1)言葉の定義:


愛国心を和英辞書で調べるとpatriotismが出てくる。https://ejje.weblio.jp/
似た単語にnationalismもある。前者は、自分の民族或いはそれが形成する国家を支援する心情である。後者は、自分の帰属する国家の独立や発展を主張・強調する政治的な思想である。なお、それらで特徴付けられる人は、それぞれpatriot及びnationalistと呼ばれる。


両者は、上記解説でも推測できるのだが、混同される場合が多い。そこで、これらを分別定義し、それを手掛かりにして、愛国心について考えて見たい。何れにしても今対象にしているのは、直接統治者の感覚ではなく、(選挙以外の時には)被統治者である者の感覚である。

Patriotismとその名詞形のpatriot(愛国主義者)は、父性paternityと語源を共にする。つまり、patriotism は血縁や地縁の共同体への愛着を意味する。従って、その発揮には、歴史的考察や合理的思考は必須要件ではないだろう。一方、Nationalismはもっと大きな国家という利益社会にたいする帰属意識と定義する。その有効な発揮には相当の知的作業も要求されるだろう。(補足1)

Nationには民族という意味も辞書にはあるが、Nationality=国籍、Nation=国民と考えることにする。そう考えると、米国のような多民族国家でもNationalismを愛国心として定義することが可能である。以上から、国家組織との関連での愛国心をNationalismとし、Patriotism を民族への愛着と支援の心情とそれぞれ定義する。

その様に考えると、熱烈なパトリオティズムは自然に存在し得るが、熱烈なナショナリストと言う言葉には多少違和感を感じる。自然に存在するのは、せいぜい熱心なナショナリストだろう。勿論、ナショナリズムはパトリオティズムの延長上にあると考えるのが妥当だろう。

西欧の国々は、市民革命を経て、国民主権の国家を建設した。民族と国家の線引きが概ね一致する場合、これらの国民国家ではナショナリズムとパトリオティズムの概念的区別は上記のようにできても、その境界は明確ではないだろう。一方、国民主権が完成していない国、例えば専制国家などでは、パトリオティズムが存在してもナショナリズムは育たないだろう。(補足2)

今回の定義では、ナショナリズムには国民主権の国民国家(Nation State)の形成が、その健全な発生の条件となるだろう。以上のような定義と言語的感覚でナショナリズムとパトリオティズムという用語を用いる。(補足3)

2)日本のナショナリズムについて:

上記定義により、「国家の主人公は自分たち国民(或いは民族)である」という意識によりナショナリズム(愛国心)が生じる。そして、現在の国家組織が自分たち国民の意思と責任により形成されていると信じる場合、その国家のために自分たちが何らかの具体的貢献をしたいという気持ちは自然に発生するだろう。それは、正常に存在するナショナリズムの姿だろう。特に愛国心醸成を目的とした教育など必要ない筈である。

このような意味で我が国に、ナショナリズムが存在するだろうか? 私は、NOだと思う。何故なら、日本国民のかなりの部分は、自分たちが日本国の主人公だとは実感していないからである。日本には、未だ支配層と被支配層の分断が残っている。その分断を感じない人も多いだろうが、日本の政治は世襲の政治屋、つまり政治貴族たちが担当していることがその証拠である。


日本の政治貴族たちは、一票の格差と地方の利益に直結した小選挙区制という国政選挙にふさわしくない選挙制度で、その身分を守っているのである。どのような専門職でも、世襲を続ければその質は低下する。実際、日本の政治家には基本的な地理の知識や漢字の知識のない知的レベルの非常に低い者が多く含まれる。

この日本の政治形態は、中国の政治形態に幾分似ている。つまり、産まれながらの身分で分断された国家、政治貴族(中国では共産党員の上層部)と一般民とに分断された国家である。(補足3)ここで政治貴族とは、明治の政変で権力を得た勢力と、その人脈が開発した支配層である。(補足4)


政治家になるには主に二つの道がある。一つは、政治家秘書になり日本のドブ板選挙などの政治活動を実地に学ぶのである。(補足5)政治家の家系にある人は、この経路で政治家になる。もう一つは、芸能人やスポーツ選手などマスコミで有名になれる職からの転身である。彼らは政治的新貴族と呼べるだろう。

それらに対する一般民の反感は、たまに日本中に新しい政治を望む声として膨らむ。そして生まれたのが、日本新党ブームでの連立政権や民主党政権などである。しかし、それらは見事に潰される。その方法は簡単で、官僚のサボタージュであったと思う。政治家は官僚の助けがなくては、国家の運営ができないのである。

国家の政治には利権がつきものである。官僚には、政府系団体への天下りなどの利権を与えると言う暗黙の了解とその継続的信頼感が、現在の与党の政治を支えているのである。もし野党が政権をとった場合、算定済みの利権が失われる可能性があり、それを恐れた官僚たちはサボタージュを暗黙の了解の一つとして行うのだろう。

森友学園や加計学園の時に話題になった官僚の忖度は、その暗黙の了解事項を官僚側が実践したに過ぎないのである。

3)パトリオティズムは政治に混乱を持ち込む:

現在、我々は西欧政治文化の中に生きている。ナショナリズムやパトリオティズムも、その中の言語表現である。そして、西欧先進国のほとんどは、市民革命を経て国民国家を建設した国々であり、そのプロセスを経て世界の主要国つまり欧米の政治は動いている。


その文化を吸収しようと努力したアジアの国として、先ず日本がある。また、その日本からの影響をうけで、同様の政治システムをとった国として、韓国や台湾がある。過去の戦争の結果として、独立を果たした多くの国々も、現在では同様の政治システムをとっている。インド、マレーシア、フィリピン、インドネシアなどの西欧の植民地であった国々などである。

それら全ての国で、同じく国民主権の国民国家を看板にしても、その政治制度は様々に変形されているだろう。日本については、前のセクションで書いた通りである。また韓国では、ナショナリズムというよりも、反日と対を形成するパトリオティズム的な愛国主義が非常に強いようである。日韓問題の異様さは、どちらにも国民主権国家の正常な成立が無いことが背景にあるように思う。(補足6) 

多民族国家の場合、その民族毎に複数のパトリオティズムが存在し、何らかの機会にそれらが大きくなる可能性がある。そのパトリオティズムが、ナショナリズムよりも明確に前に出れば、国家の政治に混乱を生じるだろう。米国にはそのような危険性があると思う。米国は、多民族国家の弱点を克服すべく、人権、自由、法治、などの理想主義的原則を強く表に押し出すことでナショナリズムの醸成を行ってきた。(補足7) 


しかし、トランプ政権になって、パトリオティズムが目立ってきているように思う。世界第一位の経済力と軍事力を持つ限りにおいて、パトリオティズムによる混乱は避けられるだろう。しかし、そうでなくなった時、米国は混乱の時期を迎える可能性があるような気がする。それが、中国叩きを本格的に始めた大きな理由なのだろう。つまり、世界覇権のない米国は、混乱と分解の危機を迎える可能性があると思う。
 
今回、素人であるにも関わらず、自分の理解のためのメモとして、上記文章を書いた。その前提で参考にしていただければ幸いです。玄人筋の方のコメントをいただければなお幸いです。 

(17:50編集;8月18日午後、小編集)


補足:

1)機能体組織と共同体組織という用語は、以下の翻訳語である。ゲゼルシャフト(Gesellschaft、ドイツ語)は、機能体組織、或いは、利益社会の意味。その対概念がゲマインシャフト(Gemeinschaft)であり、共同体組織を意味する。


2)中国人民の90%以上は一般民であり、共産党員ではない。彼らが現在の国家体制に愛着を感じる筈はない。しかし、中国の大地と地域や共同体には愛着を感じる筈である。それらは従って、パトリオティズムに分類されるだろう。 https://www3.nhk.or.jp/news/special/cpc2017/article08.html


3)日本は立憲君主制のように見る人が多いが、天皇にはオリジナルな政治権限がないので、議会制民主制度という国民主権国家である。英国の場合は、成文憲法がなく、よくわからない。現在の女王に政治的実権があるとは思えない。日本に近いのではないだろうか。筆者な素人なので、この辺りの詳細はわからない。ただ今回の話には、これら詳細は話の筋にそれほど重要な影響を及ぼさないと思う。

4)第二次大戦で惨敗したにも関わらず、日本は明治の体制の一部変更で戦後を迎えた。その背景には、米国のエゴイズムと結託した日本の政治貴族とその組織に組み込まれた官僚組織があった。

5)国会議員に地方と中央政府との連絡役的性格を持たせることで、与党政治家は継続的に議席を確保している。そして、一票の格差を大きくすることで、大都会に流入した知識層の国会への進出を防止している。詳細は:中川一郎の死の謎(2)とドブ板選挙:日本の政治文化
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

6)なお、若い人たちは、意外と冷静に現在の日韓問題を考えている。非常に面白いサイトがあったので、引用させてもらう。<a https://www.huffingtonpost.jp/entry/japan-korea-relationship_jp_5d521439e4b0cfeed1a2081c


7)その理想主義が、どのように米国を含む国際政治に影響しているのか、或いは、利用されているのかも米国を見る上で重要な視点だろう。

1)日米戦争の末期、F・ルーズベルトは、日本を倫理的に非難するシナリオをどう作るか考えた。その中で旧日本軍の残虐行為については、南京大虐殺の捏造などで行うことになるが、不十分に感じた。それは、自国米国には奴隷制度があったからである。そこで、カイロ会談において、日本は朝鮮半島を植民地化して、朝鮮人を奴隷化したという話を捏造し、それを歴史上に定着させるための戦略を考えた。 これは高山正之氏の解説である。https://www.youtube.com/watch?v=a1wnypnVgeg

高山氏によると、GHQ発足後直ぐにそのFルーズベルトの考えに基づいた政策が実行された。はじめに、占領政策をスタートするにあたって、GHQは在日朝鮮人に対して今日は奴隷解放の日だと発言した。

そして、マッカーサーが厚木に到着して一ヶ月後の1945年10月15日に、在日朝鮮人を指導して、在日本朝鮮人連盟(補足1;朝鮮総連や大韓民国民団の母体;以下CHO連盟)を結成させた。その設立時、CHO連盟は、我々は戦勝国側であり、奴隷扱いした日本人にその行為の意味を知らしめるのが、我々の義務だと言い出した。そして、自分たちを戦勝国側の人間とし、連合国側の特権を持つと主張した。(補足2)

当時連合国側の犯罪に対して、日本は逮捕権も裁判権も持たなかった上、それらに関する連合国側に不利な報道は、検閲の対象となり出来なかった。その特権を彼らは主張し、そして、GHQも朝鮮人に対し連合国側の人間と同じ特権を与える旨の発表をした。

その結果彼ら在日の朝鮮人や韓国人は、終戦後の混乱が続く日本国内各地で暴行・略奪・窃盗などのほか、官公署に対しても横暴な態度と不当な要求・建築物の不法占拠などを行った。更に、汽車、電車、バスなどの不法乗車、更に、人民裁判などを引き起こした。数々の予想を超えた事件を見たGHQは、1949年9月8日、団体等規正令の「暴力主義的団体」として解散を命じた。(補足3)

CHO連盟の解散により、治外法権的権利の根拠を失うことになるので、それは怒った在日朝鮮人たちによる裁判所の襲撃などの原因となった。(武生事件など)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2)以下、高山氏が紹介した幾つかの事件を、ネットなどで調査し、簡単にまとめる。

①直江津駅リンチ殺人事件:

1945年12月29日午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客(当時29歳のセールスマン)に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。

列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。

警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した。犯人は3人とも朝鮮人で、戦時中は工場に勤務していたが、終戦後は闇米ブローカーに転身した。事件当日も農家から米を買い集め大阪方面に売りに行く途中であった。

犯人の朝鮮人3人は殺人の容疑で検事局に送られたが、まもなく逃走し行方知れずになったため、司法で裁かれることはなかった

②富坂警察署襲撃事件:

1945年12月30日、警視庁富坂警察署は管内で発生していた連続拳銃強盗事件の容疑者として在日朝鮮人3人を逮捕した。当時の富坂警察署は戦災で焼失しており、小石川国民学校の校舎を間借りしている状態であったため、3人の容疑者は警視庁本部と大塚警察署の留置場にそれぞれ留置されていた。

翌1946年1月2日、容疑者のひとりを富坂警察署へ護送して取り調べた後、署内の留置場に留置した。

1946年1月3日正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。

危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。

在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した。その後警視庁は、全力をあげて事件の捜査にあたったが、終戦直後の混乱もあって逮捕には至らなかった
 

③坂町事件:

終戦直後より在日朝鮮人や在日中国人は、取締権限の不明確さに乗じて公然と日本の法律を無視し、食糧管理法に反するヤミ米の流通・販売などの経済統制違反を繰り返していた。新潟県北部では、「在日本朝鮮人連盟」が新発田市に事務所を置き、羽越本線坂町駅を中継基地として、ヤミ米を関西方面に出荷していた。当時、1日あたり50俵が坂町駅を経由したといわれている。

1946年9月22日午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。

この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。

その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。

軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された。検挙された12人は新潟軍政部に移され、取り調べを受けたが、新潟県外への追放とヤミ米の買出しをしない旨の誓約書提出だけで全員釈放された。またこの事件を報じた報道機関が、朝鮮人に破壊活動を受ける新潟日報社襲撃事件へと発展した


3)現在、日韓関係は最悪である。例えば徴用工裁判では、日本側は日韓基本条約と付属する日韓請求権協定で解決済みと主張している。その主張に合理性を察した韓国側は、そもそも日韓併合の違法性である。朝鮮半島は、日本帝国主義の植民地となった。そして、徴用工は奴隷として働かされたのだと主張している。


それは、本来戦争などしたくなかった米国市民を騙し、起ち上がらざるを得なかったのだというルーズベルトの対日戦争正当化のシナリオに原点がある。そのための歴史的捏造の一つが、朝鮮半島の植民地支配と朝鮮人の奴隷化であった。他にも、慰安婦問題の捏造は、米国の支援で米国を中心に行われた。韓国は国際機関でのロビー活動が一流だという説があるが、それは米国支配層(馬渕睦夫氏のいうユダヤ金融資本の人達だろう)の支援があってこそ発揮可能な能力だろう。(補足4)

その戦略をそのまま利用しようとしているのが、現在の韓国文在寅大統領だろう。そして、目指すのは、中国、ロシアと協力して、戦勝国側に自分たちを位置付ける歴史の捏造を行い、三つの国と日本との間の講和条約の書き直しだろう。

露中韓の三国による国際会議「東アジアにおける安全保障と協力」で中国外務省付属国際問題研究所の郭副所長が、明らかにした戦略に韓国側から協力しようと考えている筈である。その動きまで注意して日本は視野に入れなければならない。

しかし、現在の日本の陣営では、このような大きな戦略的考察のできるひとはほとんどいない。岸田や石破、それに、小泉まで総理候補になっている日本は、この線上を進むのなら、壊滅する日は近いだろう。

補足:

1)全国各地の代表4000人が集まり、金天海が最高顧問に、韓徳銖(後の朝鮮総連議長)が、神奈川県本部委員長に就任した。


2)サンフランシスコ講和条約の時に、韓国は戦勝国側としての参加を要求したが、拒否された。もし、それまでCHO連盟が大人しくしていれば、その要求が受け入れられたかもしれない。


3)在日本朝鮮人連盟は、日本共産党の尖兵となったという記事がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E9%80%A3%E7%9B%9F


4)ジム・ロジャーズは明確に、日本の消滅と韓国の隆盛を予想している。それは単なる予想ではなく、切なる希望だろう。https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20190516028/

 

(8月13日午前編集あり)

下記は、以前「知的能力について:」と題して、2015年9月17日に投稿した文章を改訂したものである。元々ヤフーブログの中で相当閲覧されていたのだが、ヤフーの廃止により検索にかからなくなった。従って、その再録を目的とし、若干の修正とともにアップロードする。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/09/blog-post_17.html

 

1)人間の知的能力には多くの面があるが、それらは例えば、1。記憶力、2。論理・分析力、3。想像力(及び創造力)、4。直感力、5。空間的時間的感覚、6。美的感覚、などだろう(補足1)。知的能力は、生命体としての能力の一つであり、従って生命力の一側面であると思う。 

上記6つの側面は思いつくままにリストアップしたまでであり、他にもいろんな組の捉え方があるだろう。また、更に何種類かの能力に細分されるだろう。例えば記憶にも、概念の記憶、事項や事実の記憶、図形・パターンの記憶、論理の記憶、感覚の記憶などがある。更に、脳の記憶場所によって長期記憶と短期記憶に分類される場合もある。(補足2)

また、記憶された情報について、分別及び階層化する能力と総合&統合する能力なども重要な別次元の記憶能力である。つまり、雑然とした情報の倉庫と整理整頓された倉庫では、情報抽出や情報操作(脳内での情報の演算など、補足3)の能力に差がでるだろう。これらは、分析力や直感力と重なる部分だろう。

他にも、論理の記憶は、論理展開の能力と重なる部分である。このことで解る様に、知的能力はある種の多次元空間での情報の貯蔵と抽出、想像や創造、個体内および個体間の伝達などの能力と言える。つまり、知的能力は”多次元のベクトル空間(補足4)を張る”とでも言えるだろう。

6番目に美的感覚と書いたが、これは、生命力と知的能力の境界に位置する重要な能力である。自己の生命にプラスになる部分を美と認識し、マイナスになる部分を醜と認識するのだと思う。この美醜の定義は、芸術(美術)の美醜とは異なる。芸術で良し(美)とする基準には、思想や道徳などの価値基準も含まれる場合も多いからである。

知的活動のための情報収集は、感覚器と神経系、更に脳の記憶領域からの引き出しにより行われる。それらの処理と最終的な出力すべき情報の組み立てと円滑な出力までが、知的能力だろう。

これらの知的能力にも、生命体固有の能力の部分と、文化により調整される部分があり、それは上記美的感覚と同様だと思う。

2)脳のエネルギー源は体液循環供給された糖分と脳内代謝であるから、知的能力は年齢や健康状態、更に、日々の生活の様子により相当異なるだろう。

従って知的能力には、生まれた時に持つ潜在能力(あるいは生来の能力)に、これまでの知的活動により蓄積された情報が関係する二次的(副次的)な部分が加わる。教育は、この副次的な知的能力を追加するプロセスである。

人は、生命維持(社会の維持も当然含まれる)と再生産(子供を産み育てること)を能率的に行う為に、様々な能力を使っている(つまり行動している)。知的能力は、その行動の方針を脳内で組み上げて、準備する能力である。

知的能力は、自分自身と他の生命体(社会も含む)、そして自然などの周囲・環境に働きかけるための作戦を立てる能力である(補足5)。

それらを実行する能力として、目や耳などの感覚器を使った社会や環境の状況を把握する能力、更に顔の表情と口舌を使った対話・説得能力、四肢を使った運動能力などが付け加わる。これらすべてが総合されて、人間の能力を成す(補足6)。

結語:常々思うのだが、最近テレビでクイズ番組が多く放送されており、クイズ専門の芸能人も多い。その状況を見ると、日本の現代は非常に貧弱な文化の中にあると思う。その中で中心的な活躍をし、半ばスターとなっているのが、最高学府(T大学)の学生たちである。彼らを見ると、日本の将来は本当に暗いと思う。それに協力している大学の某教授(T大卒でM大教授)には、腹立たしさを感じる。青年よ、大志を抱けと言いたい。

 

補足: 

 

1)知的能力を鍛えるのが学校であり、途中の成果を試験するのが大学入試だとすると、それらの現状が如何に不完全であるか解るだろう。特に入試では、主に最初の二つの能力をテストするに過ぎない。

 

2)コンピュータも短期記憶と長期記憶を区別して設計されているだろう。つまり、CPUからアクセスの早いメモリと、ハードディスクのようにアクセスの遅いメモリである。用途的には、ネット閲覧の際のキャッシュなどは短期メモリに入るのだろう。

 

3)例えば、誰かに必要な情報を提供する際、情報のパッケージを脳内で作り上げる必要がある。さらに、記憶を強調し直したり、逆に忘れたりすることも必要である。そのような情報に関する脳内での操作一般を示す。

 

4)ベクトルとは長さと方向を持った量であり、矢を思い浮かべれば理解できる。我々が生きる物理的空間は、x軸、y軸、z軸の3つの方向があるので、3次元ベクトル空間といえる。

 

5)自分自身に働きかける行為として、学習や休息・娯楽も含まれる。

 

6) 上記はロボットを思い浮かべて書いた文章かもしれない。内臓コンピュータは、CPUと記憶装置、更にそれに組み込まれたベーシックソフトで構成される。アプリケーションソフトは、記憶装置に貯蔵され、必要に応じてCPUに近いメモリにロードされる。人間の築いた文明は、自分の体の作りや自然を、別途再構成することなのだろう。