少し古い話だが、週の初めの日曜日朝7時サンデーモーニングの感想から書く。
 
トランプ大統領の政治がすでに始まっているという指摘ののち、二人のコメンテーターにより興味ある指摘がなされた。一つは、寺島実郎氏によるトランプ氏は白人低所得者層の支持で大統領に当選したが、その実態はニューヨークの金融資本の政権であるというもの。
 
財務長官と国務長官に夫々予定されているゴールドマン・サックスの関係者やエクソン・モービルの経営者などの顔ぶれはその話を裏付けている。トランプ氏のキャッチフレーズはアメリカン・ファーストで、そのアメリカンがアメリカ人だと思って投票した人が多かっただろうが、本当は“アメリカの”という形容詞であり、その後に金融とか企業とかがつくのだろう。それを実現するために、国防長官には軍人を持ってきているし、核装備の拡充などにも言及している。
 
つまり、トランプ氏が考えているのはアメリカ孤立主義ではなく、アメリカ企業や金融の利益第一主義であり、そのおこぼれをWASP貧困層にtrickle downさせるというものだろう。アベノミクスでもtrickle downがなかなか実現しなかったので、トランプ批判は半年ほどで生じるだろう。
 
もう一人のゲストの姜尚中氏が引用した最近英国でできた新しい言葉ポスト・ツルース(post truth)時代についての話である。つまり事実(truth)を無視して、いい加減なプロパガンダが世界を動かす時代を指す。この用語については新たに言葉を作る必要などないとの議論は既にした。何故なら、嘘が歴史の中に山ほどあるからである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43126500.html
 
しかし、昨日の記者会見でのトランプ氏の発言は異常である。大統領就任後も変化しないのなら、何か事件が起こりそうに思う。例えば、自動車をメキシコで作って米国で販売する場合、高い関税(補足)をかけるとの発言は、NAFTA(北米自由貿易協定)に違反するので、20年以上も続いた条約を廃止することになる。そんなことが簡単にできるのか?
 
とにかく、そろそろ大統領らしい発言をしないと、ロシアの政権の選挙介入問題が大きくなってくると思う。

補足:関税ではなく、全く新しい税金であり(国境税と呼ばれている)、性格としては法人税の増税らしい。しかし関税の増税ならNAFTAからの脱退で可能だが、国境税のような非関税障壁の創設はWTO違反になると、三橋貴明氏が指摘している。
1)米国の対日政策は一貫して、日本国の「骨抜き」を目的としていると考えてきた。つまり、非武装を定めた日本国憲法の制定や有能な人間の公職追放など、マッカーサーの戦後の占領政治の延長上に現在もあるということである。しかし、それとは若干異なる歴史的事実も存在したのである。
 
以前のブログでも書いたのだが、片岡鉄哉氏は著書「核武装なき改憲は国を滅ぼす」(ビジネス社)において、佐藤栄作の首席秘書官だった楠田實著の「楠田實日記」(中央公論社、2001年、776頁)を引用して、米国ニクソン大統領が憲法改正と核武装を1967-1972の間に何度か佐藤栄作総理に勧めたことを書いている。
 
この片岡鉄哉氏の本を読んだ時には十分消化吸収できなかったのだが、今回江崎道朗氏の「中国共産党の対日工作」という動画を見て、納得できたので、その講演の資料を参照して少し追加する。
 
米国は、196210月の“キューバ危機”において、ソ連との悲壮な決意で臨んだ交渉の結果、核戦争の危機を脱した(補足1)。また、ベトナム戦争において、1965年には最大16万人を派兵しながら、勝利には程遠かった。ニクソン大統領の提案はそのような情況下でなされたのである。その冷戦時の米国の焦りを前提にすると、再軍備と核装備の勧め、および、冷戦における米国への積極的協力を、日本に要請したことが理解できるのである。
 
2)196710月、ニクソン大統領は外交専門誌foreignaffairs誌上で、ベトナム戦争に疲弊した米国は、もはや世界の警察官としての役割は十分には果たせないので、同盟国は「中国の野望」から自らを守るために、より一層の努力が必要であると述べた。196911月ニクソン大統領は佐藤総理に、沖縄の核兵器をアメリカ製から日本製に変えるように促した。
 
1972年1月、訪米した佐藤総理に対して、ニクソンはアジアでの日本の軍事的役割の拡大を主張したが、佐藤総理は「日本の国会と国民の圧倒的多数は、核兵器に反対している」と反論した。これは、ソ連と中国の脅威に対して、日本はアメリカと共に戦う意思はないと表明したことになる。しかし、日本は日米安保条約をあてにしないわけではない。日本は、この子供の論理から戦後四半世紀経っても抜けていないし、抜ける努力もなされていないと最高指導者は言ったのである。
 
ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官(のち国務長官)らが、冷戦に勝つために恐らく並行して考えていたと思われるのは、日本の軍事面を含めた協力とソ連と中国の分断である。当然、後者の作戦において中ソ国境紛争(補足2)が米国の味方となると、そして、日本が米国に一人前の国家として協力しないのなら、日本を売り渡すことは大きな取引材料になると、ニクソンらは考えた筈である。
 
1972年2月に訪中したニクソン大統領は毛沢東との会談で、日米安保条約は「日本が軍事ナショナリズムに走ることを阻止するためのものである」と主張した。そして、2月28日の米中共同コミュニケにおいて、中国側は「日本軍国主義の復活と対外拡張に断固反対し、中立の日本を打ち立てんとする日本人民の願望を断固支持する」と書き込んだ。
 
その後は、1976年三木内閣の防衛費GNP1%枠設定、1982年鈴木善幸内閣での教科書問題事件で、歴史教科書に日本の「侵略」を明記することの約束など、現在の日中関係が出来上がった。
 
3)日本が何故、このような半国家のような状態になったのかは、戦後、経済復興を最優先したからという言い訳はありえる。しかし、経済発展は国家あってのことであり、そのような路線は極短期ならともかく将来に禍根を残すことは、誰でもわかった筈である。

その戦後政治において、日露戦争後日本が受け入れた多くの中国人留学生が、大きな働きをした。共産主義思想を日本で学び、その後中国共産党員として日本の工作に関わったという。特に、中国共産党の下に位置した(補足3)日本共産党など左派勢力に大きな影響力を持ったというのが、江崎道朗氏の講演「中国共産党の対日工作」の主題である。
 
前回のブログに書いたように、その工作が与党である自民党の主流派にまで及んだことが、日本の半国家化に大きく寄与したということになる。そのもっとも大事なポイントは、過去の戦争を侵略戦争と位置付けて、それとの関連で日本の再軍備や日米安保条約に反対するという筋書きである。その考え方に日本の国立大学の学生たちの頭脳が完全に支配されたのが、60年および70年安保闘争である。
 
日本が主権回復後に、大学等の英知を集めて過去の戦争を詳細且つ客観的にレビューして、その作成した報告書をにおいて正当化すべきところを正面から主張しておけば、このようなことにはならなかったと思う。その趣旨の記述は、半藤一利氏の昭和史などにはない。むしろ、韓国人のキム・ワンソプ氏の「親日派のための弁明」で述べられているのは情けない限りである。
 
補足:
1)キューバ危機:
共産主義が自由主義に勝つのではないかという恐れをかなりの人が持った時代の出来事である。米国民の事情に詳しい人のかなりは、共産主義の波が米国を飲み込むのではないかと本気で思っただろう。J.F.ケネディは就任後すぐに、キューバで誕生したカストロ政権を牽制する意味で、キューバの経済封鎖を発表した。その翌月、5月にベトナムに正規軍を軍事顧問団の名目で投入する決断をした。その同じ5月に、宇宙開発とロケット技術での遅れを取り戻すため、議会において月面に人を送る計画のスピーチを行なっている。
 
その翌年の10月にキューバに核基地が出来つつあることを米国は発見した。その対抗策である海上封鎖を、ケネディがテレビで米国民に知らせた時、彼らの共産主義に対する恐怖は頂点に達したと思う。キューバ危機は、ソ連のミサイル撤去という形で幕を閉じた。その代わり、米国はキューバへの不介入とトルコに配備していた核ミサイル撤去を約束した。両方の駆け引きは、一流の指導者ならではと思わせるものである。互いに、取りうる選択の余地を残して交渉できたのは、互いに相手の力を評価していたからだろう。
2)つまり、1969年3月ウスリー川の中洲を巡って武力衝突をし、その後もアムール川の中洲などで衝突を繰り返すことになる。しかし、ソ連のコスイギン首相はベトナムのホーチミン国家主席の葬儀のあと北京に立ち寄り、周恩来首相と会談を行い政治解決の道を探るために問題を先送りし、軍事的緊張は緩和された。
3)コミンテルン執行委員の佐野学は、コミンテルンより日本共産党に対する活動資金及び各種指令は、中国共産党の手をへて伝達されることが多いと、供述したという。
1)ぽすと-真実(post-truth)という言葉を聞いたのは、この8日のテレビ番組「サンデーモーニング」で、ゲスト姜尚中氏が昨今の政治について話した時が最初だった。それを聞いた後直ちに、政治とは大昔から嘘の連続なのに、今更何を言っているのかと思った。
 
その言葉の由来だが、オックスフォード辞書を出版しているOxford Dictionariesが毎年、その年の言葉(Word of theyear)を選んでおり、2016年がそのpost-truthだった。特にpost-truth politics (ポストー真実の政治)という風に、政治を形容することを念頭に置いた形容詞である。(補足1)
 
オックスフォード辞書出版のHPを見ると、post-truthという言葉は、”客観的事実に基づくよりも、感情や個人的信条に訴える方法の方が世論を形成する上で有効であるという状況、或いはその様な状況に関するという意味の形容詞”と定義されている。(補足2)https://en.oxforddictionaries.com/word-of-the-year/word-of-the-year-2016
 
この単語自体は既にあった様だが、今年英国のEU離脱の決定やトランプ氏の次期米国大統領への当選などの際に、主なる出版物においてその言葉が説明なしで用いられるようになり、その出現回数がスパイク状に増加したという。
 
しかし、上記定義は何かおかしい。Post-truthには、真実(truth)の後に来るものは何も書かれていないので、当然、上記定義にある“感情や個人的信条”などの意味は無い。大衆の感情や個人的信条(例えばナショナリズム)に訴えて政治的力にする用語として、既にポピュリズムという言葉がある。何故、それを使わないのか?
 
つまり、Post-truth politicsという言い方には、欺瞞が含まれている。それは、これまでの政治は真実に基づいていたという嘘である。確かに、表舞台では民主政治という形式が取られていたが、それを犯す内外からのいろんな力が存在して、実際には影の力やメカニズムが政治を動かす大きな力となっていた。それに反感を持った民衆が民主政治の方法により大きく動かすようになった政治が昨年の世界的現象であり、それをpost-truth politicsというのは、米国の新聞などと同様、これまでの支配者とべったりだった出版社や新聞社による敗者の戯言なのだろう。(補足3)
 
2)嘘800並べる政治的プロパガンダが政治を動かし、その結果が歴史を作るという意味では、「ポスト真実」と言う言葉を用いて新しい現象のようにいうのは欺瞞である。そのような手法はむしろ古典的である。近代政治において諜報活動が大きな力を発揮して来たのであり、それらを意識することは現在の政治でも重要である。日本の戦後政治にとって非常に弱い分野であるが、中国や英国など大陸の諸国(の政治当局)はそれを研究し、実行していると思う
 
以前書いたが、中国では昔から人間を階層分けして、士の身分と君子の身分では別々の考え方が必要だと教えており、「君子は言葉に縛られることはない」というのが常識だという。つまり、君子つまり政治を行う者は、時に嘘をつく(あるいは豹変する)のである。(補足4)一方、日本では人に仕えるものの教育だけに熱心であり、「嘘は泥棒の始まり」でしかない。(補足5)その結果、日中国交回復の際に、田中角栄が周恩来にさりげなく馬鹿にされても、それに報道機関も気づかないのである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42762695.html
 
主題からの飛躍が過ぎると言われそうだが、あえて書く。


たとえば、最近ネットでの議論で教えてもらった江崎道朗氏の「中国共産党の対日工作」という動画では、情報を知らないのか工作を受けた結果なのか、その田中角栄時代の非常に貧弱な中国外交を指摘している。この一部は過去にすでに指摘した。”田中角栄は天才か小物か”:https://www.youtube.com/watch?v=RLG8vUu9lVg
 
中国の共産党政権が、大躍進運動の失敗による経済的苦境から立ち上がれない時に、日中国交回復と経済協力で、田中内閣は中国経済の立て直しに協力した。また、外務大臣の大平正芳の指令により、中国を刺激するような情報活動を禁止し、中国共産党の日本に対する工作を助けた。さらに、天安門事件で国際制裁を受けていた時に、加藤紘一内閣は天皇陛下の訪中とODAの再会で中国共産党政権を助けた。
 
なお、中国共産党はモスクワのコミンテルンの下にあり、その工作員の疑いのある人物が、池田勇人が作った宏池会の初代事務局長を勤め、その宏池会に上記加藤紘一、大平正芳、の他、河野洋平、宮沢喜一らという売国奴的人物が属するのである。また、中国がスパイ教育して日本に返した旧日本兵の団体である中国帰還者連絡会が、731事件や南京大虐殺などを、嘘を含めて大宣伝したのである。

上記講演において江崎氏は、これらの嘘を使った工作が日本側に大きな損害を生じさせていると指摘している。つまり政治は、嘘を如何に多く大きく宣伝するかの競争のようなものだったと言うのが常識であり、重ねて言うが、post-truth politicsとか言う言葉を今更作ることは欺瞞である。

追加:素人ですので、思い違いや誤解が含まれる可能性があります。指摘くだされば助かります。最後の方は江崎氏の講演内容の書き写しにしか過ぎません。ただ、江崎氏は売国奴という言葉は使っていません。(同日19:30)
 
補足:
1)清水寺管主が筆書きすることで有名な2016年の漢字は「金」であった。また、2016年の流行語大賞は「神っている」であった。日本の一般民の昨年の理解は、この程度なのか。
2)次のように説明されている。an adjective defined as ‘relating to or denotingcircumstances in which objective facts are less influential in shaping publicopinion than appeals to emotion and personal belief’
3)民主政治という言葉は、必ずしも”民”が最大の利益を得るという制度を意味しない。民が代表を選んで議会を作ることや議会が定めるルールに責任を持つこと、及びそれらを維持する能力と責任を持つ制度である。つまり、変な工作を受けるのは、民がその責任を果たしていないだけであり、その民が不利益を受けることを理由に民主政治ではないということにはならない。
4)孟子には、「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」とある。”大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすことだけ”の意味。
5)これは、権威だけ持ち権力を持たない天皇を政治の中心に置くという、訳のわからない政治制度の欠点の一つだと思う。つまり、権力を少数の人間が握り続けることが天皇の権威をかりて可能となる。そこで必要なのは、下克上を抑えるだけであり、大人(たいじん)を育てる言葉は不要である。天皇を元首に規定する憲法の自民党草案では、その欠点を合法化するだろう。天皇に関する条項は、今上天皇が国民に向けた言葉で強調されたように、象徴と規定する現行憲法のままでよいと思う。