3月31日の記者会見において、麻生財務相が北朝鮮情勢が緊迫していると喋ったという。何時ものように新聞には何も書いてないが、4月の米韓演習中から5月の韓国大統領選挙前までに何かが起こるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=VIBZEJuOorA
 
米国の平壌爆撃、または特殊部隊の潜入、あるいは、急転直下の核廃棄と北朝鮮承認のセットとかのうちの一つ。
 
米国は、韓国軍と合同で朝鮮戦争を再開し、北朝鮮を占領するまで戦うというほどの覚悟はないだろう。中国の習近平は、北部戦区は十分抑えていないという説もあるので、積極的介入の約束は簡単にはできない。(昨年だったか、米中露による信託統治案が拒否されている。)中国での内紛(江沢民派と習近平)の可能性を恐れるからだ。

習近平の訪米が近い。その際、北朝鮮に援軍を送るふりや、米国避難を声高にするが、実際には何もしないという密約が中国がする最大限の譲歩だろうと思う。その見返りが、貿易不均衡の攻撃はあまりしないというのなら良いが、日本が絡んでくるのではないかと心配である。
 
対北朝鮮の作戦で最も簡単なのは、クーデターを工作して朝鮮内に米国の脅しを素直に聞く傀儡を作ることだが、そんなシナリオは事前には書けないだろう。やはり先ずは、特殊部隊を使った限定的な作戦だろう。その後に、誰かをトップに送り込む。ヨーロッパで大使か何かをしている金正日の腹違いの弟、金平日とか金平一とかいう人が急遽帰国して混乱を収拾するという筋書きである。
 
そのあと、米国と北朝鮮の和平の話し合いが始まる可能性がある。金正恩の下での米朝和解では、核兵器の廃棄までは進まないが(進まないと米国が予想していると思う)、新しく成立した北朝鮮の政府ならその線で話し合いが進む可能性がある。
 
ただ、特殊部隊を送り込んだ直後に金正恩の知るところとなると、ミサイルが日本の米軍基地に飛んで来たり、京城が攻撃されたりする可能性がある。それを避けるのにはもっと規模を小さくして、数人のスナイパーや無人機で金正恩が表舞台に出ざるを得ない時を狙うのが良いと考えるだろう。4月15日の金日成誕生日、425日の朝鮮人民軍創設記念日、5月1日のメーデーが候補だと思う。
 
それまでは、複数のシナリオを用意し大規模な攻撃を計画していると北朝鮮に思わせる。北朝鮮の諜報機関が、それを追いかけている間に小規模な作戦を実行するのである。素人の私が考えることは、この程度である。
1)ニーチェのアンチクリストの現代語訳を読んだ。キリスト教には乏しい知識しかないが、この本の批判に反対方向からキリスト教を眺めたような印象を持った。その批判のエッセンスは、「キリスト教は、全ての人は平等であると言う誤りを大多数を占める下層民に吹き込んだのだが、その個が平等な仮想社会は自然な人間社会を破壊するものである」ということだと思う。以下著者の考えとして私が理解したことを書く。
 
キリスト教をつくり布教した中心人物が、パウロである。イエスはユダヤ人の行なっていた儀式、律法の適用、お祈りなどが意味のないものであると考え、現実にとるべき行動として、“悪人に手向かうな、敵を愛し迫害する者のために祈れ、地上に富を蓄えるな”などと教えた。その生活スタイルを理解できなかった弟子たちが、十字架上で殺されたイエスについて、奇跡を起こす人や救世主であるとの話をつくり、俗受けする宗教を創りあげた。彼らが用いた、神による天地や人間の創造、あの世、復活、霊魂の不死、最後の審判などの話は全て捏造である。彼ら僧侶たちはそれらの嘘を武器に支配者となった。
 
パウロは、「神は世の中の弱い者を、世の中の愚かな者を、軽く見られている者を、お選びになる」と言った。キリスト教が弱者や貧者の味方をする宗教であり、それは人間の世界を暗く、貧しく、弱くした。そして、豊かに暮らし、美を賛美し、快活に自分の優れた能力を謳歌する人間、つまり強い人間を悪人(つみびと)として否定する。この人間社会の大多数を占める下層人に、上層に位置する人間の否定を教えたのである。
 
本来の宗教とその法典は、民族の生きる知恵の集積を、神の啓示や長い伝統として引きつぐ方法であるべきだ。キリスト教は、民族の色を持たずそれらを否定する。
 
2)健全な社会では、人間は自然と三つの異なるタイプに分かれる。精神が優れた人、筋肉や気性が強い人、それ以外の凡人である。凡人が大多数だが、選ばれたエリートはごく少数であり、彼らには「幸福」、「美」、「善意」などを地上に実現させたり味わったりする義務と特権がある。一方下層民には、物事を醜く捉える眼、物事の全体像に不満をいう“特権”がある。
 
不完全なものやレベルの低いものも世の中にはたくさんあるが、そういうものを含めて、世界の完全性は成り立つ。もっとも精神的な人間は、強者の自覚を持っている。彼らは、担う重い課題を、自分たちの特権と見なす。精神的に優れた人間は敬われるべきであるが、同時に彼らは快活で愛すべき人間である。彼らは人々(社会)を支配するが、彼らがそうしたいからではなく、彼らの存在がそもそもそういうものなのである。その下に、最も精神的な人の隣にいて、支配を行う時のゴタゴタした問題を引き受ける人が存在する。
 
このように人間が区別されるのは当然のことである。何故なら、高度な社会はピラミッドのようなもので、そして、広い地盤の上に築くことになるので、精神的に優れた少数の人とともに大勢の平凡な人間が必要となるからである。商業、農業、学問、芸術といった仕事は程々の能力と程々の欲望によって成り立っている。人が社会の歯車になって働くのは自然であり、何かをする能力があると感じる幸福感がそれを支えている。(労働は罰と考えるのは間違い。)
 
キリスト教は、悪しき平等の原理を多数の下層の人間に教え込み、この自然な社会を破壊する。ローマ帝国もキリスト教により破壊された。ルネサンスは、キリスト教の価値を退け、人間の自然な価値を取り戻す運動だったが、それを台無しにしたのがルターの宗教改革だった。カント等の哲学もキリスト教の悪しき影響の下の哲学である。
 
3)感想:
あの世の身分を操る権限を僧侶に持たせることは、現世に悪い影響を与えるのは当たり前である。日本の多くの人は神道の信者である。神道では神の意志を人は知り得ないので、神はただ祈るだけの対象であり、不幸に遭遇すれば諦めるしかない。また、大多数の日本人の感覚では、現世の行いの責任は現世において取るのみであり、死後の世界は現世に干渉しない。従って、日本人は本来現実的対応を取りやすい民族だと思う。
 
それでも、現在社会の多くの制度に、キリスト教の考え方が取り入れられている。その中で最も重要なのは、民主主義だろう。大多数の凡人が最高の決定権を持つという民主主義は、西欧諸国(キリスト教圏)において、欺瞞的な政治制度として定着している。つまり、実権をもつ一部の支配層の隠れ蓑になっている。それらの国では、民主政治にその伝統があるが、日本など欧米以外の国にはその“欺瞞”が定着していないので、政治的に成熟した国家になりえていないと思う。もしキリスト教がなかったのなら、主権者と現実の権力の乖離がこれほど大きくなかったのだろうかと考える。
 
ある大国が国際政治で用いる民主主義は、イエズス会の用いたキリスト教に対応するのだろう。
 
ニーチェがキリスト教(旧約聖書を含む)を嫌うのは、あまりにも巧妙にキリスト教の言葉ができているからだろう。創世記の記述は現代物理の考えによく似ているし、山上の垂訓の言葉は恐ろしいし美しい。創世記の天地創造の記述と現代物理のビッグバン仮説の違いは、専門家しか説明できないだろうし、山上の垂訓の言葉が“造花の美”であるとわかる知性は一般下層人にはないだろう。
 
この本の、「不完全なものやレベルの低いものも世の中にはたくさんあるが、そういうものを含めて、世界の完全性は成り立つ」と言う言葉は、一人の人間全体についても言えるのではないだろうか。もし、切り花の美だけを要求するような教えなら、それは本来の教え(宗教、たかい教え)ではないと思う。
 
<キリスト教の素養がないので、的外れかもしれませんので、批判よろしくお願いします。> ; edited next morning at 6:00
1)大阪府松井知事が、自分だけが悪者になるのが嫌で、安倍総理は全てを明確にすべきだ言った。政治は忖度することなのだという理屈はめちゃくちゃであることは、自分でも分かっているはず。(前回の記事)西田昌司議員や下村元文部科学大臣を始め、自民党議員は全て事実を知りながら、安倍総理とは無関係だと言い張って、大阪府に責任を押し付けているのだと思う。
 
西田議員の屁理屈にはうんざりする。大阪府私学審議会が、財務が極めて脆弱な森友学園の小学校開校を認可相当としたと攻めるが、それは片手落ちである。何故なら、財務局が土地を森友学園に売却するためには、大阪府の認可が必要だと大阪府に係官が出向いて圧力をかけたからである。(前々回の記事)全て首相の意向を”忖度”して、松井知事や近畿財務局などが行ったことだろう。今からでも、松井知事の反論をまともに受けて、8億円の値引きの問題を含めて全容を調査解明し、真実を国民に向けて発表すべきだ。
 
安倍総理が辞めれば、その麻生氏が首相になる公算が高いという。そもそも、あの件、麻生氏に近い財務省が経産省と仲の良い安倍総理を落とすために仕組んだという意見さえある。辛坊治郎氏の以下の動画の30分くらいのところを聞いてもらいたい。https://www.youtube.com/watch?v=iBIKe76R-h4 それが本当でなくとも、その様な説が相応しい世界なのだろう。人間の醜悪な面を見せられた感じである。
 
後に控えている人を考えれば、なんとか森友問題は収束させ、安倍総理に継続して政権を担ってもらった方が国民にとって得であると思う。(補足1)西田議員、下村元文科相、菅官房長官らをはじめ自民党幹部らは、安倍総理を助けるとしたら、事が起こる前なら遥かに簡単だった事を知るべきである。
 
2)自民党議員らは、不都合な真実は決して国民に明らかにしない人種である。自民党という組織はYKZAUAと同じで、皆親分が右といえば右、左といえば左を向く連中が構成員らしい。西田議員が森友問題を、大阪府の問題として地方に閉じ込めようと企む行為などは、その典型である。
 
つまり、日本の政治家は都合が悪くなれば嘘で塗り固めて、隠し誤魔化すのである。その背景には、彼らが世襲の政治貴族であり、一般国民とは違うのだという意識が根底にある。つまり、一般国民と共に政治を行うのだという考えが皆無である。

予算委員会で麻生氏の答弁の様子を見たが、YKZのような態度と口の聞き方である。山本一太委員長に注意されたあの態度と言動、あれが自民党政治貴族の本質なのだ。論理や真実よりも、親分を庇い盛り立てることが、彼らの至上命題なのだ。(補足2)
 
YKZ的組織の弱点は、親分の間違いを自分の方から指摘する人間が内部にいないことである。内閣官房の人たちや、西田議員や下村議員のように安倍総理に近い人たちは、恐らく明らかになる前にこの件が危ないと気づいた人が多かっただろうと想像する。しかし、この世界では、それが当たり前のことか、当たり前でなければ親分に対して誠意ある指摘(という憎まれ役)ができないのだ。
 
政治の世界は有権者の審判を受けるので、その様な組織が担当しておれば、次々に有能な人が表舞台から消えざるを得ない。それが日本において、何時までたっても政治家の質が向上しない原因だと思う。
 
そのように自民党議員を再評価すると、現在重要問題となっているテロ等準備罪も、戦前の治安維持法と並べて警戒されるのは当然だと思う。だいたい、東アジア全体はまともな法治国家ではない(補足3)ので、治安維持法の時と同様に自分たちの政権が危うくなれば、北朝鮮のように邪魔者は消すための武器に変化するだろう。

テロ等準備罪は米国の子分である日本政府が、米国の嫌うイスラムとの対決の前線に出る可能性を念頭に提出するのだろう。政情不安になれば、気に食わない報道関係者も捕まえるだろう。
 
そう考えられても仕方ない。なにせ、あれほど明確な森友学園との癒着さえ、嘘で塗り固めようとするのだから。日本を彼ら政治貴族が牛耳る限り、専制主義的国家になる危険性を持っていると思う。
 
補足:
1)「森友学園の教育が好ましく映った時期があり、支援もした。しかし、それは誤りだった」と謝罪したのち、事の収拾をしてほしいものである。過ちを改むるに憚ること勿れを政治にも持ち込まないと、全ての人材を失った後、衆愚政治で国を潰すことになるかもしれない。
2)人間の関係よりも、事実と論理(神の領域)を重視するのはキリスト教世界の特徴である。民主主義はそのような人たちの制度であるので、それを採用する以上、その文化に学ばなければならない。
3)日本では憲法9条の(馬鹿げた)条文の解釈を極限までごまかして、自衛隊という軍隊を持っている。中国には国際法という考えがなく、チンギスハーンが一時支配した土地も全て領有権があると考えているらしい。韓国は法律ではなく、2000年の恨みが政治を支配している。