安倍内閣の第三の矢の目玉の一つが女性の積極的登用だそうである。民間企業も役員の30%位は女性にすべきであるとの考えで、決算資料に女性役員数掲載を義務づけるとの話も報道されている。そして、本日経産省と法務省に初めて女性局長が誕生した。厚労省や外務省でも新たに女性局長が誕生した。 
 しかし、能力のある女性官僚が大勢いるのなら、何故今まで登用してこなかったのか?その理由を調査し明らかにして、その障害を除去することを第三の矢の目玉の一つにするのが本来のあり方である。女性を登用するという結果を目標にして、早速実施するのは本末転倒で、馬鹿げている。
 民間企業の場合、自由主義経済の我国で政府が決算資料に女性役員数を載せることなど強制するのは、全くの間違いである。会社は利潤追求が最優先課題であるから、能力がある女性役員候補がいて特に障害がないのなら、今までに登用して来た筈である。もちろん、特別な障害があるかもしれない。もしそうなら、その障害とその除去法を調査研究して、それを先ず国民に明らかにすべきである。 
 安倍総理は何でも政治で解決できるとう錯覚に陥っているのではないかと疑ってしまう。
 
 習近平中国国家主席が韓国を訪問する。その中心的な確認事項の一つは、反日だろう。韓国の中国との関係緊密化は。「南京大虐殺と軍の強制連行による従軍慰安婦」という虚構を確認する為という不純な動機に基づいていると思う。 
 
 世界経済がグローバル化するに従って、益々盛んになった中国や韓国による“日本の歴史認識”に対する攻撃であるが、それは、「日本が20世紀前半に朝鮮半島を含む大陸を侵略し、いろんな悪事をなした」という中韓共同の歴史観に、日本も参加すべきであると言う主張である。日本は大陸を侵略したと言うことは可能でも、”いろんな悪事”について取り上げられる物語は、中国韓国により誇張或いは捏造されたものである。彼らの姿勢は、真実を解明するというより、日本に悪のラベルを張ることで、中国と韓国で利益を得ようというものである。
 
 最近発表された河野談話の作成経緯は、談話は日本が韓国との友好状態を維持するためになされた日韓共同の捏造であったことを示している。河野談話が謝罪したのは、「戦争時に朝鮮半島で、日本軍が軍人相手の慰安婦施設の運営と一部慰安婦を強制連行で集めたということ」に対するものである。しかし、この種の施設は、当時はどこにでもあり、1990年代まで韓国自身も米国軍の為に運営していたという驚きの事実も最近話題になっている。韓国政府は韓国内米軍基地で慰安婦(Comfort woman, 官製売春婦)施設を運営し、外貨稼ぎをしていたというのである。当時の慰安婦100名以上により、韓国政府が告発されたのである。その訴えは恐らく裁判所により却下されるだろう。何故なら、既に数々のケースで韓国は法治国家とは言えない状態だからである。
 
(1)。中国の主張する南京大虐殺についても、数々の書物でその虚構が指摘されている。
(2)。中国に詳しい石平氏はテレビで、「中国は、日本軍と毛沢東(大躍進運動や文化大革命)とを取り違えているのではないか?」と冗談を交えて、中国の捏造として説明している。 
 
 今回、中国主席の韓国訪問において、再度「日本の歴史認識の攻撃する」という共同の姿勢をとり、「反日は中韓の鎹」ということを確認するのである。韓国は、米国の世界におけるNo1の地位が揺らげば、次の親分国として中国との関係を深めるつもりだろうが、米国の世界的地位は当分揺らがないとすれば、この不純な外交は大きなマイナスになると思う。 
 
注釈:
1)対馬から盗まれ韓国に運ばれた仏像を返還する様に韓国の市民団体が訴えたが、ソウル行政裁判所はこの訴えを却下した。韓国に元々あった文化財とはいえ、盗んで取り返そうという姿勢に、法治国家のラベルはとても貼れない。(もっとも、これは程度の差はあっても東アジア全体の傾向で、日本も例外ではない) 
2)例えば、東中野修道、小林進、福永慎次郎著“南京事件「証拠写真」を検証する”草思社、2005
 安倍内閣で集団的自衛権を限定的に行使しうるように憲法解釈を変更し、それにそって、関連法の改正案を作り始めた。米国の考えを屡々テレビで代弁しているケビンメア氏が、土曜日の激論コロシアムで言っていたように、日米安保で米国の援軍を得ながら、米国軍への攻撃には知らん顔は通らない。また、昨日火曜日のテレビ番組“ひるおび”で、八代英輝氏が法律的にはそのような憲法解釈変更はあり得ると言っていたので、法律の専門家でもう少し憲法9条を含めて議論してほしいが、差し当たり専門家の意見には素人は従った方が賢明である。
 ここでずっと視野を後ろに引いて、考えてみる。例えば、内閣には明確に見えている日本国の危機があって、それに備えるべく憲法改定或いは解釈改憲をすべきであるが、平和ボケの日本国民を相手に民主的手法で対策を講じようとしても無理である場合、どうしたら良いか。あくまで民主主義の原則に従って、国家の破滅を待ち、歴史に“平和のラッパだけが残った”と書かれることをよしとするか?それとも、誤摩化してでも解釈改憲をして、危機を辛うじてクリアするべく行動するか?
 解釈改憲は誤摩化しだと思うが、民主主義も、所詮ごまかしの世界の用語である。世界中を探して、いったいどこに国民の総意を抽出して、政治を行っている国があるのか?どこにもそんな国は見当たらない。集団的自衛権行使の三条件は極めて曖昧な表現を用いているとの非難もあるが、具体的に言ってしまえば、即外交問題になる。ただ、自衛隊の活動範囲を東経120-150度の日本国周辺に限るとでも、表記できればよいと思う。
 昨日までは、「機密情報を内閣が特にもっている訳ではない」との仮定の下に、解釈改憲よりも憲法改正を議論するのが正論だと言って来たが、具体的に国会の審議に乗れば、与党を支持するしかない。