1)今日ロシアのプーチン大統領一行が山口県で安倍総理と会談するようだ。日本ではこの問題を北方領土返還交渉のように考える人が多い。多分ロシアでは、極東経済開発問題として考える人が多いだろう。そのように双方が考えている限り、ゴールには到達しないだろう。 
 
一時期日本では、面積半分で折り合いをつけるとか、二島先行返還とかの楽観論が多かった。しかし、最近のプーチン大統領の「領土交渉はしない」という発言を聞いて、ガッカリする人たちやそれでも進展があると力説する人などに分裂している。 
 
昨日の読売新聞朝刊の一面トップは、表題“四島交渉「別の問題」”及び副題「共同経済活動 露の主導下で」という記事であった。それによると、プーチン大統領はロシア大統領府で、読売新聞東京本社の編集局長と日本テレビの解説委員長の質問に答えて、(平和条約締結の)「チャンスはある。パートナーの柔軟性にかかっている」と述べ、更に、四島の帰属問題の提起は「日ソ共同宣言の枠を超えている。全く別の話で別の問題提起だ」と、平和条約締結と関連しての国後と択捉の引渡しはあり得ないと明言した。また、安倍総理の8項目経済協力プランについては、平和条約を締結する「条件ではなく雰囲気作り」との認識を示した。 
 
本題からずれるが、この“8項目の提案は平和条約締結の「条件ではなく雰囲気作り」だとの認識”という文章(文節)の意味がわからない。提案するだけで雰囲気作りができたのか、それを互いに実行することが雰囲気作りなのか? 肝心なところを曖昧に書いてしまう新聞社の無能さには呆れる。(補足1) しかし、多分後者の意味だろうと推測する。8項目の経済協力に合意して副題にあるようにロシア主導でそれらを実行するのが、単なる雰囲気作りなら、今回の平和条約締結はあり得ない。
 
多くの解説者がいうように、プーチン商店が値引き前に定価を上げているのなら、今後の安倍総理の交渉力にかかっている。しかし、プーチン大統領の本音がその言葉通りなら、こちらも諦めて、さっさと文字通りの意味でご馳走をしたのち帰ってもらうしかない。
 
2)どうやら、今回の平和条約締結交渉は暗礁に乗り上げることになるだろう。今回の件、日本の報道も政治も浮き足立ったことを認め、将来を考える上での参考にすべきだと思う。高い塀に囲まれていると思って安心して眠っていたが、自分の箱庭の外は厳しい冬の荒波が押しては引いているのである。つまり、今回の日露間の問題は、主に日本の問題でありロシアの問題ではないということである。また、プーチン大統領の姿勢の変化から、ロシアにとって日本は単にアメリカという獅子の尻尾に過ぎないということを再認識すべきである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html
 
日露関係が将来どうあるべきかという問題を考えるには、まず日本が世界の中でどういう位置を占めることになるのか(占めるべきなのか)という問題に一応の答えを得ることが条件である。しかし、その答えは明確には出ないだろう。何故なら、日本国は戦後70年以上経っても、未だに「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」するとか、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する(日本国憲法前文)」とかいうレベルの国際感覚しか持たない、12歳程度の世論しかない国なのである。
 
終戦後の70数年間日ソまたは日露平和条約の話は、ロシアにとってニート少年への不動産引渡交渉のような感じかもしれない。まともに平和条約締結の交渉をするためには、単独で国家としての体裁を整えることが前提だと思う。米国でトランプ氏が次期大統領に決まり、世界の政治や経済が今後グローバル化に進むという考え方が一気に後退したように思う。その代わり、世界は今後国家間でできるいくつかのブロックで構成されるようになるだろう。日本は現在英米ブロックの端に位置しているし、その延長線上以外に日本の位置を求めることは、日本国の中枢と日本国民の意思に相当の成長がなくてはあり得ない。
 
日本は、米国、中国、ロシアの三ヶ国の間で、どのような位置を確保できるか、わからない。三つの強国よりも二つの強国に囲まれる方がましかもしれない。ロシアが、「1年間有効期限の残った日ソ中立条約の一方的破棄、弱り切った日本への攻撃、民間人の強姦や虐殺、大量の日本人をシベリア抑留したこと」などに対して何の心理的負担が無く(ロシアの民意がプーチン大統領の言葉通りなら)、且つ日本にとって日露経済協力が必須の要件で無いのなら、あえてロシアへの経済協力に努力する必要はないような気がする。もっと言えば、日本の将来と比較して、4島問題なんてどうでも良いくらいの小さい問題なのだ。
 
補足:
1)“8項目の提案は平和条約締結の「条件ではなく雰囲気作り」だとの認識”という文章の中での「提案」は、「提案の実行」という意味だという声が読売新聞の方から聞こえてきそうな気がする。この種の曖昧さが日本語には非常に多い。ケントギルバートが以下のように言っていた。「私はバイリンガルなので、日本のことを書くときには日本語で書き、米国のことは英語で書く。そして、それをもう一方のメディアに送るときに翻訳する。そのとき、英語で書いた原稿を日本語にするときは簡単だが、その逆の場合はいつも難しい」と。私も日本語の特徴というか欠点をブログなどに書いてきたが、日本語の文章は、論理のロープを手繰るようにしないと誤解してしまう。
 
1)歴史は複雑に絡んだ膨大な出来事の中から、一部を取り上げて原因と理由の論理でつなぎ合わせた物語である。したがって、歴史を書いた側の事情により、いろんな歴史が存在する。”陰謀論”とは、正史とされる歴史を編纂した権威が、ある出来事に対する異なった解釈に貼り付けるラベルだと思う。 
 
今朝久しぶりに時事放談を見た。最初の話題は、韓国大統領の朴槿恵氏が友人のチェ・スンシルに国家機密を漏洩したとして弾劾された件であった。ゲストの石破茂氏はこの件と40年前の朴正煕元大統領暗殺事件との関連を語った。つまり、母親が殺されたあと朴槿恵に近づいたのが、チェ・スンシルの父親で、キリスト教系新興宗教の開祖である崔太敏であったが、その後両家の家族ぐるみの付き合いに発展した。そのことが大統領として適切でないと、当時KCIA部長だった金載圭が朴正煕に指摘した。しかし、全く聞き入れなかった朴正煕に立腹して暗殺したと言うのである。
政府与党の重鎮である石破茂氏がテレビ番組で言うのだから、しっかりとした情報であるだろうと私は思った。おまけに同席した仙谷由人氏も司会の御厨貴氏も何も異論を出さなかった。(補足1)<br><br>
 
しかし、ウィキペディアには全く異なった情報が書かれていた。この事件は、学生による反政府運動に対する取り締まりが緩いと、当時KCIA部長だった金載圭が朴正煕大統領に叱責されたことが原因で、それを恨んだ金載圭が朴大統領と車智澈大統領府警護室長を射殺したと書かれている。この時、金載圭は部下に大統領府警備員(車智澈の部下)の射殺を命じている。つまりKCIAが組織的に行ったのである。<br><br>
 
一方、日本の公安調査庁の元調査第二部長であった菅沼光弘氏の理解する朴正煕大統領暗殺事件の様相はこれらと全く異なっていた。菅沼氏が得た情報では、朴正煕大統領は中国や多くの国に核兵器が拡散していく状況下で、核武装しない国家は真の独立国家とは言えない(なり得ない)と考え、日本の協力を得て核開発を目指したこと。その姿勢が米国の逆鱗に触れて殺されたと言う。KCIA部長の金載圭は暗殺の際に、「閣下死んでいただきます。私の後ろにはアメリカがいます」と言ったと、菅沼氏はその動画で話されている。
これらの説は全く異なった話であり、真実は一つであるから、少なくとも二つは捏造された事実を用いて書いた”歴史”である。もし、この三つの説の中に真実があるとすれば、菅沼氏の紹介した説であると思う。なぜなら、ウィキペディアに記載されている事件の進行は、暗殺事件が組織的になされたことを示しているからである。つまり、組織としての明確な方針が決定されていなければ、上司といえども国家要人の暗殺を部下に命じ、それがスムースに実行されるとは思えないからである。 
 
その後、金載圭は絞首刑となったが、彼は使い捨てにされたのだろう。金載圭にとって、その時にKCIAの部長であったことが不運だったのだろう。このケースがその後の日本の政治にも影響しているかもしれない。日本も中国が核装備した佐藤内閣の時に、核装備を検討したことがあるが、佐藤首相は簡単にそれを諦めている。(補足2)このとき、米国に日本の核武装は許さないと<b>釘</b>を刺された筈である。その時用いられた<b>ハンマー</b>は、朴正煕暗殺事件ではなかったかと想像する。
 
2)朴正煕大統領暗殺の件では、真実は陰謀論の方にあると思う。政治が嘘と誤魔化しの世界である以上、正史が真実と程遠いのは極普通(あたり前)である。正史と真実がかなり近いのは、科学の分野くらいだろう。それでも、利害と絡んでくると捏造が出てくる。
 
利害とは科学者が職業として成立するようになれば、より高い給与や名誉と真実究明が競合関係になるからである。例として、STAP騒動は未だに記憶に新しい。また、国家の名誉や国際的地位などと絡んでくれば、巨大な捏造もあり得る。その意味で、ノーベル賞は科学の発展に良い影響ばかり与えるとは限らない。個人が科学研究の道へ向かう動機として、自然への興味の他に個人的で世俗的な目的となり得るからである。 
 
「陰謀論に走ってはおしまいだ」と言って、主流派に占める自分の地位を守るのは、全く真実に興味がない世俗的な人の行為である。また国家のトップにあるものが、自分の命を第一に考えていては、矛盾だらけの正史と多くの陰謀論の国になるだろう。 
 (編集、12/12 7:00)
 
補足: 
1)この番組の面白くないところは、ゲスト二人は自分の思うところを述べるだけ、司会者はそれらを聞くだけ。互いの議論も議論から浮かび上がる真実もないところである。 
2)1967年12月11日、佐藤総理は衆議院予算委員会で次のように答弁した。「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、そのもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます。」と述べた。(ウィキペディア)
 
 
1)日本語は、論理的な議論に向かない言葉である。その論理展開の不自由さを埋め合わせるように日本語に生じたのが、言葉に予め価値や意思などを含ませることである。つまり、単語一つで意思、感情、そして情報の伝達をある程度行うのである。例えば、一人称主格は英語ではI()だが、日本語では私の他に、俺、僕、拙者、小生、我、我輩など10数個の単語がある。その中から一つを選択した段階で、元々の意味の他に背景や感情などを伝達するのである。
 
単語に価値とか善悪を暗に含ませることは、日常会話でも普通に行っている。もちろん、善や悪の様に価値の尺度を直接示す言葉は英語でも何語でも存在するが、そういうことではない。例えば、「女」という単語には悪を、「女性」という単語には善悪とは無関係という価値(辞書にない共通の感覚)を植え付けているのである。
 
それは、NHKニュース等でよく聞く以下の文章を見ればわかる。「昨日、50歳の女が隣家に押し入り、65の女性を暴行し、全治3ヶ月の怪我を負わしました」の文章で、“女”という単語と“女性”という単語は、入れ替えることはできない。何故なら、上記のように女は悪い方に使うと決まっているからである。女という単語を使って、女性の意味を表すには「女の人」と人をつける。「人」は一般に善良なる社会人を意味するからである。従って、「人でなし」は悪い人であり、善良なる性質を失った人のことである。
 
辞書に記述されない価値や善悪などの意味を、言葉(単語や文章)に含ませるのは、日本語に独特だと思う。この言葉の使い方は、論理展開なしに情報伝達が行えるので意思伝達の効率を上げることになる。なぜなら、「あの女」で始まる言葉を聞く人は、話手がこれからその女の人を非難することが予め解るからである。
 
2)この便利さは同時に危険性でもある。つまり、一旦社会に受け入れられた言葉に、人々は金縛り状態に陥ることが往往にしてあるからである。例えば現在の日本国憲法を考えてみる。用いられた単語とそれによる文章に付随した絶対的価値のため、憲法前文や9条第一項を変更することは、日本国民にはできないのである。
 
前文の2節目の最初の文章は、美しい単語、「平和」、「崇高」、「理想」、「公正」、「信義」などで飾られている。それらは議論を通して定められたルールではなく、ただ拝むだけの対象でしかない。憲法9条第一項も同様に、読経のように唱えるのには美しいが、論理は滅茶苦茶である。(補足1)
 
もう一つの日常的な例をあげる。11月中旬になるが、帰省して父親の法事に参加した。そこで何時ものように坊主は仏壇の前で経を読む。般若心経から始まり、その他に二つ念入りに読むのだが、参加者は全てその意味を知ることはない。ただ仏壇に向かって座り、こうべ(首)を垂れているだけである。頭の中では、それぞれが全く別のことを考えているに違いない。
 
このように、文章を聴きながらその意味を考えずに拝む習慣は、議論や討論の習慣とは同居しない。その結果、日本人に出来る議論に似た行為は、口論と喧嘩だけになってしまったのではないだろうか。
 
経でも憲法でも、その言葉の意味ではなく、その言葉自体が有難いのである。それを象徴する出来事として、玉音放送がある。大日本帝国(補足2)が、天皇の決断により連合国側が示した降伏の条件(ポツダム宣言)を受け入れることになった時、天皇陛下の言葉が全国放送された。多くの国民はその意味がわからなかったが、土下座して有難い天皇陛下の言葉を聞いたのである。(補足3
 
3)その日本語の特徴を巧みに利用する連中が永田町にも大勢いる。強行採決という言葉がよく新聞にも掲載されるが、それを与党の横暴であると考えている人も多いだろう。しかし、「民主主義」を標榜する国家なのだから、一定の議論の後、議長の判断で採決するのは「強行」ではない。「強行採決」は「強行」という悪い意味を「採決」にかぶせることで、選挙民にあたかも与党の法案採決をまるでゴリ押しであるかの様な印象を与えるために、野党の誰かが発明したのだ。(補足4)
 
「陰謀論」或いは「陰謀」もそのような類の言葉である。これらの言葉にも強い負の価値が付随している。そこで、ある二つの勢力間に政治的企みがあった時、どちらかの企みに対して「陰謀」という烙印を押すことに片方が成功すれば、そこで差し当たり勝負は決する。陰謀は悪だから支持を失うからである。
 
例えば、ウクライナのクーデターとその後起こったクリミアの独立とロシアへの併合では、日本は米国の役割にはあえて言及しないようにして、米国に追従し他のG7諸国と歩調を合わせてロシア制裁に動いた。(補足5)そして、米国がヤヌコビッチ大統領を倒すべく陰で動いたとの指摘を、陰謀論の烙印を押すことで封印した。
 
日本では、テレビで活躍の対米追従型の元外交官の方々が、その封印作業に大きな役割をしたと思う。その陰謀論と烙印を押された意見は、例えば馬淵睦夫氏らによりyoutubeなどで紹介されるのみで、一般のテレビ放送や新聞の報道には決して登場しなかった。
 
つまり、陰謀論という烙印は真実に目を向けさせないための道具として屡々用いられる。日本ではそれが極めて有効であり、米国のマスコミに話題に上ることでも、日本のマスコミには決して現れないケースが多々ある。今回の米国大統領選でトランプ氏が勝利したが、新しい体制になればロシアとの関係が見直され、上記の件も陰謀論の烙印が剥がされるだろう。
 
かなり以前から、アポロ宇宙船が本当に月着陸を果たし、船員が月の地面を踏んだのだろうかと言う疑惑がある。「アポロ宇宙船により人間を月に送ったという話は、米国の壮大な捏造である」との疑惑についてのyoutube動画に私もコメントをした。
 
そこでも、「米国の捏造ではないか?」という議論は陰謀論に分類され、日本では忌み嫌われている。NHKはその説に陰謀論の烙印を押すことに協力する内容の放送を、非常に粗雑な実験と論理で行った。すでに書いた様に、私は月の地面の残されたと言うくっきりとした靴跡と、アポロ13号乗組員が機械船の爆発事故の後、月着陸船に乗って無事帰還したことの両方に疑問を持ち、現在捏造疑惑の方を支持している。

元々善悪の衣を着た言葉の他に、凄惨な出来事を経験した人たちに悪の衣を着せられた言葉がある。例えば、「原子力」と「核」である。広島と長崎で原爆が投下されたことにより、一般市民はこれらの言葉に強い負の意味を感じることになった。前にも書いたが、論理的思考に慣れない人々は、まるで原爆が無差別殺人の犯人のような感覚から離れられないのである。それを利用して、ノーベル賞をもらった人がいる。(補足6)
 
(18:30加筆編集)

補足
1)9条第一項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」である。希求すれば実現するので、武力の行使は不要である。万が一希求したにもかかわらず実現しなければ、我が民族の希求に誠実さが伴わなかったことを意味する。その場合、我が民族は滅んでも仕方あるまい。
 
2)自国の名に大をつけるところから、この国の言葉はどこか変である。
3)朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

日常語と全く異なる言葉で、ポツダム宣言受諾と日本が戦争に至った理由を話された。しかし、その意味が理解できなかった人が多かったというのも分かる。http://news.livedoor.com/article/detail/10471284/
 
4)日本の主たる野党は、マッカーサーにより反日政党として育てられたという見方がある。
5)元外交官の馬淵睦夫氏や外交評論家の田中宇氏らは早くから米国の介入を紹介していた。最近、オバマ大統領がそれを認めたということが、以下のサイトに述べられていようだ。
 
6)核兵器が大量無差別殺人をしたので、核兵器が憎い。そこで、「核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を堅持すると言って、人気を得てノーベル平和賞に輝いた人がいた。しかし、「核兵器を日本に打ち込ませず」の言葉はないし、その言葉はむしろ上記三原則と対立する。あの方は、日本人の言語感覚をよく知っていて、それを用いて自分の地位を築き、結果として日本民族を裏切った卑怯者である。