得の理由とは? | 東洋経済education×ICT | 変わる学びの、新しいチカラに。 (toyokeizai.net)
2 インプットされた情報を整理する
ここには「具体と抽象」が含まれると思う。
他校の教員になるが「たくさん読書」をしている教員がいた。
ところが考える力が皆無に近かった。
このひとは「具体と抽象」が出来ないようだった。
波頭亮氏を引用すると「ディメンションを統一すること」「クライテリアを設定すること」が出来ていないため思考や議論の不能状態になっていた。
しばしば大学生がコピペのレポートを提出するという話を聞く。
このような大学生はズルをしているのではなく「具体と抽象」の能力が無いのだと思う。
インプットまでは出来るが、その先が出来ない。
この能力(具体と抽象)は、後天的に身に付けることができるのだろうか?
これまでこれが訓練により出来るようになったという研究を見たことが無い。
逆に出来ないという研究もみたことがないが・・・。
個人的には、後から身に付けることは非常に難しいのではないかと感じている。
上記「1」のインプットを行うは「読書習慣を身に付ける」というような解決方法がある。
しかし「2」の情報を整理する(具体と抽象)は解決方法が無いように思う。
何か努力をすると「具体と抽象」の能力があがるとはなりそうもない。
このことからIB教育では採用した教員の能力の底上げをするということは非常に難しいと考える。
「具体と抽象が出来る。」
「抽象のまま思考できる。」
これができると通常は年収が高くなる。
これをクリアできる人材は、いまの給与水準では教員にならないと思う。
3 整理した情報を繋げる
ここまですべて出来るとやっと「自分の意見」(考え)が生まれる。
これは「相関関係」や「因果関係」などのことだ。
この能力「3」については、根気よく取り組めば身に付くような気がする。
ただし、「1」を怠る程度の根気では到底身に付けることは出来ないと思う。
また、「2」が怪しいひとも「3」を身に付けることは難しいのではないか。抽象を抽象のまま思考することが出来ないからだ。
こうやって並べてみると「優秀な生徒は教員に頼らなくても『考える力』が身に付く。」感じがする。
現在、採用されている教員の役割は、いわゆる指導ではなく、生徒がもともと持っている能力を伸ばすための環境を整えるということになると思う。
ただし、教員が「考える力」を持っていない場合、生徒は効果的にIB教育からバカロレアの得点につなげていくところができない。(バカロレアで高得点を目指すことの是非という論点はあるが・・・)