ノーベル賞を追い風にして、スーパーカミオカンデより巨大なハイパーカミオカンデの建設計画が進みそうな雰囲気だ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151007-00000005-jct-soci
しかし、800億円(注釈1)という事業費に価する研究ができるのか疑問だ。また素粒子物理学が、今後人類に実際に役立つ知識をもたらすかどうかも非常に疑問である。
 
人類は、”知”特に科学の発展とともにより高度な文明を築き、それによりより豊かで平和な世界を実現してきた。その文明発展と科学は、20世紀まではほぼ並行して進んできたが、20世紀後半その関係は崩れた。つまり、核物理学の誕生と発展は、原子爆弾や水素爆弾などの開発につながり、科学と文明の並行性は必ずしも真理ではなくなった。
 
核物理学の延長上にある素粒子物理学は、梶田東大教授のノーベル賞受賞決定後のインタビューでの言葉にあったように、知の地平線上の向こうにある様な分野であり、そこからは人類に向かって何が出てくるのか全くわからない。もちろん、自然な知の発展として、今後素粒子物理が発展していくことは、人類の先にさらなる幸福をもたらすか破滅をもたらすかわからなくても、運命として受け入れるべきだろうし、受け入れるしかないだろう(注釈2)。
 
しかし、他の知の分野を置き去りにして、素粒子物理だけを特別に多額の予算で推進する理由はない。文科省や浜松ホトニクスという極めて狭い範囲の利益を推進することだけでは、人類の利益と比較して極めて小さい。さらに、ノーベル賞狙いだとすれば、バカバカしくて話にならない。
 
実際に利益を生まない分野への投資に関しては、ある分野の予算増は他の分野の予算減につながる。ただ漠然ともっと信号が強くなれば、良質のデータが得られるというだけでは、800億円と計算されている事業を始めるには動機不足である。素粒子物理学が地平線の向こうではなく、明確に見える角度に上がってくるまで、待つべきである。

注釈:
1)国立競技場のケースを考えれば実際は2000億になるかもしれない。
2)知恵の木の実を食べたイブとアダムは神に罰せられることになるという創世記の文章を思い出す。
ノーベル賞の研究は役に立たなくて良いのか?(補足1)
 
1)今年のノーベル生理学医学賞3人の受賞者の一人として、大村智・北里大特別栄誉教授が含まれていた。同じ日本人としてたいへん嬉しいことであり、日本の科学、医学、工学の層の厚さを改めて、海外にも知らしめることになった。受賞対象となる研究は、土壌内細菌から採取された化合物を元にした新しいタイプの抗生物質の開発とのことである。
 
この時の取材で、大村先生は「人の役に立つこと」を目指してきたと話されていたと思う。その志通り、開発された薬は幾つかの伝染病に対する恐怖から、アフリカに住む数億人の人々を解放した。大勢のアフリカの子供達の中の大村先生の笑顔が、それを何よりも明確に証明していた。この受賞は、人類への貢献という意味で“平和賞でも良かった”という、野依前理化学研究所長の言葉が示す様に、日本のイメージを大いにあげることになり、国家への貢献にもなった。
 
その次の日に、改めてびっくりすることになった。東大梶田隆章教授のノーベル物理学賞受賞である。カナダの研究者との共同受賞となったその業績は、素粒子物理学において画期的なニュートリノ振動の発見である。これも日本の科学研究のレベルの高さを証明し、日本のイメージをあげた。 また、多額の投資となったスーパーカミオカンデの見返りとしても、小柴名誉教授の賞を含めて二つのノーベル賞は十分であり、従って国家への貢献も多大であると思う。
 
ただ、この研究は近い将来の人類に何か役立つか?と問う人が大勢いるだろう。その質問には、だれしもノーと答えるだろう。
 
2)“国費を投じて行う研究だから、人の役に立つべきである”という考えが、時として基礎科学への攻撃の矢となって放たれることがある。しかし、国家のイメージを上げるという意味において、両方の研究は異なった角度からではあるが、大きな貢献をしたのは確かである。そして、それらは日本人に限れば、活力と自信を与えるという意味でも、既に役立っているだろう。
 
最初に利益があると思われたことでも、最終的には大きな損になったりすることが多い。また、最初何の役にも立たないと思われたことが、思わぬ救いとなったりする。それが人類の歴史ではなかっただろうか。今回のノーベル賞の対象となった二つの研究とて、その例外ではないと思う。
 
すべての人間の行為は、人類が作ったこの複雑な社会の中において、神のみが知る経緯で歴史の中に刻まれると思う。しかし、一つだけ人類が保持してきた思想の柱は、「知は人類の唯一の特徴である」ということである。その知において、多大なる貢献をした者に対して、栄誉が与えられるのは当然であると思う。もちろん、ノーベル賞が完全にそれに沿っているとは思わないのだが(補足2)。

補足:
1)ノーベル財団は私的な財団なので、だれに賞を与えるかは財団が私的に決定することである。従って、この問いそのものに意味はないのだが、現在世界的権威ある賞として公的性質を帯びているとの前提で、この文章を書いた。
2)生存者のみを対象にしているので、最高の知的貢献をした者という意味では、漏れている人の方がむしろ多いと思う。また、アインシュタインの相対性理論などにはノーベル賞は与えられていないことでもわかる様に、授賞のルールにも揺らぎがあるだろう。
 当初ノーベル賞は業績を上げて能力を示した研究者に、今後の活躍を期待して与えられていたという。それを聞くと、疑問の多くが氷解するだろう。ノーベル賞と雖も、あまりにも大きい意味を背負わされると”しんどい”(荷重越えな)のだ。
1)先月、世界を驚かせたのはフォルクスワーゲンのインチキソフト搭載車である。このことと今後ドイツなどに与える大きな影響については先に書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42429646.html
これは、「正直は利益が少なく、コストがかかりすぎる」という考え方が、世界中に社会的病根として定着しつつあり、そこからくる一つの症状だと考えられないだろうか。もしそうなら、世界的にも深刻な話である。
 
人類の歴史は、公の空間から嘘を撲滅することによりスタートしたと考えられるのではないだろうか。つまり、逆に嘘が完全勝利すれば、社会から信用がなくなり、まともな取引も契約も何もできず、人間は野生に戻るしかない。
 
仏教の五戒や旧約聖書にある十戒などを見るまでもなく、嘘を罪として意識するのは、野生の猿の一種から人間への門であったはずである。
 
厄介なのは、その人間社会で効果的に嘘をつけば、経済的にも社会的にも大きく優位に立てるということである。誰も気づかない嘘を利用すれば、時として大きな利益に結びつく。そして、最後まで解明されない嘘は、それにより得た利益は才能の産物であるとして社会に認知される。
 
大嘘の有名な例であるが、ワーテルローの戦いで戦局をいち早く知ったネイサン・ロスチャイルドが、ナポレオンが勝つというウソのうわさをロンドンで流したことがあげられる。ロンドン市場の株を空売りして暴落させ、底値で買戻すと供に買い増して大儲けし(補足1)、英国ロスチャイルド家の基礎をつくった。しかし、これも勘が良かっただけだという説もある。http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/nathan.html (補足2)
 
2)最初に戻って、問題は社会に“嘘に対する事前の拒否反応”が徐々に少なくなっていることである。それは社会にとっては、重大な病気の前兆である。この様な兆候は、個人のモラルの低下と同時に起こるだろう。しかし、何故このような社会になったのだろうか。その原因を少し考えてみた。
 
世界各国の社会において、情報化とグローバル化が、テレビやインターネットの発展により進んだ。特に後者インターネットは、インチキを暴くのに大きな力となった。社会がそして人間が、裸にされる(&成れる)ような時代となったのである。そして、巧妙に嘘をついていた人たちの悪巧みが暴かれるのは良いが、「そんな得になるなら自分たちも」或いは、「それが人間というものだ」と思う人が増加し、その傾向が社会のモラルを低下させてしまったのではないだろうか。
 
つまり、法やモラルの整備前に社会の情報化が進み、あらぬ嘘を書き立てたり喋ったりして儲ける、評論家やアナリストが繁殖してしまっている。全人口の1%でもそれらの偽或いは誇大化情報に十分興味を示せば、相当な収入が得られる(補足3)。
 
また、大企業の嘘や国家の嘘が大きく報じられると、社会に与える効果は大きい。嘘のなかでも止むに止まれずつく嘘は、まだ、社会に与える影響は少ない。また、嘘をついた人間に下らない奴だという烙印を押せるような嘘もまた、それほど大きな影響を社会に与えない(補足4)。それは、人間だれしも嘘の一つや二つは、人間関係の潤滑油としてつくものだからである。しかし、最初に挙げたような嘘は、世界一の売り上げを誇る会社の嘘であるから、悪質且つ社会に与える影響は大きく、暴露されたからには強く処罰(損害賠償や制裁金として)されるべきである。
 
もう一つは、国家による嘘である。個人や私企業による嘘とは、意味が大きくことなるが、それが分かる人は少数派である。国家の集まりとして世界を見た場合、そのメンバー間の関係は未だに野生の状態に近く、嘘を法によって罰する権威は何処にもないのである。>
 
世界の諜報機関により不正が行われている事はスノーデン事件を待つまでもなく、今や常識だろう。また、歴史的には、満鉄爆破事件やトンキン湾事件など、嘘が大きな戦争のきっかけとして使われることもおおい。それが周知されることにより、個人の道徳と同列に論じたり受け取ったりされると、社会のモラルに深刻な影響をもたらすだろう。(補足5)
 
国家による嘘が悪として罰の対象になるのは、世界政府が出来た後のことである。つまり、戦争という国家間の暴力行為が、暴力として罰せられるようになる時以降のことである。<br><br>
 
嘘は社会の基礎をシロアリのごとく破壊する。その修復のために、社会に大きなコストを強いる。社会は悪質な嘘を撲滅できるだろうか?

これも国際社会の発展方向にかかっていると思う。社会と同様に、情報機能(インターネット、放送、出版)にも裏と表などの多層構造が持ち込まれ、その間に壁が築かれることが望ましいと思う。また、国家の嘘を撲滅するには、国連が戦勝国連合的性格から脱却して世界政府的な方向に成長し、権威と権力を持つように発展する必要があると思う。
 
一般的に表現すれば、社会の変化とともに新たに生じた嘘に対するには、それを暴く機能と罰する権威とを新たに意識して育てることが大切であると思う。そして、同時に物理的にも心理的にも、嘘にたいする抵抗力を個人と社会に育てることが大切である。
 
補足:
1)     空売りは、借りた株を売ることである。ある時点で買い戻さなければならないので、株価が下がると考えた時に空売りをして、下がったところで買い戻す(借りた株を返却する。貸株料は、預金利息程度)ことで利益を上げるのである。ここではナポレオンは負けるので、ロンドンの株は底値から高騰する。底値で買えば、高騰した株は大きな益を持つ。
2)     ロスチャイルドに反感を持つ者としては、元からインチキの噂を流したことにすれば、ロスチャイルドに打撃を与えることができる。一方、本当に嘘なら理想的な嘘だったことになる。
3)     9.11が米国の陰謀であるという説がある。また、明治維新が誤り或いは失敗だったということを本にしている人もいる。グレイゾーンの嘘と言えるが、儲けにはなっている。
4)     最近の例では、前者としては、傾きかけた会社の粉飾決算(T社)などが挙げられるだろう。また、後者の例として、会社の金を博打につぎ込み、会計報告の際に誤魔化した場合(O製紙)などがある。
5)歴史書を読むよりも、インターネットで調べる方が遥かに短時間で能率的に知識が得られる。ネット社会は、体系的でなく断片的な知識を持った人を大量につくる。