1)オバマ米国大統領が核兵器先制攻撃不使用宣言を見送るようだ。それは米国にとって当たり前だろう。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160813-00000196-jij-n_ame  しかしその一方で、オバマ氏は核実験全面禁止を国連に提案する予定だという。これは米国自身に被害は及ばないので、米国政府や議会は無視している。http://mainichi.jp/articles/20160805/k00/00e/030/189000c
私にはこれらのオバマ氏の行動は、国際平和に寄与することを目指したものではなく、単にノーベル平和賞をもらったことを意識して、自分の行動との整合性をとるためと見える。 
 
核先制不使用を宣言することは、ある国が通常兵器で如何に邪悪な行動に出ても、米国は自国が対象でなければ放置することを意味している。それは、自国の若者を多数死に追いやるような通常兵器での”警察行動”は、直接米国の被害を防止する意味がないなら出来ないからである。 
 
また、自国が通常兵器での攻撃対象になっても、米国は通常兵器で応戦することになる。従って核兵器を一切先制攻撃に使用しないと宣言することは、核兵器はそのような通常兵器での攻撃を防止する抑止力にならないことになる。またその宣言は、直接米国への攻撃でなければ、同盟国を核攻撃しても核反撃しないと宣言することになる。つまり、友好国が頼りにするだろう米国の核の傘を廃止する宣言でもある。 
 
「このような宣言を真剣に考えるオバマという人は、なんという無責任な人だろうか。自国や友好国の国民の命よりも、自分のメンツの方が大事なのだろうか」そう思わざるを得ない。そもそも核兵器は拡散の方向にあったし、今後も拡散し続けるだろう。それは時計の針が逆周りをしない限り、止まることはない。文系の知性に欠ける人たちは、物理の拡散法則を無視して「人間の英知」とやらを信用するのか? 
 
2)そんなことを考えるより、自分の国でピストル保持の免許制度を導入したらどうか? ピストルを保持しない黒人青年が、白人警官に殺される場面が何度も世界に報道されている。「自分は核兵器廃絶を他国に強制する」とか「自分なら核兵器は先制使用しないことにする」という無責任な宣伝放送を世界に向けてするよりも、この自国の深刻な問題を、自分の”平和への強い思い”を力に解決したらどうか。 
 
国家という強い権力があるのだから、核廃絶よりも遥かに少ない覚悟とエネルギーで可能となる。とは言うものの、それでも相当の覚悟がなければで無理である。なぜなら、ピストルを持つ権利を主張することには、「ピストルを持ちそれを使う可能性のある荒くれ男と対峙するには、自分もピストルを持つこと以外に方法がない」という正当な理由があるからだ。 
 
核兵器の国家による保持も、個人を国家に読み替えれば同じ理屈で廃絶は困難である。しかも国家権力が個人に対して持つ権力よりも、国際的な枠組みが各国に対して持つ強制力は遥かに弱いのだ。 
 
3)日本は戦後十分平和的な行動をとってきたにも拘らず、核兵器を持った大国が力を背景に日本領である離島を奪い取ろうとしている。その現状をこのノーベル平和賞受賞者はどう考えているのだろうか。 
 
また、核兵器を最近保持することになった隣国は、ミサイルを日本の排他的経済水域に飛ばしている。一時期米国はこの国をテロ支援国家の指定をしたが、それを解除した。その国の核兵器保持を承認していない筈なのに、その核兵器を廃絶する努力も十分しないで、オバマ氏は何を言っているのか? 
 
国際平和 を深く祈念するという崇高な姿勢を、その粗野な核大国による国際法に反する略奪行為の防止にむけたらどうか。離島を略奪されようとしている国は、米国とこの60年以上友好国であり続け、軍事的困難な情況になれば共に戦うという、安全保障条約を締結している国なのだ。 
 
「米国は、尖閣に他国の公務員と思われる人間がその離島に上陸した時には、その友好国への侵略と見做し、その国の防衛軍と協力して直ちにその島の防衛あるいは奪還のための戦闘に参加する」と宣言してはどうか? その口先介入だけで、その島の紛争は未然に防げる。確実に一つの紛争を、口先だけで解消できるのだ。ちょっと思い切ればできる、確実に平和に寄与するこの効率的な宣言をしないで、出来もしない核兵器からみの宣言を模索するのは何かおかしいと思わないのか?  
 
4)核兵器を持つことは、その国にとって得なことである。それが事実でなくなれば核廃絶は自然に達成されるだろう。そしてそれが唯一の核廃絶の道なのだ。
 
「9段線が地理学上如何に不自然な線であっても、その中の島も岩礁も太古の時代から自国の領土であり、それを埋め立てて自国の領土とし、そこに軍事基地を作る自由があるのだ」と核兵器を持つ大国だから宣言できるのである。おそらくその国は、「尖閣諸島なんて奪うことは容易だ、我々は核兵器を保持する大国なのだから。要は如何に損を最小限にできるタイミングを選ぶかだ」と思っているだろう。
 
核兵器保持が損な選択であるようにする方向は存在する。それは、世界政府(現在の国連ではない)を実現し、その平和維持軍が現状核兵器以上の強力な兵器を持って、世界を監視する体制を作るのである。そのような体制ができればどの国も他国の核攻撃を恐れなくなるだろう。そして維持費のかかる核兵器など無駄に持ちたくなくなるだろう。 
 
しかし、そのような世界の体制ができるまでは、核兵器廃絶はいくら叫んでみても出来ないだろう。要するに、核保持が国家にとって得な情況が続く限り核廃絶は原理的に不可能なのだ。 
 
オバマ大統領に聞きたい。核武力を背景にした上記のような国際法に反する行為を目の前にして、それに具体的に対応する能力を持ちながら、特に有効な手段を行使することなく、「核実験全面禁止宣言(条約)」とか「核兵器先制攻撃不使用宣言」とかを考えることは、あなたの本心ですか?
 
 
表題は、昨日の読売新聞の9面(13版)に北大教授吉田徹氏のコラムにあった言葉である。グローバリズムにより国民が豊かになる層と貧困化する層に分断されるというのである。そして、貧困層による反グローバリズムの声が、トランプ旋風や英国のEU離脱(ブレグジット)を引き起こしたのである。この問題について、素人の一人として考えを整理する。
 
1)資本主義とグローバリズム:
資本主義社会では、ほとんどの場合会社(法人)が生産や販売の主体であり、一般市民は最終消費の主体である。市民は生産や販売などの会社の業務において、労働者という形で参加する。また、会社の経営には資本の提供という形で間接的に参加する場合がほとんどである。会社が法人と呼ばれるのは、その経営の主体が会社自身であるからである。会社の種々の契約(売買契約、請負契約、労働契約)などは、例えば代表取締役社長など会社を代表する人物の名で行うが、社長も解雇されることもあるので労働者である。会社の意思の最高決定の場は、株主総会であり、それは資本を会社に提供したもの全ての意思の総合と見做される。
 
つまり、資本主義はその本質として、社会を労働者と資本家という二つに分断する性質を“遺伝子的”に持っている。民主主義が健全に資本主義と共存するには、ほとんど全ての個人が労働者と資本家という二つの立場で社会に参加することが条件だと思う。
 
一方、社会の基礎は国家が作り管理しなければならない。国家は、平和と安全や各種インフラの整備と管理などの役割を果たすが、上記社会の分断は国家の枠組みである民主主義の健全な維持を困難にするので、法整備などでそれを阻止する方向に動く。それは、グローバリストには規制と感じられる。つまり、民主主義の立場に立てば、適当な規制の範囲があり、なんでも撤廃するのが良いとは限らない。新自由主義(ネオリベラリズム)は、その規制をできるだけ少なくし、小さい政府を目指す考え方であり、グローバル経済はそれが世界規模に実現した姿である。
 
2)グローバル経済の主役は「優秀なる遺伝子を持った資本」である:
グローバリズム社会の一つの特徴は、会社がより良い経営環境(安価な労働力やゆるい規制など)を目指して出身国以外へ移動し、同業他社と競争することである。つまり、物やサービスの地理的移動のコストが低くなり、且つ、資本移動の障壁がほとんどなくなれば、企業の国籍はあまり問題ではなくなり、競争は地球規模的になる。その結果、元の出身国の雇用は減りグローバル化できる物品の価格は下がることになる。サービス業などの多くは海外にでる意味がないが、上記雇用の減少などの結果、不景気となる。
 
一つの会社の活動の範囲は通常限られているが(補足1)、他の会社との協力関係がその会社の活動に大きく影響する。その結果、法人よりも大きな存在である「資本」が多くの分野の企業を束ねる存在となり、それが経済の本当の主体になる。その結果、会社は一つの巨大な資本の支配下で活動するようになり、会社は「資本」にとっての構成員となるだろう。
 
グローバル経済という経済体制は、米国や西洋諸国を中心とした国際的巨大資本の意思に沿って徐々に出来と思う(補足2)。そして「資本」に自己増殖の遺伝子が存在すると思う。優秀で強力な資本は大きくなり、劣った弱小資本は滅びるか他に吸収されるだろう。つまり、優秀なる遺伝子を持った資本(個人にとって有害であっても)は、益々巨大になりやがて世界の経済を支配することになる(補足3)。そして、そのような優秀な資本は、上記国民の間の分断をつくり、貧富の差の原因となる(補足4)。
 
3)グローバル経済における国家の役割:
貧富の差の縮小は、国家による最低賃金や富の再分配という形で行われ、それは資本にとっては規制となる。グローバル化の世界から孤立の道を取ることができない国は、企業競争力を損なわない範囲でしかそれら規制を維持することができない。
 
国家の役割は、国民に現在と将来への安心を提供することである。具体的には、平和で安全な国家を建設すること、時代にあった法律の整備刷新を行うこと、快適な生活環境を提供すること、将来を担う子供たちへ良い教育環境を与えてくれることなどである。一方、国家は経済活動に有利なインフラや法環境などの整備を行い、会社や「資本」を相手にサービス業を営んでいる。この両方の視点からみて、伴に合格点を得ることは至難の技である。 
 
会社や「資本」という顧客よりも、国民の要求を優先するような国家を国民は作るべきであることは言うまでもない。しかし、会社が元気にならない国において、国民は幸せを享受できる筈がない。自己増殖の遺伝子を持つ「資本」を如何に穏やかに活動させるかが、21世紀の世界政治の仕事だと思う。
 
グローバル経済は、「資本」が国家の規制を嫌った結果出来上がったとすれば、世界全体を大きな国家的枠組みとして改造しなければ、根本的解決は無理だろう。つまり、これまでにない密接で深い国際協調の体制である。それができた時点では、タックスヘイブンなどは消滅している筈である。
 
4)以上素人の理系人間が、世界の構造について今まで得た知識を元に、想像力も働かせて考えてみた。しかし解らないこととして残るのは、一般勤労者の所得由来の資本、生まれながらの少数の富裕層の持つ資本、さらに特定の個人数人のグループによる世界的な巨大資本、それぞれが全く別の動きを経済においてするのなら、上記のような国際協調は所詮無理だろうと思う。 
 
世界の99.9%の人口を占める大多数の勤労者がその不満を解消するには、勤労者が中心となった全く新しい政治改革が必要となると思う。それが米国などで始まっている動きと違うのだろうか?
 
 
補足:
1)最高責任者は一人でなければ、会社はまとまらない。一方、一人の最高責任者が采配できる範囲は限られる。
2)経済のインターナショナル化には二つの道がある。一つは、共産主義としてのインターナショナルであり、それは20世紀初頭世界的になったが、結局非効率な経済システムということで失敗に終わった。もう一つの試みが、20世紀後半から21世紀前半にかけてのグローバル化経済である。この両方とも、ある巨大資本が関係しているという説がある。
3)資本の遺伝子とは、その資本を動かす資本家の戦略的思考である。優秀な資本家は、優秀な経営者を選び、その時代的背景などの多次元の舞台で戦略的思考ができ、資本を動かし競争相手の資本を駆逐するだろう。
4)ニケシュ・アローラ氏は、Googleの元経営者で後継者候補としてソフトバンクに二年前入社した。その後、経営路線が現社長と合わず退社したが、2年間に得た報酬は約60億円だった。日本の最低賃金で働く人がそれだけ稼ぐには、4200年かかる。同じ労働者でも、これだけの差が生じる社会は健全である筈がない。資本家としての報酬なら、もっと多額を得る人はおおぜいいるだろう。
 


昨日に続いて、表題の問題につき整理します。前回の疑問点:サンフランシスコ平和条約第3条を根拠に米国の施政権の下におかれた沖縄が、日米間の沖縄返還協定で日本に返還されたのだが、その二つの条約が整合的かどうかという点が気になる。
 
ちなみにサンフランシスコ講和条約の第3条は以下のような文章である。
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
 
ここで、米国による国連への提案はなされなかったので、その下の“合衆国は領水を含むこれら諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする”が沖縄返還協定まで有効だった。
領有権に関しては、サンフランシスコ平和会議での米国のダレス国務長官の演説、及びケネス・ヤンガー英国全権の演説、それを引用した吉田茂総理の演説により、日本の潜在的権利が確認されるとのことである。
 
従って、領有権は潜在的に日本が持ち、沖縄返還協定で施政権が日本に帰ったのだから、沖縄は日本に復帰した。
 
しかし、平和条約3条に規定されている「琉球諸島などを信託統治制度の下におく」という部分が実現していないのだから、沖縄の領有権については未定であると考える立場もあり得る。それは、平和条約が想定した沖縄が日本の領土となるルートは、「米国の施政権下=>米国を施政権者とする信託統治領=>沖縄独立=>日本との合併」であるという考えである。
 
つまり、“米国の施政権下”という状態から日米間の協定のみで日本に施政権を返還することは、平和条約第3条に想定されていないのではないかという考えである。尖閣問題は、内閣官房のHPに記述がある。しかし、この点については何もかかれていない。http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/senkaku/senkaku.html