『調律師のるみ子さん』の解釈をやってみた!! | ポリプのブログ

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 私は高校時代現代国語という科目の授業についてどうもこれといって興味が持てませんでした。

 

特に小説というカテゴリーを授業で面白く習った経験が無く釈然としないまま、何となく中途半端なまま卒業してしまいました。

 

現代国語の勉強に今一つ身が入らなかったのはきっと数学のように明確な答えが無く答えが曖昧のまま終わってしまうからでしょう。

 

けれど母国語の文章読解はすべての勉学において基礎となる科目。

 

このままで良いのかという気持ちが沸いて先日NHK高校講座の文学国語のサイトを開いて聴講してみました。

 

第1回講義は教科書のトップに出てくるいしいしんじ著の『調律師のるみ子さん』というごく短い短編小説でした。

 

講義では小説を読むための各テクニックが示されていました。

 

語り部や視点人物や象徴や空所など小説を読み解くための手がかりが示されていました。

 

小説というのは、少なくともプロによって書かれた小説は出てくる表現や事物にそれぞれ伏線としての意味があり計算付くで書かれていると知り目から鱗でした。

 

この『調律師のるみ子さん』という作品は教科書のトップに選ばれるだけあって小説の手本のような作品であり短い物語の中に小説の基本テクニック、そのエッセンスが随所に詰め込まれていました。

 

しかし解釈は一筋縄ではいきません。

 

特に主人公のるみ子さんが調律のキーになるA音だけわざと1音外しておく理由がハッキリつかめず解釈に行き詰まってしまいました。

 

そこで解釈の手がかりになるヒントを求めてネットを検索してみるとツイッターで高校生が作者のいしいしんじさんに率直に疑問をぶつけているツイートが見つかりました。

 

そしてそのストレートな疑問に対していしいしんじさんが丁寧に返信しているツイートがありました。

 

以下がそのツイートと返信です↓

 

 

 

 

 

そこでいしいしんじさんの言うるみ子さんの心の動きを自分なりに推測し解釈をしてみました。

 

以下が私の試みた解釈です--------------------------------------

 

事故で右手の人差し指と中指が欠けてしまいまともなピアノが弾けなくなった不具者のるみ子さんにとって完璧な調律をすることには心のどこかで抵抗があるのではないでしょうか?完全な物に対する憎しみや嫌悪感のようなものが。いや、完全な物に対する憎しみだけではなく恐怖心があるのだと思います。

 

たとえ指が不完全でもピアノは響く。完全な調律をすれば自分の不完全な指による不完全な音がまざまざと浮かび上がってしまう。完全な調律をすれば自分の不完全さ、その障害が自分の目の前に暴かれてしまうことになる。この時点のるみ子さんにとって自分が障がい者であることをピアノの前で突きつけられるのが怖いのです。

 

そういったネガティブな心理によって完璧な調律をすることにためらいが生じ少なくとも最初から完璧な調律をする気にはなれないのだと思います。

 

もちろん調律師ですから依頼主にA音の狂いを指摘されれば直します。ただ最初から完璧な調律をすることに抵抗感が働いて普通の耳の人にはわからない程度にわずかに音を外しておくのだと思います。

 

微妙にネガティブな心理が働いてほんのわずかだけA音の音だけ外す。ただ音全体を狂わせる気にまではなれない。音楽家としての自分の世界を根底から壊すことは出来ない。このA音外しという中途半端な行為にこの時点のるみ子さんの中途半端な心の状態が表れているのです。事故後の自分の障害を受け入れられず鬱屈した心理を引きずっていることがA音外しという行為に表れているのです。

 

作中でるみ子さんの容貌は「穏やかそうに見える・・・」と描写されています。「穏やか」ではなく「穏やかそうに見える」という表現があえて使われているのは穏やかそうに見えて実は内心は穏やかでは無いという意味が含まれているのです。

 

るみ子さんは事故で指を失った後ずっと穏やかならぬ心の状態を引きずっているのだと読み取れます。

 

いずれにしても事故後障害を背負っていることを頭ではわかっていても心が受け入れを拒んでいる中途半端な心理状態がずっと続いているのは間違いありません。

 

今回の依頼主の老人にはわざと外しておいたA音も直しています。るみ子さんはこの時点でのプロの調律師の矜持にかけて完璧に音の合った調律を施しています。ただ老人が求めていたのは完璧に揃えた音程ではなかった。

 

最初の調律の後「あなたご冗談でしょう。」という想定外の言葉にるみ子さんはショックを受けます。「るみ子さんは頬を打たれたような表情になり・・・」という表現に思いがけなかった老人の反応に戸惑うようすが描写されています。

 

それで再度A音まで含めて慎重に完全な音合わせをします。

 

それにも関わらず「お話になりませんな。」と老人は言います。その言葉に対して「音は全部合っていますよ。」とるみ子さんは顔を真っ赤にして反論しましたが「そういう問題じゃない。」と老人は明確にるみ子さんの完全に音を合わせた調律を拒否します。

 

今回の調律は年季の入った古いグランドピアノということです。そしてその慣れ親しんだ年季の入ったグランドピアノをこよなく愛する老人が依頼主であるという点に読者は注意を払う必要があります。

 

「これじゃあピアノがかわいそうです。あなたはほんとうのところ、ピアノのことが、あまりお好きではないようですね。」という台詞に年季の入った古いピアノをこよなく愛する老人の気持ちが表れています。

 

るみ子さんが調律をしている最中に「老人は杖を突き、居間を出たり入ったりしています。」という描写があります。るみ子さんの調律によって自分の古いグランドピアノが慣れ親しんだ音からドンドンかけ離れて行ってしまっていることに心配になり落ち着かない老人の様子が伺えます。

 

ウイスキーで言えばアメリカのバーボン作りにはその独特の深い味わいを醸し出すために年季のはいった樽が必要だと聞きます。それでアメリカのバーボン製造会社はイギリスのスコッチで使い込まれた中古の熟成した樽をワザワザ輸入して買うのだそうです。

 

それと一緒で年季の入ったグランドピアノには新しいピアノには出せない固有の音の響きがあるのでしょう。古いグランドピアノ独特の味わい深い音の響きがきっとあるのだと思います。この老人が愛している音があるのだと思います。

 

るみ子さんはそこに思い至ってその年季の入ったグランドピアノ固有の魅力ある音の響きに重点を移した調律をすることを思い立ち後日老人宅を再訪問してあらためて再度調律を行います。多少音程に狂いが生じても音の響きを重視して古いピアノの持ち味を引き出したのです。

 

基準に合わせて正確無比な音程に合わせるだけが調律ではない。完全に音を合わせた調律は場合によってはピアノの個性、持ち味を殺してしまうこともある。多少微かに音程はズレてもそのピアノに合った音の響きを引き出す調律もある。少なくとも依頼主の老人はそれを望んでいた。

 

そしてそれはそのまま人間にも当てはまる。それが最終的にこの物語の核心になっているのです。

 

人間に当てはまるというよりこの物語に出てくる古いグランドピアノの調律は人間の心の有り様の比喩なのです。

 

きっと現実の調律とは別次元の話であり調律の形を借りて人間の心の有り様を比喩として表現しているのだと私は解釈します。

 

その話の前にるみ子さんがその老人の要望を理解する過程の解釈をしましょう。雨の日に古いピアノソナタのレコードを聴いているうちに各ピアノ演奏者のそれぞれ固有の魅惑溢れる音の響きにあらためて気づき老人の望んでいる調律がなんなのかにるみ子さんは気づいたのです。

 

そして列車事故の時助けた少女が成長してケーキ職人になり初めて作ったチョコレートケーキを送ってくれるエピソードが挿入されています。そのチョコレートケーキにはスポンジの繋ぎにそのケーキ職人の善意の工夫が込められていました。食べる人に美味しく食べてもらうための配慮がなされた100%純粋で前向きな善意の工夫が施された繋ぎが。るみ子さんの鬱屈した歪んだA音外しの工夫とは正反対の純粋で前向きな善意の工夫の繋ぎの入ったケーキ。そのケーキを半分以上食べることによってるみ子さんの心境が180°変わることが暗示されています。純粋で前向きな善意の象徴であるケーキを体内に取り入れたことでるみ子さん自身が前向きな心境に切り替わり他者の思いを汲み取る善意の施行者に転向したことが暗示されています。

 

「窓から朝日が差し込みました。」という描写にるみ子さんの心境がポジティブな方向に変化したことが示されています。

 

心境が変わったるみ子さんは老人の要望を理解し受容して老人の望んでいる年季の入った古いピアノ固有の音の響きを生かした調律を施します。

 

老人は満面の笑みを浮かべて満足しました。

 

そして最後に不揃いの指でピアノを演奏することで今度は自分の指の不具も受容した。不具者のるみ子さんの演奏を老人も受容してくれたことでしょう。この老人はそういう人です。たとえ不完全な指であってもピアノはちゃんと響くのです。世間の基準から見れば不完全な音の響きであってもその人のその人らしいい音がちゃんと響くのです。るみ子さんは今の障害を負った自分のピアノの音を愛し受け入れたのです。

 

老人の要望を受容しまた自分自身の障害をも受容することで本当の自分らしさ人間らしさのありように気づいたるみ子さんはこの仕事を通じて調律師としてだけでなく人間として成長出来たのだと思います。

 

年季の入った古いピアノの個性に合った調律を通じてるみ子さんは自分らしさの大切さに気づいたのです。雨の夜音大生時代に聴いていたピアノソナタのレコードを再び聴いたことによって個々の人間性を極め讃歌する事が音楽の本質だと気付いたのです。自分の音楽の原点を思い出し立ち返ったのです。音大生時代に聴き込んだレコードを聴くことによってピアノが好きだった頃の自分と向き合い事故後の不具者となった自分と対面しその不具者になった自分をここではじめて受け入れたのです。

 

この古いグランドピアノの調律は人間の有り様を表現する為の比喩、メタだったのです。

 

この物語は仕事における老人への承認欲求に留まるのではなくその核心は主人公であるるみ子さんの心の動きの変化であり心の内側の成長更には成熟の物語なのです。

 

この年季の入った個性の強いグランドピアノの調律の仕事を通じて必ずしも世間の基準に合わせる生き方をする必要は無いのだと悟ったるみ子さんは今までずっと後回しになっていた自分自身の心の有り様を今回新たに得た観点で調律したのです。

 

列車事故で指を失って以来ずっと世間の基準とのギャップに鬱屈した思いに囚われていたるみ子さんがこの時初めて自分は自分、ありのままでいいのだという心境になれたのです。

 

指を失い障がい者となったありのままの自分を受け入れられたのです。

 

『調律師のるみ子さん』は調律の仕事を通じて主人公のるみ子さんが事故によって縛られていた自分自身の心の呪縛を解放し自分らしさに気づき目覚めることで人間らしさとは何かを読者に問いかけ考えさせる人間の普遍的テーマを扱った小さい物語ながらも価値の大きい物語だと思います。

 

 

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以上が私が思い至った解釈であり感想です。

 

 

この『調律師のるみ子さん』という小説を通じて読者もるみ子さんから学ぶことが大きいですね。

 

作者のいしいしんじさんと『調律師のるみ子さん』に自分も救われた気持ちになりました。

 

私もるみ子さんと共にちょっぴり成長して大人になった気分になれました。

 

何より今回の『調律師のるみ子さん』の解釈を通じて小説の奥の深さ面白さそして基本的な小説の解釈方法を知ることができました。

 

あらためて作者のいしいしんじさんと調律師のるみ子さんそして人間らしさとは何かを示唆してくれた老人に感謝します。

 

 

最後に作者のいしいしんじさんから私宛に頂いた返信を掲載させて頂きます↓

 

 

 

 

※参考資料

 

◾雪屋のロッスさん(いしいしんじ著『調律師のるみ子さん』収録)

 

 

 

 

 

◾NHK高校講座文学国語