1)安倍総理は、1226,27日に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する式典に、日本の総理大臣で初めて出席することになった。これは新しい時代には、歴史に区切りをつけて新しい外交をおこなうという知恵を、改めて世界に示す(補足1)ことになると思う。

 

真珠湾攻撃についてはいろんな歴史的解析が存在するが、それは歴史学の問題であり、現在の政治の問題にしてはならないと思う。米国には奇襲攻撃されたという言い分があり、日本には、米国の制裁に耐えかねて先制攻撃をせざるを得なかったとか、米国は無線を傍受して正確に日本の攻撃を予め知っていたとか、の歴史家の分析がある。しかし、それは講和条約という形で、互いに乗り越えた筈の過去である。

 

今回の安倍総理の知恵ある決断は現実的なものであり、理想主義的な勢力(原理主義者)からは非難を受ける可能性がある。理想主義者というのは、人間の知恵や能力の限界とか複雑な世界の中に生きている現実などを十分考慮せず、言語に用意された論理とそれによる思考で”正しい方法”を導き出せば、全て解決できる筈であるし、されねばならないと信仰する勢力である。

 

日中国交回復の際に、周恩来が田中角栄に贈った色紙の文章は、「言必信、行必果、脛脛然小人也」(論語、子路編)の最初の6文字であった。この由来から、周恩来は日本をそして田中角栄の外交をどう見ていたかが理解できると以前のブログで書いた。それは、鬼塚英昭という人の書いた「田中角栄こそが対中国売国者である」(成甲書房、2016/3)という本から学んだこと(あるいは受け売り)である。

 

上記子路編の言葉は、孟子の中の文章「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉と対をなしている。その訳は、「大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすだけである」である。

http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42762695.html

 

安倍総理は、日本国民に対する義を果たすことが大人(たいじん)のなすべきことであり、それは現在と未来の日本の国民に、安全と繁栄をもたらすことであると思っておられる筈である。一旦政治的に乗り越えた筈の歴史に、政治の舞台で拘泥するのは愚かである。今我々のもつ歴史書は真実を抽出して体系化したものであると、信頼を置くのは士(学者)のやることであり、大人のすることではない。

 

2)トランプ氏が次期大統領になって、日露交渉におけるロシアのプーチン大統領の態度が急変した。そのことについては、ウリュカエフ大臣の逮捕のニュースの翌日にブログに書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html

 

その後、徐々に日露の交渉が暗礁に乗り上げる可能性が高いとか、二島返還も実現しないだろうという分析がなされるようになった。こちらの方は歴史を乗り越えていないので、過去の歴史を振り返り日本の言い分を交渉に反映させるべきだと思う。

 

この件、日本の世論を引っ張っている新聞などは、二島とか四島とかいう問題をあまりにも重視しすぎである。これは、大国である米国、中国、ロシアの三国の間に挟まれて、非核保有国である日本の将来の生きる空間を如何に確保するかを、第一に考えて交渉に臨むべきことなのである。日露問題は、日中問題であり、日米問題でもあるのだ。

 

政府筋は否定するのが当然であるが、今回の安倍総理の真珠湾での慰霊祭への参加決断は、この日露交渉の暗転を予想したことも一つの大きな動機だと思う。また、次期大統領のトランプ氏と会談を早々と行うなど、オバマ大統領にとっては決して愉快なことではなかった筈である。その気持ちを払拭する意味や、オバマ大統領の広島訪問に対する返礼の意味も込めて、もうすぐ退任されるオバマ大統領への表敬が最大の動機だと思う。非常に優れた決断だと思う。



補足:

1)書くまでもないが、過去の歴史を歪曲した上で、対日本外交に利用している韓国、朝鮮、中国に対して、”歴史と正しく向き合うこと”とはどういうことかを教えることになると思う。

1)今朝の阿川佐和子さんのトーク番組のゲストは梅沢富美男さんだった。そこで、梅沢さんの好きな曲として紹介されたのが、小椋佳の作詞作曲の「少しは私に愛を下さい」だった。https://www.youtube.com/watch?v=p5vsCdyaIII
その歌(詩)が興味深く、ここで私の感想とともに紹介したい。
 
少しは私に愛をください。全てをあなたに捧げた私だもの。
一度も咲かずに散ってゆきそうなバラが鏡に写っているわ。少しは私に愛をください。
たまには手紙を書いてください。いつでもあなたを想う私だもの。
あなたの心のほんの片隅に私の名前を残して欲しいの。たまには手紙を書いてください。
みぞれの捨て犬、抱いて育てた優しいあなたを、想い出しているの。
少しは私に愛をください。
 
上記youtubeのサイトでは、小椋佳のほかに来生たかおと井上陽水が歌っている。女性が独立した人格を持たないほどの男女の従属関係を悲しく歌っている。この歌だけでなく、同種の歌詞は人気ある歌謡曲として多く存在している。例えば、都はるみの歌ったヒット曲「北の宿から」でも、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でも、心が移った男性と従順にもそのあとを追う女の心が歌われている。そのような関係に対して両性に一定の理解がなければ、この歌詞は人気の出る歌として成立しない。女性が心底嫌うのなら、これらの曲はヒット曲とはならなかっただろう。(補足1)
 
2)ブレジンスキーの本に「ひ弱な花」がある。その中で、日本に残る封建的人間関係を論じている。そして、仕事場での人間関係を見て「既成の権威に対する服従がかなり徹底しており、高度な階層的秩序が広く容認されている」と指摘している。外国人には特徴的に見えることでも、当の日本人には普通にしか見えないので、未だにその慣習というか文化に変化はない。
 
非常に極端な人間関係を歌った上記のいくつかの詩を、伝統的権威に対する従順な日本人の姿を描いていると見るのはおそらく正しいだろう。上記の歌は、それを男女間のものとして歌ったものであるが、その精神は主従の関係にどっぷりと浸かる日本的人間関係のものである。

一例として、非常に閉鎖的な日本の労働市場を考えて見る。その根本に、「忠臣は二君に仕えず」という封建思想の変形された集団心理が存在していると考える。そして、学校(大学)を卒業後に入社した学生は、終身雇用の制度によって、会社との間に擬似的な主従関係を築くのである。その労使の関係が崩れつつあるが、依然としてそれ以外の労使関係としては、最も原始的なものしか存在しない。
 
このような労使関係での賃金は、成果とその報酬という関係で決まらない。その代わり、労働者は年齢とともに変化する生活経費を雇用者から受けるのである。つまり、年功序列とは主従関係の賃金体系であり、決して近代的な労使関係のそれではない。
  
 
補足:
1)女性が心底嫌うのなら、男性もそのような関係は好ましくないと考えるはずである。一般に男女の関係は、グループが生き残るプロセスの中で、仕事の分担と同時にできたと考えられる。たんなる好き嫌いの問題ではなかった筈である。
ニュースによると、北朝鮮の5回目の核実験を受け、国連安全保障理事会は30日午前(日本時間同日深夜)、6度目となる新たな制裁決議案を全会一致で採択した。この制裁は、北朝鮮の主要な外貨収入源である石炭輸出に上限を設定した内容で、疲弊する北朝鮮経済に打撃となると考えられている。そのほか、鉱物資源の禁輸や、船舶などの北朝鮮への輸出禁止、金融制裁、などを強化する内容である。 

読売新聞によると、米国は中国に対して制裁の強化を呼びかけ、決議案を日本や韓国と協議の上で書いたという。両国とも、米国のいいなりにしか行動できないのが情けない。それが国際社会の掟なのだろうか? 

この様な出口を塞いで制裁強化する姿勢では、北朝鮮の暴発を催促するようなものであると思う。米国は、北朝鮮を攻撃する口実として、日本の三沢あたりへ核ミサイルを打ち込むか、韓国に対する奇襲へと仕向けているのではと疑ってしまう。ベトナムのトンキン湾事件や日本による真珠湾攻撃と同じパターンである。 

もしそうなれば、その後、米国の核の傘の値段は暴騰し、日本や韓国から富の収奪ができる。米国の軍需産業の需要も増加して、景気浮揚の一つのエンジンになるのだろう。多少の人的被害は構わない。その大半が日本人や韓国人なら尚更だ。そんなことが頭の片隅をよぎる。 

何度も同じことを書くが、北朝鮮が一貫して要求してきたことは、現体制を認めることである。従って、朝鮮戦争を終結して米朝平和宣言の様な形で国家としての存在を認めれば、北朝鮮は核開発に向かわなかっただろう。それをせずに、制裁に次ぐ制裁で追い詰める手法は、75年前に日本国に対して行った冷酷な姿勢によく似ている。

キリスト教やユダヤ教の神はニーチェの言葉通りなのだろうか?