1)昨年秋、竹中平蔵氏が仮想通貨を推奨する発言を、Coin Choise というサイトでしている。「通貨決済の手段として、国の権威などのお墨付きがなければ安心できなかったのだけれども、新しい技術を駆使することによって、そうじゃなくできる様になった。」ただ、「今後発展し続けるためには、やはり決済に使えるしっかりした基盤が必要です。」とも述べている。

https://coinchoice.net/takenaka_heizo_bitcoin1/(竹中平蔵、仮想通貨をキーワードに検索すれば出てくる)

 

竹中平蔵氏は、ビットコインなど仮想通貨が今後広く決済に使われる基盤を、国家のお墨付き以外に手に入れることが可能だと言っているのである。この意見に対して、内閣参与の藤井聡京大教授は、竹中氏の仮想通貨擁護論を詐欺的行為に近いと批判している。https://www.youtube.com/watch?v=145_psmN2C4

 

藤井氏は、ビットコインが通貨として相応しくない点として、①他者(国家や店舗など)に通貨として受け取りを要請する権威はない、②金融政策が効かない点(価値の変動が大きい)、③ハッキングなどに弱い、などの点を挙げている。通貨としての権威が本来ビットコイン等に無いのか、それとも現状無いだけなのかについては、藤井氏は明言していない。それ以外の点では藤井氏の意見が正しく、竹中氏の発言は経済学者として異常だと思う。

 

竹中氏の頭脳は優秀である。小泉政権の時に経済財政政策担当大臣や金融担当大臣を歴任している。竹中、小泉と言えば、米国の所謂グローバリストたちのエージェント的人物であると私は思う。つまり、仮想通貨とはグローバリストたちが繰り出した、新しい国境を破壊するための武器なのかもしれない。

 

最初は共産主義を用い、次に経済障壁の撤廃という方法で、国境をなくす努力をしているグローバリストたち。しかし、共産主義政治は政治的不安定を世界にもたらし、膨大な犠牲者をだしている。次の経済障壁の撤廃は、貧富の差の拡大を世界にもたらした。仮想通貨も彼ら金融を支配する人たちの企みだと思う。それは、世界経済を大混乱に導く罪深い行為のような気がする。

 

2)ネット上の媒体でビットコインを擁護するのは、竹中氏だけではなかった。MAG2NEWSというネットマガジンで、「なぜ仮想通貨まで叩かれる? 新しい技術の登場を拒絶する日本」と題して、冷泉彰彦という人が日本の仮想通貨を批判する姿勢を批判している。http://www.mag2.com/p/news/348415?l=qux0596bfd

 

これらの人の共通認識は、「貨幣としての信用は皆がそう信じることで生じ、貨幣となるものの本質的属性によるわけではない」という思想である。その思想については、数日前にビットコイン研究所を名乗る機関の記事を当ブログでも紹介した。http://doublehash.me/bitcoin-enten/

 

ビットコインの推薦者は、これら仮想通貨が金つまりゴールドのように皆がその価値を幻想すれば、世界通貨となり得ると考えている。つまり、金に本来値打ちなどないのだから、ビットコインも現代版の金通貨となり得るという意見である。しかし、現代の通貨は金と同じではない。

 

ニクソンショックの時に、通貨は金の裏付けを無くした。しかしそれは通貨の質的低下というよりも、「国家が保証する通貨」という通貨の新しい時代が始まったと考えるべきだろう。通貨が原始的な金の質札から、国家の下部組織である“中央銀行の債務を切り分けたものとしての紙幣”になったと見るべきだと思う。

 

もし金が普遍の貨幣たり得るのなら、兌換紙幣に戻せば良いだけである。金が幾ら高価になろうとも、数百も出来ていて、もはや希少性があるとは言えない仮想通貨の価値を信じるよりは、1g10万円の金の価値を信じる方が世界の人々にとって容易である。

 

3)しかし、法定通貨に問題がないわけではない。基軸通貨である米ドルの信用が、米国の節度のない経済的姿勢により、低下している点である。それを指摘した記事が米国の仮想通貨応援サイト(cointelegraph.com)に出され、日本語に訳されている。記事の題名は、「もしも米ドルが仮想通貨だったら?」である。

 

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https://jp.cointelegraph.com/explained/what-if-us-dollar-was-just-another-cryptocurrency-expert-blog-jpより引用

 

 

上図は最近の米国のマネーストック統計である。15年ほどの間に2.6倍ほどになっている。つまり、お金(ドル)をドンドン使って、その借金を貨幣としてバラまき、それが米国に還流する際には、ドル立ての資産(外貨準備や債券など)となり肥満児の脂肪のように全世界に溜まり、また一部は基軸通貨として流通し続けているのである。(補足1)

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上図は対外純資産を主要国について示した図である。2016年末に1000兆円近い対外債務を米国は持っている。つまり、これ以上の対外債務を蓄積することができないので、新たに仮想通貨の発行で、米ドルの回収をやっているのではないのか。
 

重要な点は、米国が世界の基軸通貨を発行して巨万の利益を得ている以上、それを正しく運営する責任を果たすべきであるということだと思う。しかし、放漫な経済感覚により、更に赤字を垂れ流す体質に悪知恵がプラスされたのが、今回の仮想通貨だろう。

 

その米国経済を牛耳る人たちの節度のなさは、数多くの新しい仮想通貨の発行が予定されていることでもわかる。210日以降でも30近くの仮想通貨の発行が予定されているが、推測だが、多くは米国での発行だろう。https://jp.cointelegraph.com/ico-calendar

 

仮想通貨については、3月のG20で何らかの規制がかかる可能性が高い。しかし、G20の中で圧倒的力を持つ米国は、その規制をなるべく弱くする方向で諸国に圧力をかけるだろう。

 

補足:

1)この脂肪分を完全に取り去ることが、強大な軍事力を持つ米国ならできる。その方法は、財政破綻とドルの紙くず化である。どこかでトランプは、破産も米国の選択肢だと言ったような気がする。

平昌五輪が始まり、北朝鮮の対韓国&対米外交攻勢が始まった。金正恩の妹はなかなか知性に優れているようで、韓国の世論を味方につけるべく微笑外交を開始した。単純な米国民も安倍総理のしかめっ面よりも金与正の笑顔を歓迎するだろう。大衆の知性とはその程度であり、特に誤った情報で洗脳された米国の大衆なら尚更である。

 
マティス副大統領は言葉を選んで喋るだろうが、安倍総理は北朝鮮に圧力をかけるべきだとか、北朝鮮は核廃絶すべきだとか吠えて、米国の犬の役を果たすだろう。マティス副大統領はその犬をあやして、まあまあここは抑えてとか何とか言って、最終的には何も重要な発言なしに帰るだろう。
 
トランプ大統領はもともと米兵の犠牲を払ってまで、北朝鮮を攻撃する気持ちなど毛頭ないだろう。ただ、産軍共同体への発注額の増加に役立ち、かつ被害の少ない方向、つまり日本や韓国が被害の大半と相当の軍備増強を受け持つのなら考えるだろう。韓国の文在寅政権は必死にそのシナリオを避けようとしているが、日本の政権は何も考えていない。
 
日本は朝鮮戦争に直接関係ないのだから、まともな独立国なら、米国に朝鮮戦争の終結と和平の提案を1975年の国連総会での決議の繰り返しでも良いから、主張すべきだった。自民党の政治屋連中は対米従属路線に安住して、日本国民から将来の安定を奪った犯人である。池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎など長期政権を担当できたのは、単に米国の犬だったからだ。
 
今回の北朝鮮問題では、最後に日本ははしごを外されて、米国と中国の二大派遣国の谷間の緩衝国になるだろう。両方から利益を吸い取られるための国となり、日本民族消滅の危機がおとづれるような気がする。
 
米国が恐れるのは、ロシアと中国であり、北朝鮮ではない。北朝鮮の核兵器は、金正恩が言っているとおり、対米抑止のためであり対米攻撃の為では無い。もちろん、対日脅しの役割は十分果たすので、北朝鮮との基本条約のときにはたんまりむしり取るための道具になるだろう。
 
米国支配層が憎いのは日本であり、北朝鮮ではない。第二次大戦では米国は勝ったものの予想外の被害を被った。広島と長崎に原爆を投下したが、それは米国にとっては忘れたい過去の悪行である。そのトラウマは、日本憎しの大合唱を東アジアで起こすことで多少とも薄めることが可能である。
 
そのために、朝鮮半島に慰安婦問題など反日感情を醸成し、中国には南京大逆殺の捏造を進言した。李承晩はそれを忠実に実行したし、アイリス・チャンはベストセラーとなる本を書いた。彼女がその後直ぐ死んだのは、証拠隠滅だろうという噂もある。長期政権を誇った自民党議員たちは、そのような話をしらないのなら馬鹿だし、承知していながら対米従属路線を撮り続けたのなら国賊である。
 
明治維新いらいの薩長土肥の者たちは、日本を二度潰すのだろう。一度目は何の戦略もなく、満州から中国侵略に移行して、虎の尾を踏んだ第二次大戦であり、二度目はこれからの米国による日本封じ込め戦略の完成だろう。
 
以上内容の多くは、元外交官の馬渕睦夫氏や孫崎享氏、米国在住の伊藤貫氏らの受け売りかもしれないが、そして、これまでのブログに何か新しい内容を加えたわけでもないが、世界の政治が動く時期かもしれないので敢えて書いた。
別サイトに3年前にアップされたブログ記事が、当サイトには無いので再掲します。表題後半は新たにつけましたが、本文は「てにおは」などの軽微な修正以外の編集はしていません。
 
1)捏造とは実際には無かったことを事実のように仕立て上げることである。ある何かに関して捏造疑惑が持ちあがれば、その時点で捏造事実も殆ど同程度に危うい存在であることになる。


最近捏造が話題になることが多い。現代のベートーベンやスタップ細胞なども、その捏造疑惑によってテレビのワイドショーに大きく貢献した。また、より深刻な例としては、袴田事件における検察の証拠捏造(疑惑)がある。

 
これは今後上級審での判断をあおぐことになるが、私の直感では捏造は間違いなくあったと思う。袴田元死刑囚には、本当に気の毒なことであり、我々は捏造の被害者でなく、且つ、この社会の構成員である以上、捏造をした側の一員にとして出来るだけの償いを袴田さんと彼の家族にしなければならないと自覚すべきだろう。上級審もいさぎよい決断をしてほしいものである。
 
この種の捏造疑惑を出来るだけ少なくする様に、最新技術を導入するなどして犯罪捜査の技術向上に努めるべきである。しかし、それでもこの種の事件はある程度の確率で今後とも出現するだろう。人には真実を知る十分な能力に欠けることが背景となり、常に捏造の罠にはまってしまう危険性があるからである。
 
また、100%の人が納得するだけ十分な証拠がある事件の容疑者だけを有罪とするのなら、司法は成り立たないだろうし、社会の枠組みは崩れるだろう。そして、そのような絶対を期するのなら、裁判において検察側、弁護側、裁判官の3つもの機能の必要性はない


2)ここで特に言及したいのは、マスコミ報道によく現れる、社会の根幹に拘るので、公機関によるこの種の捏造事件は、絶対あってはならないという趣旨の意見である。私は、この発言に、マスコミに生きる人たちの知性の無さ、或いは、無責任さを感じる。(補足1)それは、「現実に、我々は捏造(と偽造)の中に産まれ、そして、生きている」、或いは別の表現を用いれば、「捏造と真実の明確な区別のできない社会空間に生きている」からである。
 

捏造を善きこととして肯定しているのではない。そして袴田事件では、証拠捏造した検察の人間が特定出来れば、厳罰に処すべきである。しかし、その捏造と処罰のプロセスは、どこか借金しなければ生活出来ない人の借金とその中の一部の人の破産処理に似ている。つまり、日々辛うじて生きている我々と(補足2)、その為に存在する我々の社会が、捏造によって辛うじて体裁を保って来たのではないか? そのしわ寄せが袴田事件であり、そしてその他表に出ない多くの捏造を含めて、それらの犠牲により我々は安心や平和という住処を安普請的に建築し、生きているのだと思うのである。
 
個人内部での様々な自己完結型の捏造は問題が少ない。しかし、社会における捏造は、社会が一つの生命体でなく、多くの個人により構成されているので大きな問題である。個人は、独自の意識を持ち、夫々が生きる権利を主張出来る存在であるからである。社会全体の動きの中で生じた捏造(補足3)により被害を受けた個人は、突然津波に飲み込まれるような不条理の中で苦しむことになる。それ以外の幸運な人間は、出来るだけの償いをしなければならないと思うのである。そして、その不運は明日の自分の姿かもしれない。(補足4)


3) 我々が生まれたのも、神が創造したの結果である。そのも多くの場合、勘違いか捏造或いは偽造の産物に過ぎない。つまり、愛は本来他者を大切に思う感情であるが、自己の欲望と利益を他者に求める為の物乞行為を、愛として捏造する場合も多いだろう(補足5)。また、我々の国家の歴史を記した、日本書紀や古事記も多くの捏造を含む書物であると考えられる。(補足6)そして、万世一系の天皇を頂く2674年の歴史を捏造し、その偽りの誇りの中でナショナリズムを醸成している。

 
英米から輸入した民主主義も、その現実(或いは本当)の姿は、人民の意志を社会の裏で捏造し、それに人民(市民、有権者)が気付くことの無い様に工夫された、極めて複雑な政治体制かもしれない。これらの捏造を「捏造はあってはならない」と切り捨てるのは、それを人々の生活を保ったままで減少させる努力をせずに、自分だけ安心安全の地に逃亡する行為だと思う。


政治や司法において捏造を産むのは、我々が期待する、平和、安全、機会均等などの社会の諸機能と、社会を構成する全ての個人の生活や権利という、二つ実体の持つべき機能や権利が、同時に毀損することなく実現できるのかどうか、という根本的な問題と関係していると思う。

 
この広い範囲(枠組みとしての社会とその中の個人全て)で、不正を防ぐ或いは最小限にするメカニズムを完成するには、個人と、社会、もっと広く国際までの範囲で耐えうる論理的思想を、政治や司法において実現することが不可欠である。つまり、日本語という非論理的な言葉を用いていることや、人治国家である東アジアの政治体制の危うさを、十分自覚することが特に我国では大切であると思う。


社会における捏造は極力少なくすべきである。つまり、上記表現での"平和と安心という住処の構造"を強化すべきである。しかし捏造や捏造的なものを、完全に無くすることが可能であると考えるのは幻想であり、常に捏造の危険性に対して緊張感を失ってはならないと思う。
 
補足:

1) 同じ様な感覚を、政治問題における所謂左翼の方々の意見を聞いた時に持つ。
2)人は内部でいろんな捏造や誤摩化しにより、心の平安を保って生きていると思う。多くの納得は真実の徹底的追及を放棄して自分が痛むことを防いでいる。そのプロセスの中には必ず或る種の捏造が存在すると思う。
3)社会の安定は、社会に一定以上の信用が無ければ成立しない。そして信用が不足しそうな場合、ここでは国家の司法の、世の中の正義を護ると言う信用が不足した場合、事件解決の(捏造を積極的にする訳ではないが)圧力が生じるのだと思う。他にも、国の政策では官僚達が立案し国会議員が審議する振りの後、採決して決めている。あたかも民意によって国が運営されているように民主主義を捏造し、社会の安定を保っている。また、戦争時には国家あっての個人であるという国家主義を国民の頭の中に捏造して、徴兵した。そのための道具が靖国神社ではないだろうか?古来、下級武士を神社に祀った例等無い。
4) ちょっと仏教的臭いがする理解です。
5) 自分の利益を考えて、他者を大切に思うことを、愛と感じる場合が多い。しかし、本当の愛は、自分の利益に無関係に他者にむけられたいつくしみの感情だと思う。或いは、本物の愛(アガペー)は、人にとっては夢想か誤解の類いかもしれない。
6) 岡田英弘著、「歴史とは何か」(文春新書)参照。私には非常に優れた学者に感じられるこの著者は、一般の理解と異なって古事記は日本書紀を元に書き換えられたものと解説している。