追補:

 

2日前に習近平主席は、中国のオリンピック代表団と面会し、あいさつをしている。

 

 

この動画中の習近平の映像は鮮明であり、あいさつの様子も影武者とは考えられない。そういう訳で以下の記事中の私の推論は削除します。北戴河会議の意見も、独裁が完了したとすれば無視できると考えるべきなのでしょう。(8月24日追加)

 

 

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中国関係に詳しい中国出身の石平氏が、8月初旬に開催された北戴河会議で中国共産党長老たちによる習近平批判が起こった可能性があるとyoutube動画で語っている。北戴河会議とは、毎年この時期に中国共産党の長老たちが中国北部の海岸近くのこの街で避暑をかねてあつまり、中国の政治等について話し合う会議である。 https://www.youtube.com/watch?v=mWcWhCvQ71s

 


在米の中国人の方からの情報によれば、習近平がこれまで進めてきた戦狼外交やコロナ対策などを含め、全面的に批判されたようだ。ウクライナ戦争においてロシアを支援し欧米と対立したことが不況の原因になったなどとして、何でもかんでも習近平の責任とされたようである。

北戴河会議で決議された8項目には、個人崇拝のとりやめ、香港の自治の尊重、台湾との平和維持、ウクライナ戦争におけるロシア支援の中止などが含まれているという。

北戴河会議は非公式会議であり議論の内容は発表されないので公開情報で確認できないが、李強首相主宰の国務院全体会議において習近平批判がなされたとのヤフーニュースでの記事(現代ビジネスの報道)は、上記北戴河会議に関する情報を裏付けている。https://news.yahoo.co.jp/articles/533a04a7f21e0f2a55497d70de63609900e0ae7e

この件との関連で、これまで多くの中国情報を発信してこられた妙佛さんが、最近習近平は病気になったのではないかとyoutube で話している。ベトナム首相訪中の記事に、ベトナム要人との写真での習近平が(意図的にボヤ化したのか、それとも合成なのか)鮮明に映っていないというのである。https://www.youtube.com/watch?v=4qIWWiaFmkc

 


もし習近平が何か重い病気なら、北戴河会議で長老たちが習近平批判をする際の障害は無かっただろう。今後の中国の政治が、習近平政権以前の形、つまり中国共産党中央政治局常務委員会(所謂チャイナセブン)での合議制で動く可能性が大きいという気がする。

2.ウクライナ戦争への影響:


ウクライナとロシアの戦争では、中国の支持がロシアにとって大きな力となってきた。その中国において政変が起き、北戴河会議での決議にあるように中国がロシアを支持しないで欧米との関係を正常化させようと努力すれば、ロシアは苦境の陥る可能性があると思う。

 

特に、米国ネオコン政権がチャンスとみて東アジアからロシアを挑発する可能性も出てくるかもしれない。そうなれば、日本にとっては危機が近づくことになるだろう。最近米韓は、大規模な合同演習を半島で始めたようだ。何か(たとえば北朝鮮の挑発)起こらなければよいが。。

 

(以上、速報です。)


日本人の言語文化について以前何度も議論した。先日も「日本人はトルーマンが言う様にサルなのか:日本は異質な言語文化に気付くべき」という題目で、似た議論を行った。そこで、私の日本の言語文化についての文章に概ね同意する以下のコメントを頂いた。それを紹介させていただく。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12863111153.html

 

A氏による日本の言語文化に関する議論に対するコメント:


日本には「察する文化」があると。人と人の間に言葉を置いて、後は相手が察する。多分、これが「空気を読む」になるのでは。そして最後に「忖度」で纏めるのでは。

過去にイギリス人、ニュージーランド人と話し合いをしたのですが、最初に結論を述べて後から理由を説明。日本は全く逆だったのがショックでした。


私が、日本人はストレートに相手に向けて話すのではなく、二人の間の空間に言葉を投げて地面にワンバウンドしてから相手に届くように話すという説明を、もっとよく使われている分かりやすい表現でコメントして下さったように思う。上記コメントを私風に解釈して以下示す。

小学校などで「他人の立場にたって考えなさい」という言葉をよく聞かされたように思う。相手に何かを話す場合も、相手の立場や考え方を十分考慮して話しなさいという意味である。それは同時に、その話を聞いた人は、その話を話し手のことを考えた上で受け取らなければならないことを示している。

日本人の会話はそこで終わるのが普通である。相手のことを考えての発言であり、それを受けて話し手の立場を考慮しての返答なのだから、それ以上続ける必要はない。ただ問題は、予め二人が居た世界・場所から動く必要性も理由もない。二人は永遠不滅の自分の世界に生きることになる。

コメントの二番目の文節は、西欧人の会話は全く逆であり、自分は自分の立場と価値観で話をする。自分の考えや都合を自分の言葉で話すから、結論をストレートに相手に話すことになる。それを受け取った側は、自分と相手の立場や都合の違い、考え方の違いをその言葉の往復で知ることになる。

西欧人の会話はそこから始まる。その違いの原因は何か、その違いを埋め合わせる必要性、そして必要ならその方法などについて、双方が考えることなるのが普通だろう。



 

これも何度も引用した話だが、嘗て経営不振に陥った日産と資本提携したルノーが社長として日産に送り込んだのがカルロス・ゴーン氏である。彼は、フランスと日本における会社での会話の違いに言及し、以下のように言った。「フランスでは社長が何か発表すると、そこから社内で議論が始まる。しかし、日本ではそこで社内での議論が終わる」と。

フランスでは社長が、俺の将来設計はこんなに素晴らしいと幹部社員に話すと、社員はそれぞれ自分の考え方からそれを批判する。社長は、場合によっては自分の浅はかな考えに恥じ入ることもあるだろう。しかし日本では、社長の話を有難く拝聴して、会社が社員ともども奈落の底に落ちたことも多い。

その様な一つのケースが、東芝が米国の原発企業のウエスティングハウスを買収したのちに経営が傾いたことである。その時の決断は、社長の西室泰三氏によってなされた。ただ、このケースを検索すると、プレジデントオンラインという雑誌のページが出てくるが、無料で見れる範囲には当時の社長の名前は出てこない。これも日本文化の特徴或いは欠陥である。

 

 

 

因みにウエスティングハウス社は、破産申請の後、米国のある会社に買い取られ、現在も存在する。その日本支社のHPの最初のページを是非見てもらいたい。

 

 

西室氏はその後、日本郵政の社長になり、トールホールディングズというオーストラリアの物流会社を買収する決断をし、大損害の原因となった。日本では名前や家柄と学歴が人事を決める。日本の言語文化ではそれしか人事の方法がないからである。

以上をまとめると、日本の対話には弁証法的機能が働かないということになる。弁証法とは、テーゼとアンチテーゼの対立を、議論の範囲を広げるなどの工夫でそれらが統合されるような命題に導く方法である。日本にはその前提となるテーゼとアンチテーゼを提出するような、普通の西欧型会話がない。 それが日本病の一症状である。
 

終わりに:

前回及び前々回のブログ記事に対する一般の方の評価が非常に低いのは、「自分はトルーマンなどにプラスの面など見たくない。彼は日本人を大虐殺した張本人であり、天敵のような人物であると思う」からだろう。しかし、その考えに拘泥していてはトルーマンの真実がわからない。

 

トルーマンがわからなければ、その背後の強力なユダヤ系資本の政治的存在に気づかないのである。一旦日本人であることを離れ、その発想の限界を超えることで、正しいトルーマン像が得られると思う。同じことが、日本におけるグローバリスト対反グローバリストの対立図式である。

 

日本の今後の歴史に現れるのは、グローバリスト盲従か、反グローバリスト的姿勢を貫き経済的破滅に陥るかのどちらかだろう。弁証法的議論、プラトン「対話篇」にあるような議論が皆無なのが日本の言語文化の遺伝子的欠陥である。アンチテーゼを全否定し、日本中が固まったのが、あの戦争に突っ込んだ日本の本質である。
 

15:05 表題を変更


日本国が21世紀を生き残り、国民の平穏で人間らしい生活を確保するためには、尊厳ある独立国としての日本を作り維持する必要がある。その為にはこれまでの歴史を正しく再評価し、現在世界の政治環境や日本の位置を確認することが必須である。

今年も所謂終戦の日を迎えたが、その大戦の経緯についても国民はあまり知らないだろうし、学校教育でも全く教えられていない。そこで、ポツダム宣言受諾の経緯や原爆投下との関係などを調べてみることにした。以下はそのまとめである。



今回わかったこととしては、終戦時の米国大統領のトルーマンはそれほど残忍な人物ではなく、むしろ3発目の東京への原爆投下を避ける努力をした可能性が高いことである。その点では、大統領がF・ルーズベルトから交代したことは、日本には不幸中の幸だっただろう。

 

その一方、日本政府の指導者であった「最高戦争指導会議」のメンバー:鈴木貫太郎総理大臣、東郷外務大臣、阿南陸軍大臣、米内海軍大臣、梅津参謀総長(陸軍)と豊田軍令部総長(海軍)のうち、東郷外相以外、特に陸相と軍の最高幹部2名は、無責任にも停戦合意に反対し本土決戦を主張した。

 

また、毎日新聞の「笑止! 米英蔣共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」など、新聞全てが本土決戦を煽る記事を書いた。そして広島と長崎への原爆投下となった。

 

その事実を今一度日本国民は思い出すべきである。



1)米軍は1945年11月までに8発の原爆投下計画を持っていた

終戦時の米国大統領ハリーS・トルーマンは、F・ルーズベルト政権の第四期目の1945年1月20日に初めて副大統領になり、大統領の死亡後1945年4月12日に大統領に昇任した。従って、対日戦争の大部分について決定権を持たなかったし、日米戦争全体についての責任も大きくはないだろう。

日本への原爆投下計画は軍高官によって話し合われ、1945年10月中に8発までの投下が予定されていた。そして、トルーマンから軍に出された原爆投下の命令も、特に2発だけに限るという類の限定が付いていなかった。(補足1)

原爆は全く新しい原理に基づく爆弾であり、政治家も軍人もどのようなものか十分には理解していなかった。(補足2)トルーマンはこの新型兵器を準備出来次第投下するという命令を出したのだが、広島と長崎への投下とその結果を見て初めて、その絶大な軍事効果と残忍性を知っただろう。

常に戦いの場にいた軍は、原爆の圧倒的効果を知れば知る程、もっと多く且つ早く投下すべきであると考えた。また、同様に考えた米国連邦議員も多くいたようだ。

 

しかし、トルーマンは広島での原爆投下の成功に大喜びしたものの、長崎への投下以降、徐々に良心の呵責に苛まれていたようである。前回記事にいただいた在米の方のコメントあったトルーマンの言葉をここで再録させてもらう。

I know that Japan is a terribly cruel and uncivilized nation in warfare but I can't bring myself to believe that, because they are beasts, we should ourselves act in the same manner.

「日本が戦争においてはひどく残酷で野蛮な国であることは知っているが、彼らが野獣であるからといって、私たち自身も同じように行動すべきだとは到底信じられない。」(グーグル翻訳)

ウィキペディアのハリー・S・トルーマンの項を見ると、この言葉に似た文章が書かれており、その記述から考えて、これはトルーマンの友人で当時上院議員だったリチャード・ラッセルの「原爆をもっと落とすべきだ」に対する反論だと思われる。

居住地への原爆投下は、近代西欧の戦争の歴史の中で生まれた戦時国際法に違反するホロコーストであり、ナチス・ドイツがユダヤ人を対象に行ったのと同じタイプの非人道的な殺戮である。それもあって、原爆投下の命令を出したことに対してトルーマンは徐々に憂鬱になっていったと思われる。

 

本稿に書いたトルーマン像には不満を持つ人たちも多いだろう。実際、前回ブログの挿図として引用したトルーマンの言葉や、上に引用した文章にも日本人は野獣であるという表現がある上、以下のような人種差別主義者トルーマンの記事も存在する。

 

 

歴史的事実を見て、しかも今でも白人の中では黄色人種差別は、ある意味で自然な感情である(補足3)ことなども考慮して書いたのが本稿の文章である。この部分に強い嫌悪感を感じる方は下の付記をお読みいただきたい。

 

以下本筋から外れた付記:

黄色人種も黒人も白人も、生きていかねばならない。肌の色の違いから顔のつくりから、差別感情が生まれるのは自然である。それだからこそ、人類は経済的には交流し政治的には夫々が独立して、国家を運営するのは一つの知恵だと思うのである。人々に人種や性別などでの区別(や差別)を犯罪のように考えさせ、人々や国家の間に不満や怒りというエネルギーを蓄積させるのは、一部の国際グループ(グローバリスト、米国に於いてはネオコンやDSなどの背後に居る人たち)の戦略である。その巧妙な罠に掛かってはならない。



2)ポツダム宣言拒絶と東京への三発目の原爆投下の可能性

日本は無条件降伏したのかしなかったのかについては、今日でも議論される。一般に停戦の話し合いでは、双方が条件を出し合って合意点を探す形が多い。その意味では、7月26日に発表されたポツダム宣言には、日本側に条件を出す権限をほとんど認めなかったので、無条件降伏と言える。

 

ただ、停戦の話の中でその中心にあるのは国家の存続であり、日本では特に天皇制の維持である。ポツダム宣言をよく読めば、天皇の地位を保障するという条件を言外に滲ませる形になっている。(補足4)更に、日米の話し合いの中で出されたバーンズ回答が天皇制を前提とする回答であり、天皇制の維持についての日本側の希望を汲み取ることの確認とも取れる。

 

開戦時の駐日大使ジョセフ・グルー(当時国務次官)などのほか、トルーマン自身も天皇制を廃止するといった強引なことはやらない方針をもっていた。米側は、天皇制維持を停戦条件としても良いとさえ考えていたようだ。

ただ、無条件降伏はF・ルーズベルトの一貫した姿勢であり、ルーズベルトの死後大統領になったトルーマンは、副大統領の期間が3ヶ月と短く経歴的にも外交からは遠かったこともあり、大統領就任後早々にルーズベルトの無条件降伏路線を踏襲すると言明した。

 

日本側だが、序論にも書いたように当時実権を握っていた「最高戦争指導会議」のうち外相以外は、ポツダム宣言などは黙殺すべしという考えだった。

ポツダム宣言を無視または拒否することで、またマスコミも軍の姿勢を熱烈支持することで、多大の犠牲を強いられ戦争終結を望む国民の意思を無視した。ただ、その日本軍と政府の姿勢は、米側も織り込み済みであり、それが原爆投下の口実となった。
 

大日本帝国政府にとっては、日本人一般は統治の対象であって日本国形成の中心では無かった。


都市空襲や沖縄戦で40万人の死者を出しても、更に原爆で国民が無慈悲に20万人ほど殺されても、陸相、参謀総長、軍令部総長らは、8月10日の“御前会議”においても尚、ポツダム宣言に対して様々な条件を付けて回答することを主張した。

 

そんな中、東郷外相ただ一人だけは、天皇制維持のみを条件とするべきだとした。議論では結論が出せず(補足5)、結局天皇の”聖断”によって東郷案で返答することになった。

 

そして、“「天皇統治の大権を変更する」要求が含まれていないという了解の下に受諾する”という回答が、スウェーデンとスイスに向けて送信されるとともに、直接米国へも電信で送られた。

この回答が、米側でも議論された。1945年7月に国務長官になったジェームズ・F・バーンズは、日本側が条件をつけたことに怒り、既に言及した「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官に従属(subject to)する」というバーンズ回答となった。その電報を日本側は12日に受信した。

この「subject to」を軍部は隷属と読み、再照会を主張したが、その後、8月13日午前2時に駐スウェーデン公使岡本季正から、バーンズ回答は日本側の申し入れを受け入れたものであるという報告が到着し、8月14日の御前会議での天皇の決断となり、同日スイス公使から連合国側への受諾通知となった。

その結果、東京への原爆投下はなされなかった。この原爆投下を避けるためと8月8日のソ連の参戦の効果を抑えるために、日本側とのポツダム宣言受諾条件についての往復があったのだろう。それは、ジョセフ・グルーらの努力もあるが、最終的にはトルーマンの決断によるものだろう。

 

無条件降伏を渋る日本政府に対し明確な無条件降伏をさせるには、三発目の東京への原爆投下が非常に有効だった筈で、もしF・ルーズベルトが大統領を続けていたら、原爆を続けて投下していただろう。(ポツダム宣言自体もなかった可能性が大である。)

 

従って、以上の経緯は、トルーマンは軍部の原爆投下の継続要求を如何に退けるかに苦心した結果だと考えられる。実際、National Geographic誌の日本語版2020年8月9日の記事に以下のような内容の文章がある。

 


「1945年8月15日に日本が降伏するわずか数時間前、米国時間では14日、英国の外交官を前にトルーマン大統領は沈痛な面持ちで、第3の原爆投下を命令する以外に「選択肢はない」と漏らしていた。戦争があと数日続いていたら、第3、そして第4、第5の原爆投下の可能性は著しく高まっていた。


補足:

1)近代史研究家の林千勝氏が2023年8月のZAKZAKという雑誌に、差し当たり8発の原爆を日本人ホロコーストに使用するという計画が高官により立てられていたことについて、資料を明示して書いている。

8月13日 原爆投下実務の責任者であるジョン・ハル大将(戦後の琉球総督)と、ライル・シーマン大佐(グローブス将軍の補佐)との電話会議記録(ジョージ・C・マーシャル図書館保管)は以下の通り。

①(広島・長崎への)2発の原爆の効果は絶大だった。②8月19日に3発目投下可能。
③9月に4・5発目投下可、④10月に6~8発目投下可能。⑤

2)O. Hahnと F. Strassmannがウランとトリウムの核分裂を発見し完成した論文をドイツのNaturwissenschaftenに投稿したのが1938年12月22日、出版されたのは1939年1月6日であった。その後1939年1月中ごろ、Meitner とFrischは核分裂により大きなエネルギーが放出されることを記した論文が英国のNatureに投稿され、2月11日に出版された。その後ドイツと米国でそれを利用した核兵器の製造競争となった。日本も、理化学研究所の仁科芳雄博士らが中心になって開発競争に参加していた。国家プロジェクトであるマンハッタン計画が1942年9月にスタートし、作り上げられたプルトニ ウム型原爆の最初の実権は、1945年7月16日にニューメキシコ州の砂漠の中で行われ、完成したファットマンは24日後に長崎への投下された。基礎現象発見から爆弾投下まで6年8か月というきわめて短い時間であった。

 

3)私自身もカナダのバンクーバーに在住中、売店で買い物をしたときに店員が釣銭を直接手渡すのではなく、手のひらに落下させたことを鮮明に覚えている。そのほか、街中では差別を感じることが多かった。

 

4)ポツダム宣言12項の「連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向で責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする」は、日本国民が天皇制を日本の当然の姿と考えている情況を考えれば、天皇制維持を間接的に表明したものであるとも考えられる。

 

5)何度会議をやっても口論だけでまともな議論にならないことや、沈黙を保つこと(つまり黙殺)も日本では戦術の一つとなることが日本の言語文化の特徴である。そのことは前回記事でのもう一つの主題だった。(前回記事参照)