戦後史の本である片岡鉄哉著「日本永久占領」(講談社α文庫、1999; さらば吉田茂—虚構なき戦後政治史、文芸春秋1992)を読んだ。その前半に書かれている米国の占領政策と日本の政治は、連合国最高司令官であるマッカーサーの独善的な個性に大きく依存した。そして、それに協力した吉田茂の役割も大きかったと思う。憲法と天皇に関する部分についてまとめ、感想なども追加して書く。(引用は文庫版の頁で行なった)
 
1)天皇制と憲法
ポツダム宣言にも、占領軍により通知された「降伏後初期対日政策」にも、天皇制維持の保障は何も書かれていなかった(補足1)。実際、米国国務省からマッカーサーの下に政治顧問として送られたジョージ・アチソンは、「天皇を処刑するのも一つの選択肢である」とトルーマン大統領に助言している。(54頁)一方、マッカーサーは敗戦国の元首の処刑には武人として抵抗がある上に、円滑な占領政策の遂行には天皇の協力が不可欠であると考えた。
 
マッカーサーは天皇を救うために、天皇制を明記した憲法に改定することを考え、幣原内閣に新しい日本国憲法草案の作成を命じている。国務省から憲法問題への干渉をなくすこと、具体的には、アチソンの憲法への関与を取り上げる目的で、それをGHQ民政局(GSGovernment section)の専管事項とした(補足2)。1946年2月1日に、内閣の憲法問題調査委員会委員長である松本烝治国務大臣が作った原案が毎日新聞にスクープとして出た。松本案は天皇を立憲君主制の元首と位置付ける草案だった。マッカーサーはそれを却下し、二日後民政局に1。天皇を国民統一の象徴とする、2。戦争を放棄する、3。華族の廃止を骨子とした草案作成を強引に指示する。しかしこれは、ポツダム宣言第12項の規定を無視したことになる。(補足3)
 
松本草案の却下と民政局作成の草案を示された時、内閣を構成する人々は茫然となった。特に外相・吉田茂の顔は憂慮に満ちていたと書かれている(補足4)。民政局に説明されても内閣では受け入れるという結論に達しないため、又も最後は天皇の聖断(2月)を仰ぎ、受け入れることになる。その後、幣原内閣は総辞職する。(補足5)


そして、6月20日開催の国会で憲法が議論されることになる。幣原の後に総理大臣になった吉田茂は「これは自由に表明された日本国民の意思に基づいたものであります」と説明する役割を担うことになる(補足6)。マッカーサーのその後の異常とも思える日本統治は、すべてこの憲法を守り抜くことが縦糸として存在すると考えれば、説明がつくと「日本永久占領」には書かれている。
 
マッカーサーは、「日本の憲法を書く機会をつかんだときに、これでシーザーになれると思い込んだのだった」と著者は書いている。そして自分の作った憲法に強い執念をもち、全てにおいて憲法が出発点になった。(148頁)この考え方は一般的ではないかもしれないが、マッカーサーの性格などをウィキペディアでみると分かるような気がする(補足7)。https://ja.wikipedia.org/wiki/ダグラス・マッカーサー
 
憲法改正を言い出さない社会党を執拗に育てようとしたことも、その考え方で納得が行く。そして、1949年の選挙で大勝するまでは、吉田茂はマッカーサーのしつこい虐めの対象であった。吉田が選挙で大勝したあと二人は緊密に連携するようになったことの裏に何かあるはずである。つまり、憲法を守る二人の約束があったとすれば説明がつく。(153頁)そして、吉田は憲法改正よりも経済優先の政策を始めることになる。憲法は1946年の113日公布、翌年1947年5月3日施行された。
 
東京裁判は1948年に閉じられ、天皇が罰せられる危険性は消えた。19514月マッカーサーは司令官を首になり、その年の9月8日にサンフランシスコ平和条約の調印が行われた。しかしその後、吉田政権及び吉田学校の出身者の内閣からは、憲法改正の話はでなかった。
 
2)マッカーサー統治の評価
マッカーサーが天皇陛下を救ったのは、円滑な武装解除と新しい日本の構築が目的であった。大規模な要人追放(パージ)で、社会党などの左翼を一大政治勢力にしたのは、日本の政治を大きく左方向に旋回させるためであった。新憲法を含む大規模改造は、天皇の命を救うことと引き換えになされたため、日本国内での強い反対を封じることになった。国民一般にも非難の声が広がらなかったのは、厭戦気分と日々の生活で精一杯だったからだろう。ひもじい思いをしていた日本人に食料を放出し、DDTをかけてシラミ退治をしてくれたことも、寛大な占領軍を印象つけたのだろう。
 
一方、国務省から視察に来たジョージ・ケナンはマッカーサーの日本統治を厳しく批判している。「マッカーサー将軍のこれまで(1947年4月)の占領政策は、一見して共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとしか思えないものだった」と回想録(George F. Kennan,”Memories” p376)に書いているそうである(補足8)。
 
つまり、世界は冷戦の時代に入っており、米国本土では日本との講和条約の締結と再軍備が考えられていた。戦争放棄の憲法には国務省は懐疑的であり、国防省と統合参謀本部は絶対反対していた。裸の独立国家にはあり得ないからであり、従って、講和条約の交渉で日本の首相が改憲と再軍備を主張すれば、両省は支持するのに決まっていた。(149頁)
 
マッカーサーは日本の再軍備に反対であった。「それまでおこなってきたことと矛盾し、日本における我々の威信を傷つける」と言ったという。つまり、日米の政治よりも自分のメンツを優先したと考えられる。その他、再軍備は極東の諸国を離間させる;再軍備しても植民地なしでは5等の軍事パワーにしかなれない;コストが高すぎて日本には賄えない;日本人自身が反対している;そして、最後に”日本の軍国主義を復活させる”が後日付け加えられた。
 
そこで、マッカーサーは講和条約と同時に米国の日本防衛義務を考えていた。これらは全てマッカーサー憲法を守るために考えられたというのが、この本に書かれた戦後史のモデルである。とにかく、日本の現在まで続く異常な政治の原点がここにある。
 
3)以下感想を混ぜて書く。


その後マッカーサーは、米国議会での証言で「ドイツ人は45歳だが日本人はまだ12歳くらいである」という言葉を、日本と自分の政策の弁護のために用いた。


私には、日本人はマッカーサーにより20歳の青年から、12歳の少年にされてしまったと思う。それまで20歳の未熟な青年レベルだったというのは、明治憲法における国家の形が、権力と権威を分離するものであり、国家の方向を決めるシステムとして不完全だったからである。そのため、肝心な場面で内閣だけで決断ができない。また、戦争で負けてもその責任の在り処が明確に出来ず、同じ間違いを何度も繰り返すことになる。
 
立憲君主制に拘れば、天皇処刑の理由を米国国務省やロシアなどの他の連合国に与えることになる。それでも、内閣で象徴天皇制の受け入れを決められず天皇の聖断を仰いだ(86頁)ことも、明治体制の不完全性を証明している。明治憲法は明治維新後、明治時代の早い時期に象徴天皇制に改正すべきだったのではないだろうか。それができなかったことは、明治維新も日本独自で成し遂げたのか疑わしいということになる。(最近、西鋭夫氏はそう講演しているらしい。(例えば:
 
吉田茂は、憲法ができ象徴天皇制として天皇の地位が安泰となったのち、マッカーサーの下で権力を振るうことになる。再軍備と憲法改正に反対だったマッカーサー路線を、マッカーサーが帰ったのちも引き継ぐ。経済発展が先ず大事だというのはわかる。しかし国家の骨組みである憲法をまともな形に改正できないことはない。既定路線を走る官僚的政治家だったのだろう。
 
この本の210頁に書かれている文章をコピーする。
吉田とマッカーサーは何をやっていたか。彼らは、米国政府の政策と日本の国益に反して戦後体制を温存していた。逆コース(まともな独立国に日本を戻すこと)をサボタージュしていた。マッカーサーは追放の解除を引き延ばして、吉田内閣の安定をはかっていた。吉田は再軍備阻止のために社会党と裏取引をやっていた。吉田は1949年の総選挙以来、官僚を政治に登用して、追放中の職業政治家のお株を奪おうとしていた。(後日、これが吉田学校となる。)そして、もっとひどいことに、二人だけで日本の将来の外交を恣意的に決定しようとしていたのである。
 
マッカーサーが朝鮮戦争の方針でトルーマンの意向に反したことで、19514月司令官を首になる。日本を離れる時に、沿道に20万人の日本人が詰めかけて見送り(補足7)、毎日と朝日の両新聞はマッカーサーに感謝する文章を掲載したとのこと、更に、衆参両議院がマッカーサーに感謝決議文を贈呈すると決議し、東京都議会や日本経済団体連合会も感謝文を発表した(ウィキペディア参照)。
 
一般市民は何もわからないだろう。しかし、新聞や国会のこの姿は非常に情けない。日本国のまともな政治家などを根こそぎ追放され、国家の骨組みを破壊されてことを感じてさえいないのだろうか。その後、マッカーサーが行った米国議会での証言を聞いて、マッカーサー記念館の創設などの話は立ち消えになったという。騙す方も悪いが、騙される方にも責任があると思う。
 
補足:(補足は次の投稿;通しではhttp://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html)。
1)ヌード画像を盗撮された人気記者に、5500万ドルの賠償金支払いを命じた判決が出された。米国のこの高い賠償額は一体何を根拠に算出されたのだろうか? この画像をネットに載せられたことによる精神的苦痛が5500万ドルと評価されたのだろうが、あまりにも高い。日本の命の値段をはるかに超えるこの額に先ずびっくりした。
 
このケースで、もっとびっくりするのは、犯人以外にホテル側にも賠償を命じた点である。ドアの覗き穴を細工してカメラをセットらしいが、それにホテル側が気づかなかったからだろう。弁護士の判決後の言葉「犯人だけに賠償義務を負わせても結局賠償金が取れないからだろう」に説得力がある。
 
美人(人気者)の涙をTwitterで世界に流して、同情を集めたらしい。その涙に、陪審員も濡れたのかもしれない。「世間の注目を集めるために自らビデオを流出されたのではないかと噂されたことが、何よりつらかった」と話したということだが、それは十分美しかったということだろう。魅力に欠ける記者ならもっと恥ずかしい筈だから、それより高い賠償金が相応しいのだが、逆に55万ドル位に減少しただろうと思ってしまう。 
 
米国の陪審員制度というのは、異常である。その真似を日本もしているが、馬鹿げたことだと思う。陪審員制度だけでなく、米国の司法文化そのものにも一種恐怖の様なものを感じる。(TPP締結後の裁判なども心配だ。) 
 
2)以前にも米国の裁判結果にびっくりしたことがある。有名なマクドナルド事件である。ある人が、マクドナルドのドライブスルーでコーヒーを買って、駐車場で飲もうとした。カップを膝で挟んで蓋をとり、ミルクと砂糖を入れるときにこぼしたのだ。熱いコーヒーが衣服に沁み、3度の火傷をした。 
 
そのコーヒーがあまりにも熱いのに、何の注意もなかったのが原因だとして裁判をおこした。その結果、60万ドルほどの賠償金を手にしたのである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/マクドナルド・コーヒー事件
 
ホットコーヒーが熱い(マックは85度)のは当たり前だが、家庭のコーヒーメーカーによる入れ立てのコーヒー(72度程度らしい)よりも13度ほど温度が高かったのが、裁判の決め手となったようである。マクドナルドはできるだけ冷めないように温度を高くしたのが、仇になったようだ。この裁判について、バカバカしいと思うのは私だけだろうか。 
 
これらに似た裁判結果が蓄積されたのだろうが、それが色んな影響を世界に残した。その一つは、あらゆる商品の説明書にバカバカしいような注意書きが多くなったことである。 
 
日本では、”そんなこと常識だろう”の一言で終わることが、彼の国ではそうはいかないため、契約書や説明書などがやたらと長くなる。その結果、契約書なら読まないでサインしたり、パソコン画面でクリックしたりすることが多くなった。全ての契約書や説明書は1000字以内という暗黙の了解が欲しいものだ。 
 
3)韓国系米国人が、旧日本軍向けの戦時売春婦を性奴隷だとして、米国で宣伝していることを思い出した。全米いたるところにブロンズ像を置いて、日本軍(当然韓国人兵士もいた)に20万人の少女が強制連行されて、性奴隷にされたと宣伝しているのだ。日本ではまともに信じる人など少ないだろうと普通思うが、そうだとすると愉快だということは、そのままあの国では真実になる可能性がある。 
 
今回の裁判のケースやマクドラルドコーヒー裁判のことを考えると、その像が置かれた近くの多くの米国人は本当だと思っている可能性が高い。嘘でもなんでも、プロパガンダのやり方次第で想像以上の効果が出る国なのだろう。設置した者たちはそれをよく知って活動しているのだろう。 
 
そういえば、もっと近くの国にも鯨が、他の国の人の生活や文化より大事だと言って騒ぐbakaもいる。Bakaという言葉を使いたくないのだが、自分の所属する文化の価値観から一切離れて考えることができないのだから、それ以外の言葉では表せない。あのパーフォーマンスがあの国で一定の理解を得ていることにも注意が必要である。
1)戦後、日本の政治を決めたのはポツダム宣言(補足1とそのGHQの勝手な解釈である。ポツダム宣言の項目12にあるのは、「日本国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立」であるが、それはマッカーサーがそう認識する政府の樹立であり、従って、日本の政治は完全な傀儡政権がおこなった。日本の降伏は、「条件付き降伏」だという人がいる。しかし、軍隊のみならず、日本国の無条件降伏の立証が、上記政府の形態にある。

マッカーサーが行ったのは、当時の職業政治家の殆ど全ての追放(ポツダム宣言項目6による)である(合計34892人)。そして、官僚の殆どが戦前の状態で温存された。その結果、戦後の与党政治家の殆どは、官僚出身の政治家となった。代表が吉田茂と吉田学校の出身者(佐藤栄作、池田勇人など)であり、かれらは戦後長期政権を誇った。その結果の第二は、日本社会党の大躍進であり、戦後長い間議会の1/3を占めた。
 
2)今朝の時事放談の最後に、ゲスト出演していた古賀氏が「今の政治家はレベルが低い。やはり昔あった派閥の役割が見直されるべき」というような発言をしていた。その派閥の教育とは、古賀氏所属の池田勇人が作った宏池会などの教育だろう。 
 
何をとぼけたことを言っているのかと言いたい。一億人の中から優れた人材を選ぶ方法を考えるのが第一である。政治家の二世三世と官僚出身者に吉田学校的教育を施しても、所詮ドブ板選挙に強い政治家を育てるだけであり、優秀な改革を目指す政治家など育つ訳がない。(安倍総理は祖父岸信介の政治を目指しておられる様なので、期待したい。)
 
補足:
1)停戦協定に、ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取るとある
ポツダム宣言、項目6日本国民を欺いて世界征服り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から逐されるまでは、平和安全正義の新秩序も現れ得ないからである。
項目12日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。