1)「言葉」の伝達範囲には、時間的空間的に一定の限界がある。つまり、言葉には刹那的な言葉や永遠の言葉、自分や家族の範囲の言葉や全人類に向けた言葉など様々な言葉が存在するということである。それら範囲は通常言葉の中に示されているか、受け取る人間が容易にそれを感じ取る。
 
例えば、ジョンレノンの歌にイマジンというのがある。「想像してご覧、天国なんて存在しない。地の下には地獄など存在しないし、上には(天国ではなく)空があるだけ」で始まる。3番の歌詞で「あなたは私を夢を語る人だというだろう」と歌う通り、ジョンレノンは夢を語っている。
 
それは:
Imagine there’s no Heaven  (all the people living for today)
Imagine there’s no countries Nothing to kill or die for
Imagine no possessions   (Sharing all the world)
国家なんか存在しないとしたら、殺したり殺されたりの戦争などない。何かを所有するということがなくなれば、皆が世界を共有すれば良い。
 
このジョンレノンの言葉は、広い範囲を対象にし、長い時間を生きる言葉である(ただし、未だ訪れていない時が起点であるが)。勿論、それが価値の証ではない。
 
井上陽水の有名な歌に、「傘がない」がある。
都会では自殺する若者が増えている、
今朝来た新聞の片隅に書いていた。
だけども問題は今日の雨傘がない。
行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ、
君の町に行かなくちゃ、雨に濡れ
 
この歌詞は、ジョンレノンの歌と違って、言葉は自分の中だけか、或いは広くても「君」までしか存在する空間は広がらない。意味を持つ時間も今日だけかもしれない。しかし、だから利己主義で刹那主義の価値の低い言葉という訳ではない。
 
言葉は、本来の存在すべき空間と時間の中で解釈すべきであるし、そのように限定されていれば問題は起こらない。しかし、その範囲を超えて主張したり、働いたりしては問題の原因となりうる。前者のジョンレノンの歌では、イマジン(空想)の世界に限定されるべきであり、現実の世界に出てくれば大きな問題の原因となる。また、井上陽水の歌では、二人の間に存在する限り、その言葉は生き生きと若者の気持ちを表し伝達する能力を持つが、広い社会の中に出てもらっては困る。
 
そして、これらの言葉を発する(歌う)人は、それを十分に理解しているので、実際には問題にはならないし、立派な芸術作品として後世に残る。それは暗示的に、これらの言葉には時間的空間的限界があると示されているからである。
 
決して明示的ではないとしても、言葉の時間的空間的限界を、それを話す人間は意識しなければならないというのが、ここで言いたいことである。(補足1)
 
2)ところがこの言葉の暗示的“原理”を全く受け入れない立場が存在する。それは原理主義に染まった人たちや一神教を信じる人たちの立場である。
 
一神教の場合、教祖の言葉にもそれが発せられた時には、同じ限界があった筈である。それにもかかわらず、信者たちはその限界を時間的にも空間(人間社会の)的にも無限大に拡大して理解している。それは信者個人の問題ではなく、宗教の本質である。
 
また、社会主義思想や民族主義などを信奉する原理主義の人たちの立場がある。これも思想や主義に問題があるわけではなく、それを永遠不変の真理と考えてしまう無理解がそのような立場の原因である。従って、国民全てを対象に政治を考える議会の席に、これらを信奉する人たちは席を得る資格などない。
 
具体例を挙げると、人間社会の中で善と悪という重要な言葉がある。社会の偉大なリーダーが善と悪について語ったとしても、それはその時代のその地域或いは人たちの間の善と悪であり、他の民族や他の時代にはそのまま通用するとは限らない。
 
その結果、そのリーダーに率いられた部族は、他の部族などにより迫害を受けることになる。古代はそのような部族衝突の時代であり、部族の生き残りはリーダーの資質と戦略的思考力に懸かっていただろう。そこで、道は二つに別れる。迫害を跳ね除けて、自分たちの善と悪の基準を死守するか、或いは、迫害するものと平和共存を選ぶかである。
 
非常に優れたリーダーに率いられた部族は、前者の道をとる可能性が高いだろう。そして、その教えは信者の団結を一層固くし、心と頭の中に絶対的真理として徐々に変質するだろう。それが多くの一神教の発生の原点ではないだろうか。
 
つまり、教祖は一神教の種ではあるが、本体ではない。キリスト教の場合、イエスが教祖だが、パウロとその一派がそれを協会という組織を持つ大きな宗教に育てたのだろう。(補足2)
 
多くの宗教において、教祖とされる人は一般に聖典を残さない。聖典はその後その宗教を育てた人が、教祖やその教えを語る弟子の言葉をまとめて作るのが普通である。何故、教祖は聖典を作ったり作らせたりしないのか。それは教祖の時代には、その考え方は宗教にまで成長していなかったからだろう。
 
つまり、一神教は常に戦いの中にあった、或いは戦いの中で一神教が発生し成長したのではないだろうか。(補足3)その一神教の戦いの遺伝子が、豊かな時代の現在でも残る多くの戦いの重要な原因なのかもしれない。
 
3)全ての異教徒とその言葉の多くは、彼ら信者の中では悪の中に放り込まれ、自分たちの言葉は永遠の言葉、地の果てにまで通用する言葉と考えるのである。極端な言い方だが、人間としての条件が同じ宗教の信者であることなのである。従って、異なる宗教の者や全く土着の宗教の者は、人間では無いという感覚があるのだろう。(補足4)
 
神が決める善悪は、永遠普遍であり、変更の余地はない。それに従わないものは、暴力で従わせる以外に方法はない。それが一神教の世界で、争いが絶えないことと関係がありそうである。一方、日本では何が善で何が悪かは、人が決めるのである。従って、善悪は時代によって変化する。17条憲法の第一条の「和を以て尊しと為し、さからうことなきを宗とせよ。人みな党あり、また悟れるものは少し」の部分は、まさにそれを言っている。
 
北朝鮮問題の主なる原因も一神教の世界の人たちが作った。(補足5)事情がわかった人たちが仲介に入らなければ丸くは収まらないだろう。「島根、広島、高知の上空を通ってミサイルと飛ばす」という言葉の中に、「日本よ仲介を引き受けてくれ」という意味が含まれていると私には思えるのである。
 
一神教の方達は、議論という戦いが得意である。どんなに偉大な国の人達でも自分が受け持つのは弁証法の片方(テーゼかアンチテーゼ)であり、統合する役者が居ないと話がまとまらないようだ。
 
補足:
1)このことを考えれば、自民党議員たちの多くの失言は、その発言の場所を考えれば(正確に報道すれば)問題にすべきでないケースが相当含まれている。
2)ニーチェ著「アンチクリスト」ブログ、https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43225234.html参照(3・31)
 
3)武田邦彦氏の動画、私はこの考え方に反対(コメントと残した)だが、この方の知識は我々より遥かに多いので参考になるかもしれない。
 
4)日本人は、米国人を猿やゴジラといったことはない。しかし、彼らは日本人のことを黄色い猿としばしば言った筈である。聖書の中の異教徒という響きは、同じ人間という考え方には共鳴しない。

5)今年5月18日に朝鮮問題を解決する第一歩は、米国が踏み出す義務を持つという記事を書いた。

時々BBCニュースの画面をパソコンで見る。今朝のホーム画面では、ヒューストンでの洪水がトップニュースだった。その下にいくつかのニュースへの入り口(ヘッドライン+写真)があった。

一つ目はコロンビアのFarc( Revolutionary Armed Forces of Colombia;コロンビア革命軍)が和平交渉の結果、議会に参加することになったニュース。二番目がミャンマーの暴力事件で数千人がバングラデシュに逃げ込んだというニュース。そして、インド人の女性だけのメンバーが、世界一周の航海に出発するというのと、英国の化学ガス漏れの事故のニュースである。
 
それらの内の一つを開いた時に、サイドに元日本の慰安婦だという韓国の老婦人の写真が、中国の人気のSNSでバカにしたように映され、それに対して大勢の人が怒っているという記事があった。(Chinese users of the popular social network QZone are furious after stickers, or memes, that seem to poke fun at World War Two "comfort women" emerged on the platform.
 
そこを見ると慰安婦の説明があり、「推定で20万人(その多くは韓国人)の女性が、第二次大戦中日本軍の性奴隷にされた」と記されている。http://www.bbc.com/news/world-asia-china-41026049 

腹立たしいが、韓国による慰安婦の宣伝が完全に国際的に認知されている。日本の評論家たちの多くは、国内で嘘だとか捏造だとか言っているが、そんなことは外国まで聞こえない。(英語で説明している人も少数いるが、量的に負けているだろう)
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米国が戦後韓国人捕虜に聞き取り調査したが、殆どが父親など家族に売られて慰安婦になったと書かれている。また、給与も士官以上の額がでていた。 

上記二つ目の記事は、コロンビアの武装ゲリラが、交渉の末武装を解除し、政党をつくって来年の選挙に候補者を立てるという話である。Members of the Farc in Colombia have begun discussing the group's future in its first congress since the conclusion of a historic disarmament process.
 
その次の記事は、ミャンマーの西海岸Rakhine地方で暴動が起こっているらしい。その結果数千人が隣国に逃げ込んだという話である。日本では、ミャンマーと言えばアウン=サン=スーチーしか知らないだろう。私も、そんな深刻な地域があるとは全く知らない日本人の一人である。
 
日本の報道といえば、ヒューストンのハリケーンについては書いてあるが、他の記事はどこにもない。タイの前首相がドバイに逃げ込んだというのがニュースになっているが、ちょっと美人だからだろう。

兎に角、日本の報道機関は、隣国など他国に牛耳られているとしか思えない。日本人を国際情報からシャットアウトし、国家の危機感から遠ざけ、国内の下らない政治劇とエログロナンセンスのみ報道している。

また、兎に角を連発するが、俳句や短歌、それに漢文や下らない小説などの敎育時間を減らして、英語教育に充てるべきだ。英語を徹底的に敎育して、日本国民の全てに外国のメディアにアクセス出来る程度に、最低限の英語力を着けさせるべきだと思う。

2)蛇足:
もう10年ほどになるが、ノースウエスト航空で名古屋からデトロイトの便に乗った。私の斜め後ろの方で、米国の旦那を訪ねての旅なのか、一人の夫人が赤ん坊をつれて搭乗していた。我々の周りの他の乗客の大半はフィリピン人(マニラからだろう)のように見えた。その婦人が赤ん坊にミルクをやったり、世話をしていたところ、アテンダントの女性は言葉が通じないのだが、それでも赤ん坊と彼女を助けるべく頑張っていた。

ところが、どうしても意思が通じない場面となり、同じく一人旅の私に日本人らしいと気付いて、通訳を頼んできた。そこでその方の意思を何とか伝えたが、その通訳もあまりスムースでなかったのか、フィリピン人が何かヒソヒソと話して笑っているように見えた。その対象が、その英語が喋れない婦人なのか、通訳に苦労している様子の私なのか、日本人全体の英語能力の無さなのか、分からないが、どれかだろう。プライドを傷つけられた苦い経験であった。
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空港とホテルを結ぶ交通手段は、ホテルのシャトルバスであった。来る時は泊まるホテルのバスが出発したあとで、次の日に泊まる予定のホテルのバスに乗せて貰った。帰国の時には、早朝の飛行機に乗るので、タクシーしか手段がない。フロントで予約したのだが、乗り込んだタクシーには料金メーターがなく、途中から別の客を拾っていくのにはびっくりした。日本の様に公的バスや電車があると思い込んでいたのは、甘い考えだった。下手な英語でも、救命胴衣のようなものであった。





1)先日の「世界は今、21世紀の新しい勢力均衡に向けて最終局面に入ったかに見える」と題した読売新聞のコラム記事の中で、JR東海の葛西敬之氏は中国の一帯一路構想は新しい中華共栄圏の構築を目指すものであるとしている。

そして、一帯一路構想の実行によりインフラ支援の名目で、周辺国へ失業者と在庫の排出を行う一方、戦略的に重要な港湾などをその経済支援のプロセスの中で、中国の支配下に置いている。更に、西太平洋とインド洋への海洋進出に乗り出し、いわゆる第二列島線までを中国の覇権下に置く計画のようである。その時尖閣はおろか沖縄まで中国の支配下にする計画のようである。
 
また、これらの中国の世界戦略構想について、葛西氏は国内の矛盾から目を逸らせることが主要な目的であり、国際的にトラブルの種になる可能性が大きいと見る。この記事について、このブログでも議論した。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43383117.html 純粋に国内問題なら、別の解決手法がある様に思う。
 
何故、中国はこのように拡大しなければいけないのか。
 
それについて明確な答えが、石平氏がある動画で語った話の中にあった。
それは、習近平が中国の毛沢東以来の英雄になること、そして長期独裁体制を目指しているというのである。
 
中国共産党の最高指導部には、68歳で定年というルールがある。それによれば、習近平は2022年の政権2期終了時点で定年となる。その定年制の枠を超えて更に長期の独裁政権を習近平は目指していると言うのである。そのためには、習近平は毛沢東に並ぶ実績をつくり、それを習近平思想の実践という形に作り上げたいのである。それは、鄧小平の改革解放路線で国を富ませたという実績以上のものでなくてはならない。それが葛西氏が言う、新中華共栄圏構想、つまり一帯一路構想や西太平洋での覇権拡大である。
 
その前に、もう一つ重要なことを達成する必要がある。それは、政敵の追放である。
 
2)中国は現在、集団指導体制にある。現在7人いる中央政治局常務委員会の常務委員が、集団で国を率いている。この常務委員は江沢民時代に7人から9人に増やされ、2012年までチャイナ9と呼ばれていた。習近平が主席になった5年前に、それが二人減らされチャイナ7に戻ったのである。
 
今年9月には5年に一度の共産党大会があり、そこで習近平と李克強以外の5人が定年になるが、そこで定員が7人のままなら、入れ替え組の5人の内出来るだけ多くを習近平派で抑えたいのだ。常務委員には、現在18名いる政治局委員の中から選ばれるとすると、その有力候補で習近平が気に入らない人を追放して置く必要がある。
 
今回も共産党大会の前に、長老を集めて行う長老会議、「北戴河(ほくたいが)会議」が開かれた。この会議で人事の概略の了解を長老から得て、公式の会議である共産党大会で決定するのである。
 
その北戴河会議が開催される直前に追放された人物がいる。次期国務院総理の最有力候補(李克強の後任)と見なされていた孫政才である。追放の理由やはり腐敗である。全てのお偉方は腐敗しているので、事実上周囲の人間の強い反発を避けることができれば、罪状は既に準備されている。(補足1)北戴河会議の前にそれを実行したのは、そこで孫政才は政権の中枢に引き上げられる可能性があるからである。
 
習近平は江沢民とその派閥により引き上げられて、主席の地位を得た。そして、自分が江沢民の操り人形にならないために、習近平は江沢民派の有力者まで腐敗追放運動の一環で追放した。石平氏は、「権力闘争では恩人一派こそ、早めに追放するのが鉄則だ」という。

遠藤誉氏によると、江沢民派は元々腐敗の巣窟だったので、単に共産党政権の安定のために追放されただけだと言う。それも考察しなければならないので、石平氏の「」内の言葉を受け入れるのは、もう少しあとにしたい。http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8058.php
 
その共産党幹部の腐敗摘発運動を指揮したのが、政治局常務委員の王岐山(党中央規律検査委員会書記)であった。そのため、王岐山は江沢民派など粛清の対象になった人たちとその周囲の恨みを買う一方、影で大きな権力を得た。そこで、習近平は王岐山を腐敗しているということで追放する動きを始めているという。

王岐山の腐敗情報の発信は、既に米国に住む元中国共産党幹部関係者からだという。今回の党大会での人事の焦点は、王岐山にある。上記遠藤氏の理論では、この動きは説明できないだろう。
 
敵対者とライバルを追い落とす一方、習近平は自分への向心力をつける必要がある。そのための偉大な構想が一帯一路構想であり、西太平洋やインド洋への海洋進出など、新中華共栄圏の建設である。そして、それを習近平思想の具現化とすることで、習近平は毛沢東以来の偉大な指導者になれるというのである。

以上、素人であるが、中国の政治を考える取っ掛かりを得た気がする。今後もう少し、勉強したい。

尚、2年程前に腐敗追放の元祖である薄煕来の失脚について書いたことがあるので、それを引用しておきます:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42445409.html また、王岐山が力を増してきたということについて、書いた記事:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42739615.html も参照してください。
 
補足:
1)遠藤誉氏のブログでは、孫政才の腐敗はそれほどひどいのだと書かれている。石平氏の考えと全く異なっているようだ。
遠藤氏は、次の様に書いている。「習近平がやっていることは、腐敗によって、共産党の一党支配体制が崩壊するか否かの闘いに過ぎない。ラストエンペラーになりたくないだけだ。だから一帯一路やAIIBなど外に向かって突っ走り、人民の不満をかわそうとしている。それを見誤ると、中国の大局を見間違え、日本の国益を損ねる。」
しかし、遠藤氏は習近平自身が腐敗しているという事実をどの様に説明するのだろうか。習近平の腐敗摘発を人民は応援している筈である。それなのに、人民の不満をかわすために対外進出するという論理は、私にはわからない。