1)現在の社会はフラットであると言われる。総理大臣も一介のサラリーマンも社会的には差はない。言葉も同じであり、趣味も何もかも大してかわらない。その傾向は、米国にも出現しており、大統領の言葉と下町の言葉に大差ないことが話題になっている。 
 
二年程前のあるテレビ番組(Sokomade I.I.)で、左翼のある女性(YT)が、「天皇ってかわいそうだよね」と発言した。人権も自由もないという類のことをその理由として喋っていた。しかし、それは根本的に間違っている。日本人の中で天皇は特別な存在であり、天皇には我々庶民が俗っぽく考える自由な振る舞いはあり得ない。そして、天皇は我々庶民には超えられない天井の上に存在し、そもそも世界が違うのである。 
 
西洋にはnoblesse obligeという言葉がある。このフランス語は、「高貴さは(義務を)強制する」と訳される。上記の発言は、特別に高貴な天皇としてのobligeを不自由と感じる貧しい心が生んだのである。自分の思考における不自由がもたらした発言であることに気付かないのは、その女の人が完全に左翼信仰に染まっているということである。(補足1) 
 
その“noblesse oblige”(英語でnoble obligationという)を感じる人が、日本にも世界にも殆ど居なくなった。貴族は通常金持ちではあるが、金持ちということは貴族を意味しない。貴族は金銭に支配されないという点で、経済的に豊かな人達は貴族の候補ではある。“貴族階層”の中の本当の貴族は、有史以来各種の俗な欲望以外を(も)考え追求してきた人たちである。その階層は、貧困層が混沌の中に停滞している中で貴族の文化を形成し、その中から近代文明が生まれた。 
 
しかし、現在の金持ちの殆ど全ては、俗世界の経済活動にむしろ積極的であり、金に支配されている。それは、現代の日本社会(多分世界も)が単一の階層からなるフラットな社会になり、貴族と貴族文化が存在しないからだろう。(補足2) 
 
数年前、ある新興金持ちのM氏が、「金儲けは悪いことですか」と喋ったテレビの画面が今でも目に浮かぶ。現在の金持ち達は、貴族階級を形成できずに巨大になり、世界の文化も何もかも破壊する最前線を担うことになっているように思える。そこから、調和的な新しい社会を構築する処方箋を人類は未だみつけてはいない。
 
2)太古の昔、「ヒト」は野生の動物であった。そこから社会を造って生きる「人間」となったプロセスを、再構成するシミュレーションは、社会の今後を考える上で参考になるだろう。 
 
ヒトが人間になるまでに得た最も本質的なものは、言葉である。(補足3)その言葉は、社会構造の複雑化(発展)に伴って、より複雑(高度)な言語となっていく。つまり、社会と言語が密接に関連しながら発展し、そこに文化が生じる。例えば、武士の社会には武士の言葉があり、そして武士の文化が生まれる。また、農民には農民の言葉があり、農民の文化があっただろう。更に女性も、“部分社会”をつくり、特有の言葉や文字もあった。勿論、用事があれば話をするわけだから、言葉の構造や用法には共通の部分が多いだろう。 
 
それらの部分社会の地位に自然と上下ができるが、それを階層と呼ぶことができる。例えば、武士の文化は、国(その社会集団)を守り安定化するために適したものだっただろう。国を守ることが、全ての住人の生存に必須であるので、武士階級は高い地位を自然に得たと思う。そして、それら各階層の文化は、社会を分業して担うのに重要な役割を果たした筈である。
 
我々は、それぞれの階層で身につけた知識や価値観、つまり、武士階級で言えば戦士としての勇気や、対面した相手に対する端正さなどを、身に纏う服の様に考えがちである。しかし、その喩えは部分的にしか正しいとは言えないだろう。服なら着替えが可能だが、その武士としての性質は、着替え不可能な皮膚の様なものであると思う。従って、成人した武士、農民、職人、商人は全て「別種の人間」といえるだろう。
 
逆に、人間社会で育た無かった野生のヒト、例えば狼に育てられ、狼の群れの掟の中で育ったヒトは、人間社会の基本を身につけることは最早不可能であり、いかに学習を重ねても服を着る様には人間にはなれない。例えば: 
 
上記の事実が示す重要なことは、「誕生間もないヒトは高度に可塑的な粘土のようなものであり、それを人或いは人間に成型するのは、社会の文化でありそれを身につけている両親や周囲の人達である」ということである。もし、適当な時期に相応しい形に成型しなければ、社会で生きる人間にはなれず、理解不能な無秩序な、或いは、奇異なヒトに成長するだろう。 
 
この事実は少年犯罪における保護観察処分などの制度には、深刻な欠陥が存在することを示唆している。そして、異る文化圏にある国の間では、本当の意味で言葉が通じることは期待できないことを示している。言葉は翻訳できるのだが、通じないのである。また、同じ国でも、過去の歴史の出来事を現在の言葉や感覚で理解することには、本質的な壁が存在することを示している。(補足4) 
 
3)ほとんどの日本国民にとって、現在最も大きな運命共同体は日本国家である。それは殆どどの国でも同じだろう。全ては国家あってのことである。その国家の複雑な構造の中で、人々は分業を行ってそれを支え、生きている。 
 
その安定と繁栄は、各構造の力で決まる(勿論、ある弱い構造が全体を決める場合もある)。あらゆる構造を担う人材の育成、及び適材適所の配布は、国家の繁栄と安定に必須である。上記は当たり前の論理だが、ただ「人材の育成」には特別の意味を持たせたい。それは、人をパソコンに例えて話をすれば、単に各分野に相応しいソフトウエアをインストールしなければならないと言っているのではない。パソコンの基本設計から、そのインストールソフトを意識して、行わなければならないのである。 
 
特に高度な専門職、各構造の整合的な働きを実現する総合職(=国家の中枢を担う人材)などは、昔の貴族的な特別な教育が必要だと思う。それは、敎育現場の環境だけでなく、その中で生まれ育つ社会環境から、それら人材の育成に相応しい環境が必要だろうと思う。つまり、現代でも国家の中枢を担うような人材の育成には、そのための特別な階層或いは”部分社会”(相応に閉鎖的な社会)が必要なのではないか。 
 
最初に述べた皇室もその代表かと思う。天皇はその家系に生まれるという意味で、生まれながらに天皇としての準備ができており、その後成人までの環境は最も高貴な人を作り上げる為に必須の役割を果たしていると思う。また、日本の政界などでも、一国の宰相となり相応の活躍ができるのには、素材としての能力(上の言葉では可塑性)だけでは不可能だろう。
 
フラットな世界では、何処で切り取っても同じ社会であり、そこで家族だけが特別であっても、国家を担うレベルの宰相は出来上がらない可能性がたかい。また、それを支える知的集団を、他国を真似て造ってみても、俄には機能しないだろう。 
 
我が国と比較して、高度な国家中枢を作る準備を整えた国がある。それらは米国や英国のなどの西欧諸国、それに中国である。中国は共産党という階層を作り、その中から人材育成をしている。ただし、共産主義思想は権力者による国家統治という考えと矛盾するので、共産党の階層が権力者的な国家の宰相を育てる環境となり得るかどうか今一つわからない。 
 
米国の場合、政治貴族は大金持ちの企業経営者とその周囲に一定の閉鎖性のある社会を作っており、政治を支配する階層となっている。エール大学などのアイビーリーグが作るエリート層(その中の特別な組織、スカル&ボーンズなど)などがそれである。その構造の中にCFR(外交問題評議会)やCSIS(戦略国際問題研究所)が組み込まれているのだろう。英米政府がこれまで国家をうまく操縦してきた様に見えるのは、そのような社会の構造があったからであり、表向きに標榜している民主政の所為では無いと思う。 
 
その民主という表の思想と裏の支配構造との暗黙の了解が崩れ、民主が前面に出かかっているのが現在のトランプ政権の成立のプロセスの可能性がある。それを揺り戻す動きが、政権内外で起こっていると思う。 
 
(21:40編集;理系人間のメモですので、批判等歓迎します。)
 
補足:
1)人間の創った壮大な文明における“noblesse oblige”を考えた時、obligeは下層或いは大多数からの視点での描写である。その強制(oblige, obligation)という部分は、高貴な上層の言葉を用いれば、誇り高き世界における自由ということになる。上記YT氏の言葉は、例えば、「哲学者って可愛そうね。一生頭を使って苦しんでいる。」と言う粗野な人の発言と似ている。その“強制”が高貴な身分と同居することを知らず、下層の言葉で不自由として抽出したのに気がついていないのである。それは、下層と上層の間での、無益な言葉のやり取りである。その下層の視点で壮大な文明社会を体系化したのが、左翼思想である。その視点は既にその思想の限界を示唆している。
2)高貴さは、全体として貧困を感じる社会の中でのみ維持されるのだろう。経済的豊かさを温度の上昇と考えれば、現在の情況が分かり易く説明できる。つまり、現在の社会は、多くの分子(人間)が結合して有機体(社会)をつくっていても、温度上昇により分子がバラバラになり構造が破壊された情況に近いのである。更に温度が上昇すれば、原子状態から素粒子状態にまでなる。それは、人間社会に話を戻せば、人格破壊を意味するのである。
3)通常、日本語で「もの」は、物か者である。“言葉は喋るときにつかうもの”という「もの」の使い方に自信がない。
4)この文章を理解した後に、ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」と言う本の題名、或いは、ブレジンスキーの「政治に目覚めてしまった百万人を説得するよりも、殺す方が簡単である」という講演を聞けば、その人たちの考えが理解出来るかもしれない。ブレジンスキーの言葉:https://blogs.yahoo.co.jp/hetanonanpin/64822106.html
1)昨日、政治評論家の加藤清隆氏のyoutube動画を観た。そこでは、トランプ大統領の知恵袋的なキッシンジャー氏に対する批判が語られていた。キッシンジャーは、米国において中国の利益を代表する人物であると語っている。https://www.youtube.com/watch?v=aSlZ_aiC4OU
 
キッシンジャーが10月にホワイトハウスに招かれた際、米中の取引で北朝鮮を平和裏に治める案を吹き込んだ可能性があるという。その内容はニューズウイーク紙の11/28日号に、中国専門家のBill Powell氏の記事として書かれているという。
 
それによれば:1.中国は全ての手段を用いて金正恩に核計画を諦めさせる;2.米国が検証し納得する;3.米国と北朝鮮を正式に承認し、経済援助を行う;4.在韓米軍は撤退する、の4項目であるという。(補足1)
 
この4番目は、日本にとって最悪のシナリオとなり得る。韓国にとっても最悪だと、加藤氏は言っているが、現韓国大統領にとっては織り込み済みのシナリオかと私は思う。
 
また加藤氏は、「トランプ大統領はキッシンジャーの意見に従ったために、米中首脳会談でも米国の主張が出来なかった。」更に、「キッシンジャーは中国の利益を代弁し、“日本に未来永劫核武装を許さない”という姿勢を米国政府に持ち込んでいる」と言っている。(「」中の文は話の内容であり、語りをそのまま書いたのではありません。)
 
その上で、キッシンジャーは「日本にとっては有害な人物と言う事もできる」と語っている。その様に語るのなら、その理由も具体的に語るべきである。「虫が好かない」レベルの「キッシンジャーは反日である」という議論は、有害無益であると私は思う。
 
2)キッシンジャーとともに、米国の国際戦略に重要な役割を果たした人に、ブレジンスキーがいた。あの「ひよわな花・日本」を書いた人である。今年死亡したらしいが、そのニュースが大きく報道されなかったことは、日本が政治と報道の両面で後進国であることを示している。
 
北野幸伯氏が自身のメルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」にブレジンスキーの死去にふれている。そこで、伊藤貫氏(補足2)の著書「中国の核が世界を制す」の中の「ブレジンスキーもキッシンジャーも反日親中である」を引用し、更に、つぎの様に書いている。
 
キッシンジャーと同様の親中外交論を主張してきたブレジンスキーは、「中国こそは、アジアにおける”アメリカの自然な同盟国”と言ってよい。アメリカの国防政策は、日本政府の行動の自由を拘束する役割を務めている。この地域で優越した地位にある中国こそ、アメリカの東アジア外交の基盤となる国だ。」と述べているというのである。
 
一方、「この二人には違いもある。ブレジンスキーは日本人を小馬鹿にしているが、日本人を憎悪してはいない。それに比べてキッシンジャーは、日本人に対して鋭い敵意と嫌悪感抱いている。」とも書かれているという。https://news.goo.ne.jp/article/mag2/world/mag2-250961
 
ところで、何故この二人の米国外交の中心的人物が日本軽視の戦略論を展開してきたのか? 私は、それを語らずして“誰それは日本に有害な人物である”と言うべきではないと思う。上記北野幸伯氏の文章では、その反日親中は、中国が彼ら二人の生い立ちから調べ上げ、プライドの高い二人の特性を利用して取り込んだ結果だと書いている。
 
それもその通りだろうが、キッシンジャーの反日姿勢(憎悪感を持つ)について、もう少し別の背景があるように思うので、それを書いてみたい。
 
3)伊藤氏の話にある通り、反日キッシンジャーは“日本には未来永劫核武装はさせない”と思っているだろう。しかし、キッシンジャーは“日本も核武装をすべきである”と考えた時期があったと、或る本に書かれている。片岡哲哉著「核武装なき改憲は国を滅ぼす」である。そのことは既にブログで紹介した。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43129251.html(ヤフーブログは廃止された);
https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515511.html(2021/12/17,追加)
 
日本が佐藤栄作政権下であり、米国はニクソン政権下であった。そのニクソン政権の安全保障担当の補佐官がキッシンジャーだった。私の理解したところでは、米国が自国のアジア戦略において、何処に重点を置くかを考えた時、第一に日本を考えた。つまり、日本を核武装した米国の同盟国にすることを考えた。しかしその時、無能な佐藤総理が、日本はそのような役割はできないと断ったのだった。その結果、未来永劫日本国民は、中国、ロシア、米国、更に朝鮮の核の脅威に怯えることになったのである。そして、中国を米国のアジア戦略のパートナーと考えることになったのだろう。(補足3)
 
更に日米繊維摩擦の際、ニクソン大統領は佐藤総理に何とかして欲しいと対策を依頼した。沖縄が交渉の末に1972年5月に返還されたのだが、そのような時期だけにニクソンは佐藤が合意に基いて有効な手を打ってくれると思っていたが、佐藤は何もしなかったという。そこで、ニクソンは烈火のごとく「ジャップの裏切り」と怒ったという。佐藤は、愚かにも日本のもの(沖縄)は返還されて当然だと考えたのだと、書かれている。(ウイキペディア参照)
 
つまり、そのような歴史的背景を念頭において、キッシンジャーの対日対中姿勢を考えなければならないと思うのである。「戦略なき政府は国を滅ぼす」である。
 
 
補足:
1)上記4項目とティラーソン国務長官の「四つのNO」とは関連があるという。1.北朝鮮の政権交代を望まない;2.北朝鮮の政権は滅ぼさない;3.半島の統一は加速させない;4.米軍を38度線以北に派遣しない、は北朝鮮の主張を取り込んだもので、これも出処はキッシンジャーではないかと加藤氏は言っている。
2)訂正:「核武装なき改憲は国を滅ぼす」の著者を伊藤貫氏と書いた事があるかもしれません。正しくは片岡哲哉氏です。
3)上記片岡哲哉著の本の中に、ニクソン政権の時、佐藤政権の日本に核武装を打診した旨の詳しい記述がある。その時の安全保障補佐官はキッシンジャーである。「北朝鮮の核武装と日本の核武装論」https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42740249.html
 
(編集:固有名詞修正、引用一件、その理由とともに追加、(2021/12/17))

 

1955年二つの政党の合併により自由民主党が立党された。その時の国民への約束として定められた政策目標が自民党の政綱である。

 

その第6項目に、「独立体制の整備」がある。

平和主義、民主主義および基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。

 

佐藤健志氏は、改訂後の日米安保条約には、どちらか一方が解消の意思を示してから一年後、安保条約は消滅することを考え、遅きに失した感があるものの、その準備、つまり駐留外国軍隊の撤退に急ぎ備えるべきであると言って居る。

 

しかし、62年前から憲法改正と自衛軍保持を国家の必須要件と考えてきた政党が、そして、ほとんどの時間を与党として日本政治に君臨してきた自民党が、なぜその国民に対する約束を守らなかったのか? 

 

もし国民の同意など得られそうにないというのなら、そして、その政綱が尚正しい方向だと思うのなら、一旦解党して自分たちの国民を説得する能力の無さ、無能さを恥じて、政治家をやめるべきではないのか。 

 

高校や大学の授業でも、教師が本当に理解できていないことは、生徒に伝えられない。しかし、教師が本当に理解しているのなら、解説の方法を何通りか変えることでなんとか伝達できるものである。 

 

つまり、自民党の政治家が、政綱の上記項目について62年間かかっても国民の理解を得られないとしたら、それは借りものの言葉を並べ立てて、政綱なるものにつくり上げたからであり、その本当の意味をかれら自民党議員も理解していないのだ。 

 

その程度の国会議員からなる政党なら、62年間幻の政策を看板にしてきた大罪を、解党と政治家の辞任という形で償うべきである。 

 

自前の立派な毛布を手配しているという空約束のリーダーを信じて、国民は借り物の毛布で長期間暖をとってきた。そのため、その毛布が借り物だったことも、外の寒さがどの程度であるかということも、今や判らなくなって居るのだ。 

 

一旦裸になって、幾らかの凍死者をだしても、外の空気に触れるべきかもしれない。それを大寒波の来る前にやっておけば、自前の毛布を手配するべきだという空気が湧き上がり、ふさわしいリーダーがその中で選ばれるだろう。