国連において核兵器不使用声明が出され、日本等もそれに加わった。私は、核保有国が参加しないのだから、このような声明に日本は参加すべきではなかったと思う。核兵器を持っている国が不使用声明を出すなら兎も角、持っていない国が自分で自分を縛るような声明を出して何になる。こんな下らない声明は無いと思うが、新聞は今まで参加しなかった日本政府を批判している。これは恐らく米国や中国など核保有国が裏で核兵器の拡散を防止して、それらの国の核保有国としての特権性&有利性を保持するための工作だろうと思う。
そのような無駄な声明よりも、核兵器保有国に非保有国への不使用宣言を出させる様に国連は努力すべきである。もちろん、地球上から核兵器廃絶出来れば良いが、それは時間を逆進行させる位に難しい話である。エネルギーでも知識でも何でも、拡散するのが自然の法則であり、政治主体が200近くある地球上で出来る筈がない。せめて、北朝鮮に核兵器廃棄させ、馬鹿げたものではないと証明してから、声明参加国を募集してもらいたい。たぶん、「核兵器保有国を核廃絶に導く第一歩として、このような声明を出すのだ」という人も多いだろう。世の中に、第一歩が大切であるという人も多いが、元々不可能だと解っていることへ向かっての第一歩は、エネルギーを浪費するのみで無駄な行為である。(注1)核兵器廃絶が可能になるのは、政治主体が一つになった時、つまり世界政府が樹立したときである。世界政府の樹立は、世界中の人が経済的に豊かになった時に初めて可能になるが、それは夢のまた夢である。
注釈
(1)不可能なことで、この種の第一歩に富とエネルギーを浪費するケースが多い。例えば、「人類が移住出来る惑星を探す」とか、「宇宙に資源を求める長期計画」とかいう口実での、所謂宇宙開発もその一つである。しかし、これにも上記声明同様に良く知られた“裏”がある。兵器開発である。
19世紀以降の急激な工業技術の発展により、我国そして世界の経済規模は飛躍的に増大した。それとともに、“文明”の中での所謂科学技術の役割が大きくなり、学術分野の拡大をもたらした。(注1)その結果、高等教育の分野拡大と細分化、人生における教育を受ける時間の割合増加、そして、社会に於ける学生等の人口比率の増加をもたらした。例えば、“医術”といわれていた医療技術は“医学”とよばれるようになり、先端的科学技術分野の中に転生し、我国においては秀才を集める様になった。また、各分野の発展には、その分野でプロとして通用するには、幼少期からの教育が必須になった。(注2)そして、所謂“専門バカ”の大量生産となり、社会の実相を眺めるに必要な広い分野での知識を持った人材が希有となってしまった。つまり、文明の拡大と各分野の専門化は、一つの分野での優秀な人材と総合的視野を持つ人材の両方の枯渇に結びついている。
国家の実力は、社会のインフラとそこで活動する企業群、政治的安定と社会における信用、及びトータルな人材の質と量にある。土地の形状面積と気候、そこで産出する資源なども重要であり、地政学的リスクは政治的安定と不可分であるだろう。経済的な諸分野への人材配分は、相互の利益追求というメカニズムによりある程度効率よく行なわれる。しかし、政治分野への人材配分においては、日本にそのような機構がないので、(注3)安易に官僚からの転身(天下り)や世襲により定員を埋めてきた。
今後、国家の隆盛と国民の幸福を決めるのは何かと考えれば、やはり政治が最も大きなそして同時に不安定な要因として存在すると考える。未だに国民が自由にものを言えない体制にあり、且つ、核兵器を保有する複数の国と、法治国家の概念が裁判所判事にすら行き渡ってない国に囲まれているという、地政学的リスクが大きくなる可能性大である。(注4)
現在の日本を見ると、“科学技術”の分野では米国を除いた先進諸外国と殆ど対等と言えるレベルにあるが、政界や経済界の表舞台で社会を動かしている人を見ると、その実力は諸外国のそれに比較して大きく劣り、且つ劣化の一途であるように見える。これは、本文のテーマである文明の拡大が一つの原因であるが、それに加えて、日本国の硬直した人材養成の様式(注5)と社会の労働流動性の無さ(注6)や硬直した社会の層状構造(注7)が優秀なる人材の登用における障壁として加わっている。
これらの問題の解決には時間を要するが、会社再建の方法と同じで、組織のトップに最も優秀なる者を持ってくるメカニズムを先ず創るべきである。そして、稟議とか会議とか無駄の多い決定プロセスを廃止して、国民に選ばれた首長がトップダウンで政治を行う体制にすべきである。その様な体制に耐える首長を各レベルで選ぶには、沈黙よりも議論を、精神よりも結果を、(注8)平等よりも実力による格差を、(注9)それぞれ重視する社会通念を育てることで、優秀な政治家を掘り出すメカニズムとすべきであると思う。
注釈
1) 哲学(philosophy)は知恵を愛することであり、人間、社会、自然全てを対象にする。“科学技術”文明の発展は、このうちの自然に関する部分である“自然哲学”を、科学と命名して独立した学術分野とみなし、科学は細分化されて、物理、化学、生物学となり、工学と結びついて、機械工学、化学工学、薬学、etcなどとなり、その他の哲学全体よりも遥かに大きな学術分野となった。
2) その顕著な例はスポーツ界である。教育の分野でも、私立中高一貫学校など、幼少期から方向を定めて行なう場合が多い。
3)本来選挙がそのメカニズムになるべきだが、小泉チルドレンや小沢ガールズで解る通り、選挙は正しく機能していない。取りあえず、一票の格差を完全に解消して、都市部の知性を軽視する選挙を改めるべきである。
4) 所謂儒教圏にある国家は、法の近代社会における重要性が理解されていない。日本国も、制限時速を10km/h超えても場合によっては良いじゃないかという国家公安委員長が居ることでも解る様に、法治国家とは言い難い。
5) 大学入学までがこの国での教育である。そこからは、大学のブランドと本人の“人柄”が全てを決める。明治時代以降、この教育制度と人材配布の様式は変わっていない。
6) 英国バーバリーのCEOが米国アップルの経営陣として加わることになった。日本でトコロテン式に昇進したCEOでは勝負になる訳が無い。
7)ー9)はgoogle blogの方で記載。
国家の実力は、社会のインフラとそこで活動する企業群、政治的安定と社会における信用、及びトータルな人材の質と量にある。土地の形状面積と気候、そこで産出する資源なども重要であり、地政学的リスクは政治的安定と不可分であるだろう。経済的な諸分野への人材配分は、相互の利益追求というメカニズムによりある程度効率よく行なわれる。しかし、政治分野への人材配分においては、日本にそのような機構がないので、(注3)安易に官僚からの転身(天下り)や世襲により定員を埋めてきた。
今後、国家の隆盛と国民の幸福を決めるのは何かと考えれば、やはり政治が最も大きなそして同時に不安定な要因として存在すると考える。未だに国民が自由にものを言えない体制にあり、且つ、核兵器を保有する複数の国と、法治国家の概念が裁判所判事にすら行き渡ってない国に囲まれているという、地政学的リスクが大きくなる可能性大である。(注4)
現在の日本を見ると、“科学技術”の分野では米国を除いた先進諸外国と殆ど対等と言えるレベルにあるが、政界や経済界の表舞台で社会を動かしている人を見ると、その実力は諸外国のそれに比較して大きく劣り、且つ劣化の一途であるように見える。これは、本文のテーマである文明の拡大が一つの原因であるが、それに加えて、日本国の硬直した人材養成の様式(注5)と社会の労働流動性の無さ(注6)や硬直した社会の層状構造(注7)が優秀なる人材の登用における障壁として加わっている。
これらの問題の解決には時間を要するが、会社再建の方法と同じで、組織のトップに最も優秀なる者を持ってくるメカニズムを先ず創るべきである。そして、稟議とか会議とか無駄の多い決定プロセスを廃止して、国民に選ばれた首長がトップダウンで政治を行う体制にすべきである。その様な体制に耐える首長を各レベルで選ぶには、沈黙よりも議論を、精神よりも結果を、(注8)平等よりも実力による格差を、(注9)それぞれ重視する社会通念を育てることで、優秀な政治家を掘り出すメカニズムとすべきであると思う。
注釈
1) 哲学(philosophy)は知恵を愛することであり、人間、社会、自然全てを対象にする。“科学技術”文明の発展は、このうちの自然に関する部分である“自然哲学”を、科学と命名して独立した学術分野とみなし、科学は細分化されて、物理、化学、生物学となり、工学と結びついて、機械工学、化学工学、薬学、etcなどとなり、その他の哲学全体よりも遥かに大きな学術分野となった。
2) その顕著な例はスポーツ界である。教育の分野でも、私立中高一貫学校など、幼少期から方向を定めて行なう場合が多い。
3)本来選挙がそのメカニズムになるべきだが、小泉チルドレンや小沢ガールズで解る通り、選挙は正しく機能していない。取りあえず、一票の格差を完全に解消して、都市部の知性を軽視する選挙を改めるべきである。
4) 所謂儒教圏にある国家は、法の近代社会における重要性が理解されていない。日本国も、制限時速を10km/h超えても場合によっては良いじゃないかという国家公安委員長が居ることでも解る様に、法治国家とは言い難い。
5) 大学入学までがこの国での教育である。そこからは、大学のブランドと本人の“人柄”が全てを決める。明治時代以降、この教育制度と人材配布の様式は変わっていない。
6) 英国バーバリーのCEOが米国アップルの経営陣として加わることになった。日本でトコロテン式に昇進したCEOでは勝負になる訳が無い。
7)ー9)はgoogle blogの方で記載。
小泉純一郎氏は、政界を引退した一市民である。しかし、経歴から考えて、政治的発言をすれば、マスコミが反応することを承知している筈である。それにも拘らず、原子力発電再稼働問題というエネルギー政策の根本に拘り、且つ、国民が最も感心のある問題の一つについて、無責任な発言をしている。小泉氏の原発に関する発言は、十分な知識を以てなされているとは思えない。何故なら、一見説得力のある、「核のゴミを捨てる場所がないのに原発に頼ることは無理である」という氏の発言の中で、“場所がないのに”が十分な考察の結果とは思えないからである。小泉氏に「この根拠を国民の前で語る前に、何故廃棄場所が見つからないのか、探す事も出来ないのか、現在候補に上がっている処理廃棄方法以外に別の方法は無いのか、などの問題に関する分析をされましたか」と聞けば、威勢の良い態度が一変するだろう。核のゴミは地中深く、強靭なコンクリート構造をつくり、その中に永年貯蔵するという有力な方法がある。単に住民の同意が得られていないだけであり、過去高知県のある町で具体的な問題として検討されたこともある。この方法は、危険性が十分低くすることが出来ることを、説明能力の高い専門家を派遣し、時間を懸けて住民の理解を試みれば、同意が得られる可能性が未だあると思う。また、その場所を人口密度の低い海外に求める方法もある。更に、巧妙な方法は以下のブログに書かれている。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51710655.html
小泉発言の動機は、安倍総理への嫉妬か退屈しのぎか、その程度のものだろう(週刊新潮、10月17日号、22ペイジ)。NHKなどのマスコミは、安易に小泉氏の発言を報道することは避けるべきである。既に引退した一老人の配慮に欠ける講演内容を一々報道することは、有害なだけである。
小泉発言の動機は、安倍総理への嫉妬か退屈しのぎか、その程度のものだろう(週刊新潮、10月17日号、22ペイジ)。NHKなどのマスコミは、安易に小泉氏の発言を報道することは避けるべきである。既に引退した一老人の配慮に欠ける講演内容を一々報道することは、有害なだけである。