BSフジで豊洲の件、議論している。地下水汚染が、43000倍のベンゼンをモニタリングで検出して以来、話が大きくなったと言っている。43000倍とは430ppm、つまり0.43g/Lである。ベンゼンの水はの溶解度は1.8g/Lなので、非常に高い。地下水から検出されるなんて信じられない。

そのテストの手順を技師が間違えたのではないのか、或は故意に間違えたのではないかなど、そちらの方を検討すべきだろう。その数値が出された時に、それを信じる前に、何故そんな値が出たのか考察すべきなのだ。東京都ガスがベンゼン製造会社ならそんなこともあるかも知れないが。そんな数値を一人歩きさせるなんて、馬鹿馬鹿しい。

使うのは地上であり、地下ではない。したがって、地上と地下を分けて考えてはどうかと、誰かが助け舟を出しても、都民の理解が得られないと、都知事は勝手に言っている。科学的に安全と専門家が言えば、そしてそれでも無知な都民がそれでも不安だと言えば、それを説得するのが知事の仕事である。(アホだ。
1)豊洲移転問題は、元々二つ存在した。一つは敷地の購入や建設に関係した不正があったかどうかであり、もう一つは築地から豊洲に移転すべきかどうかである。前半の問題について、不正がありそうだと小池東京都知事が考えて、それを明らかにしようとする当初の努力は評価できるだろう。(補足1)しかし、後者、つまり食の安全から考えて直ちに移転すべきではないと判断したことは間違っていた。食の安全が脅かされるという根拠は何もないからである。
 
都知事は、両者の区別を明確にし、最初から計画通り豊洲に移転すべきだったのだ。問題を大きくして、敷地購入や建物の建設に絡んで不正を働いたものたちを追い詰めようと考えた、政治的策略がおろかだったのだ。この問題の議論か口論かわからない騒ぎを見ていると、現在の政治の特徴が見える。つまり政治の舞台には科学も論理もない。それは有権者一般に、科学に対する知識も畏敬の念もないからである。
 
「豊洲から採取した水から環境基準の100 倍のベンゼンが検出された」という事実は正しいだろう。しかし、その結果から何が言えるのか。そもそも検査した水は、法に水質基準が定められた地下水なのか?そして、その検査は何の為に行ったのか(行うのか)?それらさえ明確にせずに議論(口論)し、報道機関はそれらをそのまま報道している。
 
繰り返しになるが、この豊洲に移転するかしないかという問題との関係で、この水質検査の結果を正しく理解する原点は、先ず何を目的に地下から水を採取し、検査しているのかを明らかにすることである。目的が定まらなければ、水の採取方法も決まらないし、その結果の評価もできない。
 
つまり、市場が豊洲に移転した場合、一連の検査結果から考えてどのような不都合を生じるのか、都知事は根拠を明らかにすべきである。「不安を抱く都民の気分の問題だ」というのは、あまりにも非論理的非科学的な台詞だ。また、東京都の関係者は、何故検査に供する水の採取方法を替えたのか、その根拠を論理的に説明すべきである。「もうそろそろ豊洲移転を決定したい都知事を困らせるためだ」とは言えないだろう。
 
2)地下水とは広義には地下に存在する水のことだが、公の場で科学的に議論する場合は帯水層よりも下部に存在し重力によって流れる水である。(補足2)単に土壌に存在する土壌水や、廃棄物処理場の土壌に含まれる保有水は、地下水とは呼ばない。環境基本法やそれに付随した文書にある水質基準は、自然環境中を循環する帯水層以下の地層中を移動する水、地下水、を対象にし、その目的は飲用に供した場合に健康を害しないことである。(補足3)
 
東京都が行っている豊洲土壌から採取した水の検査は、科学的には地下水と言えない土壌の保有水を対象に、検査の目的もあいまいなままに行っている可能性が高い。何故なら、地下に作った採取用の溜に流れ込んでくる水ではなく、其処に長期間滞在した水を採取して測定に供しているからである。残存した廃棄物を含んだ帯水層より上の土壌から流れ込んだ水を測定している可能性が高い。そして、その数値の意味もわからないままに騒ぎを煽っている可能性もある。
 
環境基本法に付随した文書の付表に(補足3)、ベンゼンに関する基準として0.01mg/Lという数値が書かれている。その100倍とは、1mg/Lである。つまり、最近豊洲地下の埋立地から採取された保有水が1.0ppmの濃度でベンゼンを含んでいたことになる。しかし、ベンゼンの水への溶解度は1.8g/L(15C)であるから、その水からはベンゼンは空気中に漏れ出ることはほとんどない。従って、豊洲市場で通常の業務を行う上で何の障害にもならないだろう。
 
しかし、一旦築地からの移転をストップした知事は、検査の数値が大きくなる情況では、引っ越しを出来ないだろう。また、移転をストップしたのは間違いだったと謝るほどの勇気はないだろう。この問題を政争の具にした都知事の責任は大きい。
 
補足:
1)東京都が、豊洲の土地を瑕疵担保なして買い付けたのは、おそらく安く入手するためだろう。厳しい基準や法令を作りそれに厳格に従うと、経済的には非常に高くつく。それをかい潜って安く現実的に解決しようとすると、後で責任を問われる。体験談でもあるのだが、公務員になって一番得をする人は、あまり働かず、しかしサボらずに出勤して給与と年金をもらう人なのだ。
2)辞書(広辞苑第二版)で見ると、このように書かれている。「地下水:地層・岩石の空隙や割れ目に存在し、重力の作用によって流動する水。自由面地下水と被圧面地下水とがある。飲用・灌漑・工業用水などに利用」とある。またウィキペディアには学問的視点から地下水についての詳細な記述がある。
3)環境基本法http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H05/H05HO091.htmlやそれに付随した文書http://www.env.go.jp/kijun/tikat1.html(環境基準値が示されている)を見ても、法の目的として「地下水の水質基準を定める目的は国民の健康で文化的な生活を守るためとしか書かれていない。地下水の水質基準については、「飲用などに供する場合の基準」と何故明確に書けないのか?それが、この問題が大きくなった一つの理由だと思う。

1)一週間ほど前に、一年以上前に書いたある事件に関するブログ記事に対し、コメントをもらった。その返事も兼ねてここに人間の行いの善悪について書く。事件とは、ある介護ヘルパーが、88歳の老人を介護する際に数千円の現金を盗んだ件である。隠しカメラを仕掛けた親族が発見し、赦しを請うヘルパーを警察に突き出し、その映像や音声データなどをテレビ局にも渡した。テレビ局で放映されたのだが、情報提供に対し謝礼を渡さなかったとの断りは特になかった。(補足1)
 
この件に関して、親族の行為はやりすぎではないかと書いた記事に、「ヘルパーとしての賃金ももらって、さらに窃盗までするヘルパーには、慰謝料も支払ってもらうべきです。ただの泥棒より、たちがわるい。」というコメントをもらったのである。
 
この種の介護では、老人と二人きりになる場合がほとんどなのだから、分かりやすい所には現金を置かない工夫とか、窃盗行為を防止できるように用意していることを、予め知らせる工夫はできなかったのか?自分たちが本来するべき老人の介護を代わってしてもらっているという、本来の社会における仕事の意味を正しく理解しているとは思えなかったのである。(補足2)
 
勿論、その介護ヘルパーは犯罪人として警察の厄介になるのは当然だが、隠しカメラとマイクで周到に証拠をつかみ、警察に突き出す行為に“醜さ”を感じたので、裁判で弁護人となった気持ちで書いたのがそのブログの文章だった。そのコメントに対する十分な答が出来なかったことが本ブログ記事を書く動機の一つである。
 
更に、隣国がドイツに“北朝鮮の喜び組という性奴隷の少女”をモデルにしたような像と旧日本軍が韓国人の少女を強制連行して性奴隷にしたという嘘を書いた石碑とを建立して、日本を攻撃することに対する怒りも動機の一つである。
 
2)人間の行為を形容することばに善悪や美醜がある。ある行為が善か悪かは、一般的な社会のルールに違反しているかどうかで決まる。一方、美と醜で評価する場合、必ずしも善が美に、悪が醜に対応するわけではない。
 
人は言うまでもなく生命体であり、生命体は他の生命を奪って生きる宿命にある。その奪われる命の中には、人のものも含まれる。限られた空間とその資源では、地球は無限の命を収容できないのである。しかし、人の命を奪うことは、当然善悪の物差しをあてれば極悪だろう。つまり、全ての人間が善の中に分類されることは不可能であり、自分が善であるとの前提で人を裁くのは愚かなことだと思う。
 
つまり、ある行為の主と対象となる人が異なるグループに属するばあい、更に、異なる国に属する場合、善悪は行為を評価する物差しとしては役立たない。従って、美醜の方が人の行為を評価するより普遍的な物差しと言える。
 
自分の近親者の介護を自分に代わって行っている介護ヘルパーに対して、その行動に猜疑心をもってカメラとマイクを仕掛け、千円札数枚を抜き取った場面の証拠をとって警察に突き出す行為は、罠を仕掛けてネズミを捕獲するような行為に見え、醜い行為に見えたのである。
 
また、自分たちの国の貧しい情況や戦争という極限情況に対する想像を封じて、併合されていたことに対する雪辱を果たすべく、日本を攻撃するための口実を捏造して世界の至る所に少女像と、日本人を攻撃する碑文を掲げる韓国の人たちの醜さを指摘したいのである。また、それに共鳴する振りをして、競合する日本国を引き摺り下ろそうとする西欧の醜くさも指摘したい。
 
3)この100年間、所謂科学技術文明の発展が人間の生きる空間を大きくした。世界大戦が終わり、平和な先進国に生じたのが、全ての人間が善を装って自由に生きられるという幻想である。その美しい幻想の時代に先進諸国で定着したのが自由主義であり民主主義ではないだろうか。その環境で産まれて生きた現在の人間たちのなかで、将来生き残れるのは早期に自分たちが生きるのは他の犠牲においてのみ可能だと気付いた人たちだろうと思う。
 
現在世界の歴史はそのような極点に到着している。その世界にあって22世紀に生き残れるのは、世界最強の国(米国やロシア)、現実的に対応する絶対者が舵取りをする国(例えば中国)、そして、政治的に永い伝統を持った国家の中で保守政党が政権を握った国(英国など西欧諸国)だと思う。つまり、強いものや狡いものたちが生き残れるのである。
 
生き残るための現実主義的考え方に対して、あくまで表の平和や人権などの論理で政府与党を攻撃するのが、革新政党と呼ばれる野党なのだろう。上記の次世紀に生き残る国は、淘汰される可能性のある国の中に(特に野党議員やマスコミ人として)、多くの諜報員を潜り込ませていると考えた方が良いと思う。その結果の一つとして、所謂革新政党に国の舵取りを任せば、国家としての道を誤る危険性が高いことを、既に国民の多くは気付いている筈である。(補足3)
 
現在朝鮮半島や中国が、日本の政治が混乱することを期待していて、そのように隠れたところで画策しているとしても、それは非難すべきことではなく、常識的な対応だと思う。実際に過去から現在まで日本の政治が混乱しているのは、特別な仕掛けで育てられた(P-trapMoney-trap)人たちの活躍の結果かもしれない。
 
過去の非常時の出来事に対して、歴史の中に送り込み未来へ向かっての外交を約束した後にもかかわらず、人権尊重や性差廃絶など平時の善悪の基準に訴え、日本を攻撃する韓国の醜さ。それに共鳴する振りをしている西欧のずる賢さ。かれらは、この生存競争に生き残ることを真剣に考えていると考えるべきである。

結論であるが、人、人の集団、国家などの評価を行う際、思考の土俵(空間)を拡大すると、先ず善悪が役立たなくなる。そして、「生き残る」という生命の本質に関わる時、美醜も役立たずになるのである。(18:30; 18:50編集)
 
補足:
1)社会に警鐘を鳴らすためなら、報酬はうけとるべきでない。また、その犯罪現場がテレビ放送されたことは、加害者に対する処罰の追加に等しく私刑(憲法31条違反)に当たるので、映像や音声は警察だけに提出すべきである。
2)人間は社会を作り協力して生きている。その協力とそれへのお返しという、二人の間での協力関係を、お金を媒介にして多数の人の協力の輪に拡張したのが、労働と賃金という関係の本来の意味である。
3)社会党の党首が総理大臣になったことがある。そのときの談話が、未だに日本の政治的立場に悪影響を及ぼしているのは周知の通りである。 また、社会党元委員長、勝間田清一はコミンテルンのスパイであったと言われている。