昨年12月に日本は国際捕鯨委員会IWCから脱退することを決めた。何故、そのような愚かなことをするのかとブログに書いた。それは第一に、クジラなど現在の日本人は食べていないからである。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43834333.html

 
今日、BBCの日本語版を見ていたら、詳細にIWCからの脱退の背景を紹介している。そこで、やはり選挙区に捕鯨の町をもつ有力議員や、捕鯨関係の予算とポジションを持つ官僚組織の利己的な姿勢と、何も仕事をしないで政治を食い物にする政治家や官僚の存在を指摘している。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35529672
 
日本の売国奴的マスコミがあまりこの法案を攻撃しないのは、中国や韓国が、国際的に日本が非難されることが、長期的対日本戦略に都合がよいからだろう。上記引用の12月のブログ記事では、どうせPトラップやMトラップに引っかかった、有力自民党議員や随行の官僚たちの、それらトラップの仕掛人に強制された反日姿勢が原因だろうと書いた。 推薦の記事です。
1)文化系学部を出た人は、言葉の定義に無関心或いは怠慢な人が多い。特に、日本でその傾向が強いと思うのは私だけだろうか。それが、最近のチャネル桜での「日本の自死」についての議論を視聴しての感想である。この3時間に亘る議論は、一般に良心的でありレベルも高いと思うのだが、そのかなりのレベルの人たちの議論においても、言葉の定義を疎かにしていると言わざるを得ない。https://www.youtube.com/watch?v=QLm78cpJaNg&t=1969s
 
理系の議論の場合、例えば重さ、質量、力、エネルギーなどの言葉(概念)の定義は、議論の前に準備されている。質量とは真空中に浮遊した物体の動かしがたさを表す量である。また力とは、真空中に浮遊する物体に作用した場合、与える加速度に比例したベクトル量である。(補足1)このような定義が終わったとすれば、具体的問題はコンピュータが人よりも早く問題を解いてくれるだろう。これらは、たかだか高校教育レベルの知識である。
 
一方、文化系学部を出た人では、日本を代表するレベルの人でも、議論の前の言葉の定義を疎かにする。「日本の自死」の議論では、「日本」と「死」の定義が必要になる。この言葉の問題は、恐らく日本の特別な弱点だと思う。日本人は、言葉を論理的ではなく感覚的に用いる。
 
2)チャネル桜の22日の「討論」表現者クライテリオンスペシャル「日本の自死」
 
上記議論の題目は、始めに司会者から説明があったように中野剛志氏が監訳したダグラス・マレー著「Thestrange death of Europe」の訳本「西欧の自死」から借用して立てられた。しかし、上述のようにその論題「日本の自死」についての統一的理解がなされず、各人が最初に自分のおおよその考えを述べる段階で齟齬をきたすことになった。その原因は、「日本」「死」「自死」などについての定義が予めなされていなかったことである。
 
 
最初に発言した小浜逸郎氏は、与えられた論題“日本の自死”という言葉を、大量の移民流入による異なる文化を持った民族がスポラディックに日本中に生じ、やがて日本民族がマイノリティーになる危険性と考え、それを論題と考えた。具体的問題点として特に、在日外国人として暮らしている人達による日本の土地の大量取得から、移民による恐ろしい日本分断の可能性について注目した。小浜氏は、ダグラス・マレーが指摘するヨーロッパの情況を意識して話を始めた唯一の出席者である。
 
しかし次の佐藤健志氏は、上記ダグラス・マレーの本の訳本の題名である「日本の自死」について、30数年前に経済の停滞を打開すべきという「グループ1984年」著の「日本の自殺」(PHP文庫)の話から始めた。佐藤氏は、論題“日本の自死”を、より一般的な日本民族の停滞と捉え、グローバリズムと同時に進められる新自由主義の、特に日本人のマジョリティーの福祉(幸福度)に与える危険性について、話を始めたのである。
 
次の藤井聡氏は、保守主義は現象学的思考を取り入れて机上の空論に陥ることを防ぐとして、平成時代に何が起こったかの羅列から話を始めた。平成9年の消費税導入が経済に最大の悪影響をもたらしたとして、財政拡大によるデフレ脱却が「日本の死」を防ぐと話した。藤井氏も、ダグラス・マレーの本の内容から立てられた今回の論題を無視して、“日本の自死”という論題を、単に「日本の経済的低迷」として話を続けた。(補足2)
 
更に次の室伏謙一氏は、「日本の死」を日本の伝統、慣習、社会などの破壊と考え、その考察には明治維新以降の歴史のレビューが必要だと話を始めた。室伏氏の論点も、ダグラス・マレーの本の中の「西洋の死」から取った「日本の死」とは遠い。そして、日本人は何故か愚直に時の支配勢力の姿勢をそのまま受け入れてきたのは何故かという、新たなしかし重要な問題点に言及した。
 
その後、議論はまとまりを欠いたものとなり、3時間延々と続いた。部分的には面白い議論であっても、雑談風の話からまともな結論など出るはずはない。それは、何度も繰り返すが、論題“日本の自死”の「日本」及び「死」の両方とも、まともに定義されずに、議論を開始した結果だと思う。
 
 
3)ダグラス・マレーの「西欧の自死」に戻る。この題名中のstrange deathを「自死」と翻訳した段階で、出版社は読者をバカにしている。以下に引用の長文の書評を読んだ感じでは(補足3)、反グローバリズム特に「反移民受入」の本である。その本の本来のタイトルを借用しての議論であれば、もう少し焦点を絞って、意味のある議論が出来たはずであると思う。
 
その本の内容について上記書評から更に要約すると以下のようになる。
 
移民や難民(以下移民とする)を短期にしかも大勢受け入れた欧州では、欧州の文化やアイデンティティに同化せず、自国の言葉で話し、独自の習俗で暮らす人々による並行社会が存在するようになった。それは、多分に「多文化社会を築き、隣り合わせに暮らし、互いの文化を享受する」という理想論を掲げて、単に安い労働力を得るためにエリート層が進めた無知による、或いは、欺瞞的な政策の結果であった。
 
従って、大量に且つ短時間に移民を受け入れることが不可避の場合は、移民の対し移民先での同化を条件とすべきである。その個別の見極めは国外で行うべきであった。これらが、もはや手遅れになったドイツなどヨーロッパの教訓である。出生率の低い先進国のヨーロッパ諸国は、出生率の高い移民たちに乗っ取られる結果となるだろう。
 
上に引用した表現者クライテリオンスペシャル「日本の自死」は、このようなヨーロッパの二の舞にならないように、日本はどのような政策を取るべきかについて、もっとまとまりのある議論をする筈だったと思う。イスラム教徒のようにほとんど同化しない移民を大量に受け入れ続けてれば、欧州の現在の様に並行社会が日本国内につくられ、人口増加率の大きい彼らに日本を乗っ取られるようになるだろう。そんな具体的な問題に一歩も進むことが無かった。重要な問題を提起しながら、上記番組ではまともに議論出来なかったと私は評価する。
 
兎に角、日本人は議論の仕方を知らないとつくづく思った。議論は、論点を明確にすること、そのために言葉の定義を確認すること、そして、ブロックを積み上げるように行わなくてはならない。そこには日本語の壁があるのだが、それについては何度もブログに書いた。上述のように日本人は、日本語を論理的にではなく、感覚的に用いる。俳句などはその典型であり、それがあるテレビ番組で大人気なのは日本人の言語感覚を象徴している。また、意味も理解しないで般若心経を唱えて、一種の恍惚感にひたる姿を、私は幼少時に目撃している。更に、現在の子供達の名前が、音だけでつけられている。例をあげれば山ほどある。(6日早朝、改題および編集)
 
 
 
補足:
1)質量には慣性質量と重力質量の二種類があるが、一致するように定義されているので、その点はここでは考えない。この話の延長でエネルギーを定義すれば、エネルギーとは物体に加えられた力とそれを移動させた距離の積である。この場合のエネルギーは、同じ座標系で見れば、動かされた物体に運動エネルギーという形で保存される。ここでは、物体を点(質点)と見做しており、実際の物体の場合には、他に回転運動についてのエネルギーなども考える必要がある。
 
物理学など自然科学は、自然現象に関する哲学(自然哲学)である。社会の議論でも自然の議論でも、一般に議論は言葉の定義をしてからでなくてはならない。言葉の定義で、哲学の半分以上は終わる。
 
2)日本がこの平成10年頃から“自死”(低迷の意味で用いている)が進みつつある情況を原因として、小選挙区制度が平成8年導入され、グローバリズムや新自由主義に繋がる悪しきポピュリズム(つまり政治の貧困)が始まったと指摘する。そして、緊縮財政によるデフレが日本の自死の背景にあると主張し、土木業界への金の流れを主張した。この人の主張は、滅茶苦茶と言って良い。
3)言葉もしっかりしたよくできたブログであり、従って十分信用できると判断した。
1)米朝会談が近づいているが、金正恩は核を放棄しないし、できないだろう。仮に米国と完全核放棄を約束して実施すれば、北朝鮮国内の政治力学の結果として金王朝は滅びるだろう。その地位を確固たるものにするために、金王朝がその象徴として核兵器を開発し保持した事実を重視すべきだと思う。
 
一般に核兵器でも何でも、部分的であってもオープンな空間での拡散は必然である。実際、鉄器も鉄砲も、世界に拡散した。ある地域で、その拡散したものを再び平和裏に局在化させるには、権力によるエネルギー行使が必要である。諸国家に広がった核兵器の場合、“世界政府の警察機構”による力の行使が不可欠だろう。
 
従って、北朝鮮の核保持によって高まった政治的リスクの解消について、韓国や日本なども巻き込むような悲劇的な事件に繋がる可能性の少ない現実的な方法は、米国など国連の常任理事国を始めとする国際的に指導的立場にある国家が、以下のような合意をすることだと思う。それは、全ての一定の資格をクリア出来た国家に、“基本的国家の権利”として核保持を認める合意である。(補足1)その“一定の資格”とは、核兵器を平和的に維持管理できる中央政府の能力である。
 
核兵器でも何でも武器は、攻撃のためであると同時に防御のための道具でもある。北朝鮮が、国家としての独立を確保すべく、武器開発を行ったこと自体は自然であり、その権利を侵害する“権利”は他国にはないと思う。(補足2)
 
国家が他国の侵略を防止する為に武器を持つことは、各人が暴漢に襲われたときに反撃可能なように体を鍛え、且つ、各戸が戸締まりをして一定の防御具を置くことと等価である。しかし、社会に「公という権威」とその権力が発生したときには、その防御具を軽く出来る。防御具を全廃するのは、豊かで平和な世界と、速やかな警察力が行使出来る背景が必要だろう。
 
一般に非武装があり得るとしたら、世界政府が出来て地球上に平和が達成された場合である。非武装を平和の為の方法だと、ある政治家が宣伝したとする場合、その政治家が低知能の極限にあるか、その言葉が悪巧みの手先であることの表明である。
 
 以下繰り返す。力づく以外の方法で北朝鮮など各国から核兵器を無くすることは、世界国家的な公権力が出来るまで不可能である。核兵器は、金王朝のシンボルであるから、核兵器全廃を宣言し且つ実行すれば、金王朝は潰れるだろう。その直前には、核兵器を管理する能力がなくなり、日本の米軍基地所在地が、核の標的になる可能性があると思う。
 
 
2)国々が夫々独自の文化を持ち、固有性(identity)を保って地球上に存在する前提では、非武装主義は偏った宗教であり平和の敵である。非武装中立は、良からぬ目的をもった勢力の政治的プロパガンダのセリフである。それは治安の悪い土地で富を保有しながら、防御の為の道具や武器を持たないことを表明する行為と同じだからである。
 
平和を愛するスイスの人たちが永世中立を宣言すると同時に、スイスという国家は武装し、各戸が核シェルターを備えることは論理的に整合している。しかし、核の恐怖から逃れる目的で、各戸に核シェルターを備えるのは、非効率且つ不完全である。頭上で核爆発が起これば、被爆者に対しては多少の延命効果しか無いと思う。前のセクションで述べたような取り決めがあれば、スイスはいち早く核武装するだろう。
 
一方、日本の非武装平和主義は、国際社会が国家に基本的権利を認め、国際間の争いの極少化にその基本的価値を置けば、国際的お荷物の筈である。勿論、日本が将来滅びることを、国際的な暗黙の了解事項と考えるなら、日本国のその政策は称賛されるだろう。ここで、国家の基本的権利とは、「国家の独立、存続、そして反映を追求する権利」である。
 
日本国は、日本国民の将来の安全と福祉のために、そしてアジアのお荷物にならないように、政策を改めるべきである。そして世界はそれを認めるべきである。日本国民は、核兵器を道具と考え、それと同居するために核アレルギーを克服すべきである。それは、外に出て春を楽しむために花粉アレルギーを克服するのと同様である。
 
日本国が核アレルギーを無くし、一定の核抑止力を何らかの方法で実現すること(補足3)、そして北朝鮮の中距離核までの保持を権利として認めることが、この地域に政治的安定をもたらすだろう。そして、平和条約を締結することが、拉致被害者の帰国を実現する唯一の道であると思う。
 
また同時に、米国、中国、ロシアを含む国際社会からは、異常で不安定な状態にある、韓国、北朝鮮、日本、台湾からなる東アジアの4つの国に対して、その“国家の基本的権利”を回復する様に、援助と理解がもたらされれば良いと思う。それが世界的混乱を事前に防止することになり、国際的な利益となると思う。
 
 
3)核兵器を発明してしまった人類が、どのようにして平和を維持するのかという問題を考えた場合、その被害を最小にするための方法は上で述べたように世界政府を作り上げることだと思う。
 
 強力な武器の発明により、一つのオリジンを持つ権威と権力の及ぶ範囲が拡大したことは、人類の歴史の基本的なストーリーである。(補足4)その視点でみれば、核兵器は世界政府と共存することで、やっと安定的に世界政府の倉庫に収めることが可能となる特別な兵器である。
 
ある国の資本家が抱く“思索の崇高な部分”に、政治のグローバル化つまり世界政府の実現がある。そして、経済のグローバル化とそのための人の移動が進められたのは、その下部構造(唯物弁証法的概念)の発達のためだと主張されるだろう。
 
しかし現在のところ、それを推進する人たちのみが巨大な純資産を蓄積する富者となり、それ以外は貧者となった。その結果、世界は混乱の入り口にある。それは、上記思想が自分たちの利益のために作り上げられた不完全且つ偽りのモデルだからだろう。それは、元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏の主張する通りだと思う。
 
彼らが、世界戦争なしに、政治のグローバル化つまり世界政府的組織を実現したいと思ったのなら、急速な経済のグローバル化と人の移動の自由化は悪い選択だと思う。貧富の差の拡大と異文化の人たちの混住は、国内政治を混乱させ急進的ナショナリズムを喚起するからである。
 
世界政府が出来上がった場合でも、恐らく国家という枠組みが自治政府の枠組みとして残る筈である。現在のグローバル化は、その前に国家の障壁を破壊する可能性がある。その後には、世界政府という秩序ではなく、世界的混乱が残るだろう。
 
世界政府樹立には、独立した国家間の同盟関係を世界に広げることと、世界に拡散した戦略兵器の一元管理を実現することが重要な部分だと思う。その原始的な形は既に国際連合やその周辺機関として存在する。その発展には、加盟国特に常任理事国の意識改革を始め、広い範囲での国連の改革が必要だろう。
 
ある特定の国に対する核廃絶の要求は、その国にしかるべき受け皿が用意されない限り、単に局地的に歴史の逆流を目指すことである。それを無理矢理実現したときには、多大の犠牲者がその国とその周辺国に出る可能性が高いと思う。その選択は愚かだと思う。それよりも、その地域(つまり極東アジア)全体での核兵器のマネージメントの問題と考えるべきであり、北朝鮮の核問題の緊迫化は、現在がその時期であることを示していると思う。
 
以上は、国際政治に素人である人間の私的なメモです。前提は、世界の中心的な国家の指導者の方々に善意と誠意が存在することです。批判等議論いただければ幸いです。(11:00 編集)
 
 
補足:
 
1)一定の資格を満たさない国、つまり核兵器を乱用する可能性のある国には、核保時を認めるべきではない。その判断には、世界的な権威の樹立が必要であり、それには、国際連合を世界国家に育てるのが一番の近道である。
 
2)米国が中距離核の全廃条約を破棄したのは、米国の主張の通り核兵力の分布がアンバランスになったのなら当然である。
 
3)差し当たり、日米同盟の新たな緊密化と石破氏の言う非核三原則の放棄である。そのセットで東アジアの安定に寄与できるのなら、米国には協力してもらいたいと思う。
 
4)強力な鋼の剣や火縄銃の発明は、大きな領域の部族や城郭都市の範囲に及ぶ権力を作った。連発式ライフル銃、大砲、軍艦などの武器の発明は、単一根源の権力が支配する範囲を城郭都市レベルから国家という枠組みまで拡大した。ミサイルとそれに搭載可能な核兵器の発明は、それに相応しい権力とその広い支配域を確立していない。それが、現代の世界である。その様な場合、米国が個人に銃保持を認めるように、国家が暫く核ミサイルを保持し管理する体制を持たなければならないだろう。