このウイルスとそれによる病気のデータが一番多いのは中国であり、現在この病気について一番良く知っているのは中国保険部だろう。その中国が武漢から遠く離れた都市でも、外出制限を厳しくしだしていることに注意が必要である。

 

例えば、武漢から1000km離れた重慶でも、2月8日ごろから、各家庭の中から二日に一度しか外出の許可証をもらって、買物に行けないという。そして、中国だけが可能なのかもしれないが、リアルタイムで感染者の発生位置の地図をネット配信しているようだ。その程度の厳重な管理がなされているのが中国大都市の現状である。

 

 

 

一方、日本では感染率、更にこの病気での致死率が低いということで、それほど神経質にならないでも良いのではないかという論調の意見も聞かれる。未知な病気に対決しているという緊迫感のない対応では、禍根を残す事になりかねないと思う。(https://www.youtube.com/watch?v=w6mgfVX2ApA&lc=z23nh52hgviwulsxb04t1aokggxqa0r3e0dhfvlczwgybk0h00410 でのmoh korigoriのコメント参照)

 

今日、横浜に接岸しているダイヤモンド・プリンセス号での感染者数が3桁になり、そのウイルスの伝染力の高さが証明されてきている。テレビで中国保険部が、このウイルス肺炎はエアロゾル感染で広がると発表したと言っていた。つまり、この新型肺炎は空気感染(エアロゾル感染を含む)で広がるのだ。空気感染や飛沫感染と分けて、エアロゾル感染なる言葉を新たに定義する必要などないと思う。菌或いはウイルスがホコリなどに付着して空気中を彷徨い、それを吸った人に感染するのである。患者が以前に居た室内で、同じ空気を吸っただけでも感染するという点で、通常の空気感染と同じだからである。(補足1)

 

もし、エアロゾル感染の意味が、患者が排出した飛沫がゾル化し、患者が居なくなっても暫くの間だけ浮遊する比較的大きな粒子で感染することだというのなら、通常の空気感染よりもマスク着用はかなり有効だろう。各自が漏れの少ないマスク着用を心がけるべきだろう。マスクの中でも、N95というタイプのものは、非常に有効だというから、外出を余儀なくされる方は、入手すべきだろう。(補足2)

 

また、上記のような感染なら、クルーザーのような限られた空間に多くの人を閉じ込めるのは、感染していない人でも新たに感染する確率が非常に高くなる。従って、例えばオーストラリア政府などが行っているように、離島の一部に仮設住宅を建てて収容するなど(そこに数人ごとに分けて収容する)、人口密度を下げる方法を考えるべきである。少なくとも、新たに換気装置をつけるとか、頻繁な換気に心がけるべきである。

 

追補:ここでは空気感染を重視すべきと書きましたが、その後の専門家の意見から、やはりその可能性があまり大きくないに訂正します。つまり、非常に小さい飛沫でも感染するというのが、中国のエアロゾル感染という考え方だと思います。(2月15日

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200215-00163137/

 

補足:

1)エアロゾル粒子の大きさとか、患者から排出後の病原体残存期間などで分類可能だろうが、そんな分類はあまりされていないと思う。要するに、患者が咳などで排出する飛沫よりも小さく、空気中に相当期間浮遊し、患者の居ない空間でそのウイルスを含んだ粒子を吸収すれば感染するということである。両方とも、ウィキペディアの「感染経路」の中の、飛沫核感染にあたる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%B5%8C%E8%B7%AF

 

2)結核は空気感染すると言われる。その空気感染とは、菌が患者の呼気に排出されて、それにより感染するのではない。やはり咳やクシャミにより排出された唾液などに混じった菌とホコリなどが乾燥後も浮遊し、それを吸って感染するのである。https://jata.or.jp/rit/rj/nakajima.html なお、微粒子が多数空気中に浮遊する状態をエアロゾル(Aerozol)というのであり、単位体積あたりの個数などの定義は無い。(エーロゾル或いはエアロゾルについては、岩波「理化学辞典第三版」による。)

中国関連の評論家の河添恵子氏は、武漢肺炎ウイルスは武漢P4研究所から何らかのルートで漏れ出たものである可能性が非常に高いと、西欧では考えられていると言っている。つまり、武漢市の対応が遅れたのは、北京が隠蔽の方向を選択し、情報の公開の許可を出さなかったからだというのである。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=FnH_8iNbc28

 

河添氏は、新設の病院もプロパガンダのためのものだろうと言っている。少なくとも病室一つは設備を完備して、様子を世界に配信するためだろう。この種の考え方は対中国では常識的だが、日本のテレビはその考え方で情況を紹介しない。新聞にも裏にありそうなことは何も書かれない。日本も中国同様、情報が封鎖されている国のようだ。以下は、ちょっとだけ検索して出てきた欧米系の報道である。

 

ガーディアン紙によると、Zhou Xianwang(武漢市長)は、中国中央電視台のインタビューに答えて、初期の段階で適切な情報公開と適切な対応を行わなかったと非を認めている。そして、世論が望むなら辞任しても良いとしながら、「地方政府が情報を完全公開するには中央の許可が必要である。(許可を求めたが)中央の姿勢は他の件に比べて厳しいものだった。」と指摘した。

 

Zhou Xianwang wore a mask for protection as he told the Chinese state broadcaster CCTV: “We haven’t disclosed information in a timely manner and also did not use effective information to improve our work.”

He said he would resign if it helped with public opinion but pointed out the local government was obliged to seek permission before fully disclosing information about the virus, and that their response had since become “tougher than others”.

https://www.theguardian.com/science/2020/jan/27/china-coronavirus-who-to-hold-special-meeting-in-beijing-as-death-toll-jumps

 

上記河添氏の動画にあるように、中央政府が恐れたのは、生物兵器として開発していたウイルスが何らかの形で漏れた可能性であり、それが事実でありその詳細が世界に知れ渡ることだろう。その場合、習近平政権が非常に厳しい情況に追い込まれるからと推測される。

 

シンガポールの英字新聞のThe straits timesも、上記武漢市長の表明を紹介したあと、武漢市共産党幹部Ma Guoqiangの意見として、「もっと早く封鎖措置をとっていれば影響が小さく抑えられただろう」を掲載している。

https://www.straitstimes.com/asia/east-asia/wuhan-mayor-says-containing-virus-still-a-severe-complex-task

中央政府も、その意見に同意しているが、武漢の市長をトカゲの尻尾切りに使うための準備だろう。

 

米国WALL STREET JOURNALも同様に、上記の武漢市長のコメントが、李克強首相が市内に到着して感染した患者や医療従事者に会ってから数時間後に、州のテレビネットワークで放送されたと書いている。

https://www.wsj.com/articles/chinas-premier-tours-virus-epicenter-as-anger-bubbles-at-crisis-response-11580109098

 

最初に武漢でこの病気の蔓延を指摘した医師8名は、当局により拘束され、その一人は中国の英雄として、亡くなった。(この件の及川氏の動画:https://www.youtube.com/watch?v=uTU0EEf1mOc)今日の妙佛DEEP MAXではこの辺を上手く解説している。

 

 

今日は気分が優れないので、中途半端だが、ここで文章を閉じる。

(午後6:00、一部追加と編集)

 

補足:

生物兵器は今後の国際紛争において、非常に有力な武器となるだろう。うまくやれば、自然発生の病気として、一つの島国の人間を完全に殺してしまう事が可能である。鍵は、強い伝染力と高い致死率、そして外部環境で簡単に死滅するウイルスだろう。半年もすれば、ウイルスは完全に無くなり、移住も可能になる。核兵器ならどこが攻撃したかは明白だし、国際的非難の嵐に耐えなければならない。それに、半減期が長い放射性物質が移住を困難にする。

朱 成虎(しゅ せいこ )は、国防大学教授で中国解放軍少将だが、日本人などを将来核兵器により全滅させることも考えるべきだと言った人である。朱さんは、同様の目的達成の武器として今は別のものを考えているだろう。朱氏はその後失脚していない。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E

 

我々が思い出すべきは、南北のアメリカ大陸の原住民の殆どを殺した西欧の武器は、銃や大砲ではなく、生物兵器として機能したコレラなどの病原菌だったことである。(ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」)

以前、3年前の節分に以下の文章を書いた。「今日は」を「2月3日は」と読み替えていただきたい。読み返してみて面白いので再録する。補足は今回新たにつけた。

 

1)今日は節分で豆まきをする日だが、それに加えて恵方巻きの日だそうだ。この変わった新しくできた風習が短期間に広がるような国は日本だけだろう。恵方巻きの風習は、あるコンビニ店が1998年に初めてから急激に広がったという。(ウィキペディアの恵方巻きの項参照)日本中で、ある方角(恵方)を向いて巻き寿司に黙ってかじりつく姿を想像して欲しい。なんと滑稽な光景だろうか。由緒ただしく”恵方巻き”を行う方法は以下のサイトにある。http://xn--365-4k4bodqhlg.com/archives/575.html

 

今日のスーパーマーケットのチラシ(読売新聞に添付)は3枚あったが、その全てに恵方巻きの宣伝が大きく掲載されていた。数年前まではこのようなことはなかったと思う。日本では、近隣が何かをやりだすと、同じことをやらないと不安になるらしい。この風習を奇異に感じるのだが、そのようなひねくれ者は少数派だろう。

 

2)ずっと前の話だが、大都会の公務員住宅に住んでいた頃、子供の体格などを考えてナップサックで通学させたことがあった。交通事故などの危険性がランドセルでは高くなると考えたからである。2ヶ月も経たないうちに、周囲から変な家だと思われたらしく、ある家の奥さんから嫌味を言われた。子供のいじめに繋がっては大変と思い、ランドセルに変えざるを得なかった。何もかも横を睨んで決めるこの国の異常さを示す一例であると以前どこかに書いた。

 

私は、恵方巻きや豆まき、その他の多くの日本の風習に疑問というか不快感を持っている。この種の風習が短期間に広がることに滑稽というより気味悪さを感じる。それは、誰かがある説を唱えると、日本人の多くがそれに容易に従属することを示しているからである。「まあ国民が揃って楽しむことを一つ創り出したのだから、良いではないか」という言葉は理解できるのだが、それはその他の場面で自立した個人の姿が見られる場合に限られる。

 

なぜ横並びになんでもしたがるのか?それは、自分の感覚や能力に自信がないからだが、それを獲得すべく努力する切迫感も持ち合わせていないのだ。そして、現状を受け入れるとか、あるいは周囲に合わせておくと言う“楽な道”を選択する。この国では、目立たないことが徳であり得なのだから。

 

“楽な道”の選択が可能なのは、一応豊かな環境に育ったからである。そして“切迫感がない”のは、その豊かさは祖父などの世代が血を流して得た豊かさであることなど知らないからである。近代史を一切教育されていないので、今の青壮年は世界の厳しさを理解していないのである。

 

自分に能力や感覚がないのなら、それを付けるべく努力すべきである。何もかも、一から自分の考えを組み上げようとするのが、自立した成人の姿である。こちらが恵方だと見知らぬ怪しげな人が自信ありげに言っても、その根拠を自分で考えるべきなのだ。豊かな時代が終われば、その恵方には罠があるかもしれないのだから。(補足1)

 

3)私は無神論者ではない。しかし、既存の宗教を信じる者でもない。ただ、太陽や地球、そして、そこに生きる様々な生物の存在は奇跡であると思う。時間、空間、物質、そして何よりも自分という存在すら自分では理解できないのだから、絶対神の存在など否定できるわけがない。しかし、神が存在したとしても神は我々個人には無関心だと、私は思っている。

 

その一方で、自分以外の人たちが幻影ではなく、自分と同じ人間だとするなら、他の人たちが作ったことは自分にとって判断可能な範囲に含まれると信じる。歳徳神(恵方などを決める)とか古くからあるものでも、人がなんらかの都合で作ったと思われる神や、日本の多くの人格神など全てが、くだらない幻だと思っている。

 

賽銭を投げ入れて、木像や建物に手を合わすだけで、あるいは巻き寿司をある方向に向かって食べただけで、何か良いことが期待できるわけがない。ただし、それを考案した人には間違いなく、金銭的な利益が転がり込む。そんなことをして、そのようなことを企んだ人たちに利益をもたらして、悔しさや腹立たしさを感じないのが情けない。

 

この世界には、自分たちの企みを達成するために適当な情報を流し、巧みに世論を動かそうとする人が多くいる。「注文の多い料理店」(補足2)なら、気付くかもしれない。しかし、注文の数を巧みに減らした料理店なら、我が国の人たちは進んで餌食になるだろう。

 

恵方巻きなんか小さいことでどうでも良いのだが、一言書きたかっただけである。 

 

補足:

 

1)娘が卒業式のとき、殆どの女子学生は袴を着て出席した。父親の私は、それに反対した。多くの同級生が袴で出席する中、娘はスーツで出席することになった。この頃、成人式や卒業式でその種の馬鹿げた習慣が広がっている。私は、そのような”日本文化”が大嫌いである。

 

2)注文の多い料理店は宮沢賢治の有名な短編小説。注文の多い料理店は、森の妖怪が道に迷った漁師を食べるために用意した幻のレストランである。「注文の多い」という言葉には二通りの意味がある。空腹の漁師はそこに入り、泥を落としたりクリームを体にぬるなどの下準備をする。多少変だと思いつつも、それらが格式の高い料理店に入る準備だと相手が期待したように誤解して前に進む。最後の「塩を全身に塗り込んで下さい」という「注文」のところで、自分たちが妖怪の料理店のための材料だと気付くが、手遅れである。食事室の手前で、ナイフとフォークをチラリと見て泣き出してしまう。最後のところで、逸れた猟犬が戻ってきて助けられるのである。