1)久しぶりに大前研一氏の講演(新世代の為の世界と日本 新たな繁栄を求めて:ダイジェスト版)をyoutubeで聞いた。世界の政治経済の動向については、面白かった。一つの視点から見た話だという前提を置けば、勉強になる良い講演だと思う。(補足1)ただ、その考え方は偏っていて、日本に古くからいる一部アメリカ人の方とそっくりなトランプ批判である。https://www.youtube.com/watch?v=35Y-pufajq8
 
最初、アメリカの国際政治や経済のあり方が、世界のモデルとなってきたという話から始まる。トランプ政権の誕生により、そのアメリカモデルが破綻したことを嘆く気持ちは、アメリカの新聞と同じである。しかし、アメリカモデルを破壊したのは、アメリカ自身である。もし、これまでのアメリカモデルが現実論の積み重ねで出来ていたのなら、中国の台頭に慌てふためくことはない筈だった。
 
多民族国家を束ねる工夫として、わかりやすい理想論を建前にし、見得にくい所で、本音で行動するという方針でやってきたのがアメリカである。それをブレジンスキーは白状している。「ネット社会になり、政治に詳しい人が100万も出てくれば、それに一々対処するより殺す方が簡単だ」という趣旨の発言は、世界に広がっている筈だ。
 
従って、前者だけ(理想論の部分)では世界各国のモデルたり得ない。その証拠に、アラブの春はなんだったのか?単に、アラブを破壊しただけである。その理想論、つまり少数派でも権利は保障されるという理想論(つまり自由と人権の論理)で国家を束ね、その支配層としてユダヤ社会が座ることに成功したと、現実論者のブレジンスキーが回顧録の中で書いているという。(馬渕睦夫さんの動画)
 
その米国の現実的な政治と経済における世界支配の中身を、理想論をラベルにして、世界のモデルであったと大前さんは言っている。大前さんは、米国の支配層の利益を代弁して、20世紀のアメリカの論理を主張しているにすぎない。大前氏の日本政治批判、安倍晋三と黒田東彦の批判は、多民族国家としての米国の歴史と看板の理想論を無視して、その強者の現実論を日本に適用しているように思える。
 
大前さんは自著の「The end of the nation state; The rise of regional economies」を紹介し、それが日本以外でよく売れたと言っておられる。Nation Stateが終わるというのは、グローバリズムという意味である。その主張を1990年代から、大前氏はやってきたのだ。勿論、"正義に基づいた"グローバリズムの実現は、遠いけれども人類の目標である。Nation StatesからThe global state of nationsへの移行を具体的にどのようにするかが、21世紀の人類に与えられた課題であると思う。(追補参照)
 
その難問の内、現在最大の課題が欧米とは異質なNation Stateである中国の問題である。未だに帝国の領域に残る大国が、先を進む欧米に対し挑戦している姿が、現代の世界政治の渦の中心にある。その課題に向かって、現在トランプは戦っていると思う。
 
トランプは、グローバル資本のアマゾンなどを目の敵にしているようにも見える。米国におけるトランプ批判とは、現在の政権に対するグローバル資本の代弁者である米国報道機関の反論に過ぎないのだろう。アマゾンのトップがワシントン・ポストを所有していることを、講演で紹介している。
  
2)大前さんの考え方の実質は、自然競争の原理つまり強者の論理を優先すべきという考えである。従って、餌場は広い方がよく、世界規模で人も金も集めて会社を大きくするというグローバリズムを善とする。
 
世界経済を大きくするのには良い考え方であるし、将来の日本を強い経済の国にするのにも良い考え方だと思う。未来に、たくましい日本人と巨大な経済を今の延長上に探すのなら、弱者は滅びる方が日本の為になる。単なる法人ならそれは当然かもしれない。
 
ただ、政治は現在の人間にも一定の配慮が必要である。その視点が見事に欠けている。富とルールを分配するのが政治だとすれば、その配分は現在と未来の両方に向けてしなければならない。未来へ向けた部分は大前さんの考えが良いと思うが、それを全体だと聴衆が思い込むことへの配慮がなければならない。
 
その配慮が見えないので、このような批判をすることになる。大前氏の講演は、21世紀の世界見ての話だと言うが、その論理は先進国にとっては20世紀のバージョンである。20世紀に強者となったものが、21世紀も同じ原理で外の獲物を探したいという論理である。明らかに21世紀を直視しているトランプを糾弾する資格は、大前氏にはないと思う。
 
単に金儲けがうまさだけで、人間の能力を計るのは尊大である。人間は有史以来、人と人との協力とそのための弱者への配慮の方法を探してきた。それが人間の作り上げた文化である。グローバリズムは、将来の人類の夢である(追補参照)が、その性急な追求は、自分が金持ちになりたいという人を作るだけである。
 
その中で、弱者は涙の中で死ぬのみであり、それが自然だというのはあまりにも残酷ではないのか。何故日本人は、いざというときのために金を貯めるのか?それは日本社会が、大前氏が主張する20世紀の経済の論理で変化し、家族関係が破壊され、老後は金しか頼るものがなくなったからである。
 
「税は資産課税だけにして、所得税と法人税は全廃する」という考え(講演の40分位から)には、老いて尚不安に苛まれる人への配慮の欠片もない。大前氏が日本人なら、座禅でもして、或いは、断食でもして、もう一度人間とは何か、文化とは何かを考えたらどうかと進言したい。
 
以上、大前氏の講演(動画でみた範囲)に対するコメントを繋ぎ合わせ、整理した文章である。筆者は理系で定年まで働いた素人なので、間違いがある可能性が高いので、玄人の方は是非その指摘や全体的な批判をしてもらいたい。
 
補足:
1)大前氏の講演のなかで、インド人は優秀であり多数が欧米グローバル企の経営者としなっていることを紹介している。そこで、ネット検索すると、そのリストが現れた。
·      終わりに
 
大前氏は、インドの優秀な人は、自国に帰ってインドを豊かにしようとしないで、欧米で活躍することを考えると言っている。それは、世界を不均一に発展させるグローバリズムの結果の一つであると思う。つまり、現在のグローバリズムは、発展途上国の巨大資本による植民地化である。

追補:
上記21世紀の人類の課題とした「Nation States からThe global state of nations の実現」は、「諸民族が連携した世界国家の実現」の意味で書いたつもりです。(本文のこの部分と追補は13日早朝編集)
文藝春秋12月号のエドワード・ルトワックの「米中冷戦、日本4.0が生き残る道」という記事を読んだ。ここで日本バージョン4.0とは、江戸幕府ができた日本、明治新体制、戦後体制に次ぐ、近代4番目の期待される改革後の日本を意味している。より具体的には、米中新冷戦の中を生きる新しい日本という意味である。
 
日本の何を新しくすべきなのか。それは米国との同盟を深化し、東アジアでの親米ネットワークの中心的役割を果たすべきだということらしい。米国は、各種ロビー団体も議会も反中で一致しており、反トランプの勢力から唯一批判がないのが、反中政策だと言う。共産党支配の中国との付き合い方は、最新且つ最大の米国の外交課題だろう。
 
私にはルトワックはトランプの背後に居るように思える。それは、この原稿全体を通して、これまでのトランプ政治と乖離した考えが見当たらないからである。
 
1)朝鮮半島について:


ルトワックの考えでの理想的な朝鮮半島の姿は、北朝鮮からの核廃絶と米軍の朝鮮半島残留のようである。核廃絶と米軍残留のどちらが大事かといえば、後者だと考えているようだ。そして、日本は半島の非核化や拉致問題解決を性急に実現しようと考えてはいけないと言って居る。現状、つまり、北朝鮮が核保有し在韓米軍が存在する状態が、日本にとってそんなに悪くないとも言っている。
 
日本人向けの文章なので、言葉を選んで居るが、おそらく反中を貫く為には米国と北朝鮮の協力関係樹立が望ましいと考えているのだろう。そのモデルはベトナムである。つまり、ベトナム戦争で勝ちながら、北ベトナムはベトナム統一後に親米反中になった。それと同じプロセスを朝鮮半島にも期待しているようだ。
 
北朝鮮がベトナム方式を採ると確信できるのなら、安倍政権の協力を得て、米国の制裁解除と日本の経済協力をセットで北朝鮮に提示する予定なのだろう。つまり、今となっては文在寅政権の韓国よりも、北朝鮮を中心に米国は考えて居るのだろう。ルトワックは明確に、「韓国の方が親中である」と言って居る。
 
実現すべきは、北朝鮮との協力関係樹立、北朝鮮の経済復興、それに対する日本の協力だが、その障害になるのが、北朝鮮の核兵器と拉致問題である。北朝鮮を親米国とする為に、ルトワックは上記二つの問題解決に対する日本の性急な欲求を抑えているのである。
 
また、仮に北朝鮮を非核化して、韓国主導の自主独立統一朝鮮が実現した場合、その延長上には中国の属国としての統一朝鮮しかあり得ないと考えている。それ故、日本が目を開いてしっかりと韓半島の二つの政権を見なくてはいけない。


日本に文在寅政権の本音を語ってくれたのが、あの徴用工裁判である。文在寅は最高裁のトップに、自分の考え通りの判決を出してくれる人物を据えた。あの判決は、文在寅の韓国の国際社会における信用を一挙に失う結果になっただろう。おそらく金正恩は文在寅をバカにしているだろう。何故なら、あの恐ろしい中国を知らないからである。
 
その考え方に似た分析を、9月20日のブログに紹介している。主として、藤井源喜さんの考えである。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43760281.html もっとも、日本と北朝鮮の関係は未だ敵対だが微妙に変化している。一方、韓国は表向きとは違って、今や反米反日だろう。この”逆転現象”(変化の方向に於ける)は、文在寅政権が続く限り続くと考えられる。
 
2)日露関係および日中関係について:


反中国の朝鮮半島、日本、東南アジア、豪州、インドの弧状のネットワークには、ロシアを入れることが大事であるとルトワックは考えている。シベリアの長い国境線は、必然的にロシアと中国の間に深い不信感を生じる。そのロシアにとって、非常に魅力的なシナリオは、日本との極東での経済協力である。
 
ルトワックの日本4.0の一つの大きな部分は、日露友好関係の樹立だろう。それは、トランプ政権も賛成だろうが、米国の反トランプ勢力は反対のようだ。その反露姿勢は、単に無知なのか、中国利権に完全に取り込まれている結果なのか分からないが、どちらかだろう。ウクライナの件やシリアの件に目が奪われているのも原因の一つかもしれない。(補足1)
 
日露友好関係樹立は、日本にとって中国の脅威の緩和に大きな働きが期待できる。更に、ロシアの天然資源とロシア市場の両面から経済的利点も多い。しかし、ロシア人のほとんどは忘れているか、或いは、知らないのかもしれないが、日本人にはロシア人に対する嫌な記憶が残っている。その障害を取り除くのが二島返還である。(補足2) 
 
その必要性をロシアの人々に理解させるためには、ソ連は日本が降伏の意思を表明した後、日ソ中立条約に違反して一方的に宣戦布告し北方領土を奪い取ったこと、その後日本人を多数虐殺し婦女子を暴行したこと、数十万人という日本人を奴隷化してシベリアに抑留したことなどを、ロシア人に広く教えるべきである。このことも、欧米で一般に信じられている第二次対戦の歴史認識は、一方的であることを示している。つまり、英米と戦った日本やドイツを悪の帝国と捉えているが、一般に歴史のなかで一方的にある国が非難されているとしたら、それは誤解に基づく。(補足3)
 
また日本には、ロシアと中国を比較すれば、中国に親しみを感じる人の方が多い。その理由として、同じモンゴリアンであることや、漢語や箸を用いる共通の文化を持つこと、更に、中国に侵略された経験がないことなどがあるだろう。
 
しかし、中華帝国とも言うべき共産党支配の中国は、沖縄も中国に属すると明言し、太平洋を米国と二分しようと米国に提案した国である。ここは、新しい情勢の下、米国のトランプ政権に協力する姿勢が大事であると思う。
 
一般的に、その土地に住む人と国家体制は区別して考えるべきである。また、その国には複数の勢力が存在することを念頭に、現在の政権をその国自体と考えないことも大事である。そう考えれば、習近平の中国が早期に世界戦略を明らかにしたことは、馬脚を表したというべきであり、ずっと先にある日中友好が近づいたと考えるべきである。
 
勿論、日本の安倍政権は、既にそのことは考えて居る筈である。全体としては、既に書いた様に米国の代表的な戦略家であるルトワックは、トランプの背後に居るという印象を受けた。以上、素人の感想である。(午後5時半、編集あり)
 
補足:
1)ウクライナ問題の発端は、合法的に誕生しているヤヌコビッチ政権をどこかで計画されたテロで、大統領が逃亡したことである。この件、4年前に議論している。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/03/blog-post_22.html
2)日ソ共同宣言で両国の戦争状態は終結した。その時、何故ソ連は日本に歯舞群島と色丹島の返還を約束したのか? それは、過去ソ連側に負い目が残っていることを意味している。
3)戦前の日本やドイツを悪の帝国と決めつけるのが、ドイツ以外の欧米の人の常である。それが偏見に満ちたものであると、そろそろ知るべきである。既に、フーバー元大統領の考え方が明らかになり、フランクリン・ルーズベルトがある一派に支配されていたことが明らかになった以上、米国の一般国民もそれを知るべきである。
それと関連して、ケネディーが何故暗殺されたのか、中央銀行を国家の機関として持とうとしたリンカーンも何故暗殺されたのか、何故アフリカの内部から貧しい人たちが難民としてヨーロッパを目指す旅が可能なのか、何故ホンジュラスからあの時期に大勢の人が何の障壁もなる米国とメキシコの国境に集まることが可能なのか。それらの疑問は、全て一つの人たちの企みであると考えれば溶ける。
靖国神社は国立戦死者追悼施設とし、展示内容等もそれに沿った姿にすべき:

1)文藝春秋12月号に掲載されている小堀前靖国神社宮司の記事を読んだ。小堀氏は、靖国神社がガラパゴス化していると嘆いているが、それは「天皇陛下が靖国神社を潰そうとしている」という言葉と裏腹になっている。その言葉について考えるが、そのためには、靖国神社と”靖国問題”について一応の理解が必要である。私もそれを復習するために、先ずそれらについて少しまとめておきたい。
 
靖国神社は、明治2年に時の天皇により「東京招魂社」として創建された。戦前は陸軍と海軍の共同管理下にあった。昭和21年(1946年)に宗教法人となり、単独の宗教法人として現在に至る。現在の視点で見れば、靖国神社は日本の若者を兵士として消費するための機関であったと言えると思う。(補足1)
 
明治12年に東京招魂社は靖国神社に改称された。明治憲法が制定されたのは明治22年であり、その第28条には信教の自由が定められていた。靖国神社が宗教施設であると考えれば、明らかに矛盾する。憲法が国民に対する国家体制の明示であるとすれば、明らかに靖国神社は憲法の上位に位置する。そのように考えれば、前宮司の「靖国神社は天皇陛下のお社と言っていい存在です」という言葉(文春95頁下段)が理解できる。しかし、それは時代錯誤である。
 
靖国神社を特殊法人として、靖国神社の宗教性を希薄化させる法案が、1969年から毎年自民党から議員立法の形で提出された。1974年に、衆議院で可決されるが、参議院で審議未了のまま廃案となった。この動きを前宮司は「政教分離」が厳しく言われた時期と解釈し、それを契機として昭和天皇が参拝されなくなったと書いている。(補足2)
 
私はこの法案において靖国神社の名前をそのまま用いたことは、大きな問題であり、廃案は当然だと思う。その法案の第2条に『靖国神社の創建の由来にかんがみその名称を踏襲したのであり、靖国神社を宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない』と書かれているという。しかし、これは全くの嘘だと思う。単に、「国立戦死者(或いは戦没兵士)追悼施設」とでも名前をつければ、あえて第二条にこのような文言を入れる必要性はない。神社という宗教施設の名称を用いる限り、そして、自民党が日本語を破壊したくないとすれば、この言い訳は全くの嘘である。(補足3)
 
次に、靖国問題について簡単に書く。靖国問題とは“A級戦犯”の合祀問題であり、中国や韓国などが日本に難癖をつける為の道具の一つである。これは、靖国神社を「国立戦死者追悼施設」としておけば全く問題にならなかっただろう。東京裁判で「平和に対する罪」という名目で殺された人たち(“A級戦犯”)を靖国神社に祀るかどうかの問題は、靖国神社の設立趣旨を考えれば明らかである。
 
靖国神社は戦死者の霊を祀ることを目的に創建された。従って、戦死者でない所謂A級戦犯たちの方々を祀るべきではない。多くの若者を戦地に送った彼らが、送られて戦死した人たちとともに祀られる理由はない。仮に、東京裁判も戦争の一環だったという話を正当だと認めるのなら、合祀の理由になるかもしれないが、その場合は、東京裁判を戦後の報復だと言って批判することは出来ない。更に、あの戦争を開始から敗戦まで総括して、東京裁判の看板から中身までの再評価をしなければならない。それらをしないで、合祀の正当性を主張するのは知能を持った人のすることではないと思う。
 
2)今上天皇が、靖国を潰そうとしていると前宮司が嘆いた根拠は、今上天皇がこれまでされた活動を根拠としている。つまり、天皇陛下はこれまで一度も靖国参拝されていない。その一方で、グアムやサイパンなどを訪問し、戦死者を慰霊されたことである。それらは、靖国には戦死者の霊は存在しないという考えに基づくと、前宮司は考えておられるのである。この考え方は、それなりに論理的である。
 
そして、「神道では、嘗ての戦地には、遺骨はあっても靖国神社の神霊はそこにもうおられないと考えます。靖国神社を永遠の静宮の常宮(神道の用語)としてお鎮まりくださいと毎日祝詞を申し上げているのですから、神霊が陛下と一緒に移動することはあり得ないと思われます。」と前宮司は書いている。
 
この考え方は、霊に関する伊勢神道の解釈なのかもしれないが、オリジナルな神道の考えとは全く異なるだろう。参考として、数年前に神道に関して書いた文章を紹介しておく。元々神道は自然の祟りをおそれる宗教であり、人は死後大自然の中に消滅するとしても、特定の神社という「現世の特定の場所」に鎮座する類の考えはない。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/06/blog-post_24.html
 
前宮司は、「陛下の慰霊の旅はあくまで亡くなった人を偲ぶということであり、亡き人々の神霊を祀ることではない」と断言する一方、「しかし、靖国神社の崇敬者のなかにも、亡くなった人の神霊もその場所に来ているのではないかと考える人がいる」と書いている。これらの文言をよく考えると、前宮司は本質的なことを心配しているのではなく、靖国神社に参拝する人が減少することを恐れていることがわかる。
 
つまり、文藝春秋の記事で小堀邦夫前宮司が書いているのは、宗教法人靖国神社の“営利団体的側面”においての危機でしかない。明治の時代に入り、帝国主義の世界を生き抜くためには、日本国も多数の若者の命を消費する必要があった。そのために考え出されたのが、国家神道である。その是非を論じることは、簡単ではないので、別に機会があれば書きたい。
 
私の伊勢神道に対する考えは、オリジナルな神道を乗っ取り、天皇家を中心とするヤマト(大和と倭の両方の漢字が用いられている)の為に創り出された宗教だというものである。(上に引用の記事参照)靖国神社は、現在ではほとんど観光の対象としての側面が目立つ伊勢神宮が先祖がえりした姿なのだろう。前宮司の危惧は、その靖国神社も伊勢神宮同様に、ほとんど観光の対象となってしまって良いのかと言うことではない
 
前宮司は、靖国がガラパゴス化(前宮司の言葉)した神社に見えたのは、かなりの黒字を抱えているものの、今上天皇の靖国に対する冷たい姿勢に危機感を持たない現在の神社上層部に対する苛立ちがあったからだろう。伊勢神宮の禰宜(宮司に次ぐ地位)を務めていた前宮司が、靖国神社の宮司になって、伊勢神宮の運営のノーハウを持ち込もうとしたのかもしれない。それが十分な理解を職員に得られなかったのだろう。
 
 
補足:
1)神道には教義はない。従って、兵士として戦死したとしても、英霊になるという教義も、人は死んだのちにその霊が残るという教義もない。「靖国で会おう」と玉砕の前に言い合った兵士も、それを本当に信じたわけではないだろう。
 
2)昭和天皇が靖国参拝をやめたのは、A級戦犯合祀(昭和53年)があったからだと言う説がある。それは富田メモ(元宮内庁長官富田朝彦氏のメモ帳27冊にある昭和天皇の言葉)にそのように書かれているかららしい。一方、それは富田氏の天皇を守ろうとする意図に基づく捏造だと言う説もある。https://yoshiko-sakurai.jp/2006/08/03/508
 
3)自民党の1974年の靖国法案は、靖国神社の神道的(オリジナルな神道の)性質を希薄化する意味はあっても、明治初期の靖国設立の目的にそった国家神道の本格的な復活をめざしたのかもしれない。自民党全体は、一つの政治的思想に基づいている政党ではなく、現実的視点で政治を考える議員の集合に過ぎない。その中には、軍国主義的人物が居て、彼らが議員立法で出した法案が靖国法案だった可能性もある。とにかく、日本の政界には論理的に考えられる議員はあまり居ないので、最も大事な政治改革は、一票の格差の完全解消による都市部の比較的知的な有権者の票を生かすことである。