日本は不思議の国である。そして、日本文化にドップリ漬かった人には、その不思議さがわからない。よそ者の視点で書きなぐったのが、この表題の記事である。(補足1)

 

1)大動脈の詰まった患者を見ても、病の本質が理解できない医者:日本の政治家

 

17日からの一泊旅行で、義祖父の49日の法要に参加した。約350kmのドライブであるが、3回ほど休憩をとって5時間ほどかかる。ほとんどは高速道路を走り、休憩は新型コロナと寒いのとで、ほとんど車のなかでとった。

 

不思議に思った最初は、何故、1万円近い通行料を支払うことになるのかということである。往復で2万円ほど取られ、1kmあたりで計算すると30円にもなる。ガソリンは約65リットルだとしても、その消費量は1kmあたり15円ほどであり、その内の5円(リットルあたり53.8円)は揮発油税である。

 

ガソリンへの税金は1957年に施行され、高速道路の建設など道路整備に使われた。日本の大動脈である名神、東名、中央などの高速道路網と新幹線などの交通インフラは、日本の高度成長の礎となり、且つ、財政政策の基本形となったと思う。(素人なので、思うという語尾をつける。)しかし、先進国の仲間入り後は、この種の税と通行料は廃止すべきである(あった)。

 

物流の大動脈に、高額の通行料や揮発油税などでブレーキを掛けて、大きな政府を維持している。それが日本の政治の実態である。現在の安倍内閣は、空っぽの頭の大臣たちで構成され、官僚の人事まで握って中央集権を維持している。(補足2)

 

その内閣が景気浮揚策として探し出した結果が、大都市周辺にカジノを作るという政策である。重病の患者の顔が暗いから、モルヒネで明るくなってもらうという医者と同様である。

 

2)坊主による読経という意味のない儀式

 

2月18日の午前、浄土真宗のお坊さんが来て、位牌に何々院何々居士という戒名を筆書きし、仏壇に納めた。その後、経文を書いた小冊子を各人に配布し、読経が始まった。本には、誰も理解しない、阿弥陀とか南無阿弥とかを含む漢語らしき文章がならぶ。このお坊さんは、親鸞の思想など理解していないことは、葬式のあとの食事の時、ちょっとした会話でわかっている。

 

それでも親族の出席者は、何も考えずに、ひたすら時間のたつのを待っている。読経が終わり、墓に遺骨を納めて、全てが終わった。その後、食事に同席する時間的余裕がないので、帰路についた。

 

スマホに目的地を入力すると、しっかりと道案内をしてくれる。その現代文明の集大成と、坊主の無意味な読経におとなしく付き合う人たちの対照は、井上陽水なら一つの歌謡曲に作り上げるほどに印象的である。(補足1)

 

幼い頃からの経験なら、どのように不思議なことでも、それを(頭脳の)知的活動の対象にしないのが普通の(日本)人なのだろう。私は幸か不幸か、普通ではない(abnormal;補足3)。不思議なことは、ちょっと確かめて見たい性分なのである。

 

親鸞は、「善と悪の別は、日々安全に且つ一定の豊かさの中で暮らす人だけのものである」と、善悪の本質を見抜いた。それは比叡山での修行中の師匠や同輩たち、そして、自分の肉体を含めた自然界や当時の人間界の観察と、法然との会話などから得た結論だろう。その結論と程遠いのが、現在の浄土真宗である。この49日で、その確認をした。


 

浄土真宗は人間個人のための宗教である。それは社会の維持のためというよりも、社会の恩恵から遠いところに居る人間のためのものである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12574303117.html

 

2月11日のブログ記事「疫病と世界史: 帝国の交代は疫病によって起こる」において、引用した動画にあったた”災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を失い、神を失う”という言葉について書いた。ここでの神とは、一神教の神であり、皇帝など社会のリーダーの象徴でもある。

 

親鸞は、鎌倉幕府(1192)ができる時、19歳だった。(補足4)親鸞が浄土真宗を拓いた時の時代の人々は、正にそのような境遇だったのだろう。11日の記事で書いたように、宗教には「人を束ねる宗教」と「自分の死(生)をみつめる宗教」の二つがある。仏教は後者である。

 

現在の日本は、人々は社会の恩恵の中にどっぷり漬かって生きている。「葬式は孫の祭り」であり、その時の坊主の役割は、単に「らしく」振る舞うことである。https://cminority.exblog.jp/11286577/ 

 

現代は、豊かな時代だが本質を喪失した時代であり、人々は何かを明確な目的もなく探す時代である(井上揚水の「夢の中へ」の歌詞)。やがて、その本質を失った社会(世界)からの報復で、辛苦の時代に入るだろう。現代はまさにその入り口である。

 

(13時最終版;16:40語句一箇所修正)

 

補足:

 

1)井上陽水は、日本の生んだ最高の作詞作曲歌手(シンガーソングライター)だと思う。幼い頃のよそ者(父親の転居)の意識と鋭い感性が、本質をえぐるような歌詞と素晴らしい曲を作り出した。勿論、社会に背を向ける姿勢には反対だという意見は正論としてありえる。しかし、正論に対して反正論が出せない民族に発展はない。日本の本質は、よそ者にしか見えないし、改革もよそ者にしかできないのだろう。  

たとえは、「夢の中へ」という歌詞のサイトを引用する。現実と夢の対立の先に、未来があると示唆しているように思う。http://j-lyric.net/artist/a00071f/l008f3e.html

 

2)中央集権化は、安倍内閣が作った内閣人事局で更に強化された。中央集権化と内閣低脳化により、大型クルーザー船を新型コロナウイルス培養装置にした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E5%B1%80

 

3)abnormalのabは離別を意味する。normalのnormは標準や正規を意味する。日本語の「異常」は、その言葉自体に大きなマイナスの意味を含ませている。多分英語のabnormalにも悪い感覚が付随しているだろう。社会での標準化が、言葉の本質として含まれることを示している。それは、言語と社会の平行進化説(私の説)を支持している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12573093932.html

 

4)源頼朝が1192年にひらいたのが鎌倉幕府である。武家が国を治める時代の始まりだった。1192年を「いい国、1192」として覚えるのが、中高生の常識である。教科書にあるのは、知識の乾物である。乾物のまま受け取り、乾物のまま入試で渡す。その後、頭には何も残らないのが、現代の教育である。

1)真実のか弱い叫び

 

国際政治学者の藤井厳喜さんが、遺伝子工学にも知識のある台湾の林博士と討論している動画が配信された。その中で、林博士は今回の新型ウイルスの特徴は、人工的につくられてものであるとしか考えられないと主張している。SARSとAIDSの両ウイルスの特徴を持った生物兵器だというのである。

 

この意見は最初イスラエルの研究者から出て、ワシントン・タイムズが取り上げ話題になった。それは及川幸久氏の動画で1月末に紹介されたと思う。その一つを紹介したことがある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12571133490.html 

 

同じ説の紹介のようだが、藤井厳喜さんからのものは初めてかもしれない。

今日は、この説の紹介が目的ではなく、この説も「トンデモ説」「陰謀論」的な扱いで終わるだろうという予告である。

 

 

そこで、この動画のコメントとして、以下のような文章を投稿した。

 

 おっしゃる通りだろうけど、それは政治的に握りつぶされるだろう。真実と政治の何方が強いか? 昔は真実だったかもしれないが、今日では政治である。米国の秘密、9.11や月面着陸、の真相バラマキを(中国は)やらない代わりに、今回の新型ウイルスを武漢P4研究所が作ったという説は、闇に葬ろうということになるだろう。ワシントン・タイムズが出した説を、すぐにワシントン・ポストが捏造疑惑として葬ろうとしたのは、この情報戦争の端の一片だろう。金や武力で真相を捻じ曲げることは、現代では常に行われていることである。山口組と稲川会が折り合いを付けるとき、真実が座る席はその場に無いだろう。

 

2)「真実」の地位喪失

 

真実の絶対的地位が大きく毀損されたということは、人は互いに情報交換するための言葉を失ったことを意味する。(補足1)世界は、共通の言葉を失い、争いの中で消滅することになるだろう。

 

「善悪なんて、教会に言って喋れ。世の中は力だ、金だ!」それが現代であり、現代とは真実の敗北した時代である。そして、人間界を支配するのは「政治」になり、その政治というのは単に”誤魔化す技術の集大成”に過ぎない。現代は高貴なる人の世界ではなく、半分原始の時代を思い出した俗人の世界である。我々俗人の棲む世界は、残念ながら、「誤魔化し誤魔化される世界」である。

 

例えば、その昔キリスト教圏では、神の「真実の言葉」が支配しただろう。(補足2)その言葉の中心部分に善悪があったと思う。しかし、近代になってキリスト教が廃れてしまった西欧(補足3)では、善悪と真実は分断され、「真理こそ開放された人間の宝」という時代を迎えた。その真理の探求を専門家が行うことで、高度な科学として集大成した。ずる賢い者たちが、その成果を利用して技術を作り、自分たちが先ず豊かになり、その伝搬により人間界全体が豊かになった。

 

この順番は、それ以降現代まで変わらない。近代経済学とリンクして、資本とその増殖という形をとっているだけで、個人が富を独り占めしていることに変わりない。経済学の言葉は、資本を握るものに便利であり、一般俗人には分かり難くするためかもしれない。

 

その結果、真理の集大成である科学も古めかしい価値として、葬り去られることになった。ノーベル賞とは、技術の世界で評価された科学の端くれであり、科学の本質を葬り去る手段となった。「科学技術」とは、異質なものをくっつけた、金と力の世界での誤魔化しの言葉である。

 

補足:

 

1)ここで共通の言葉というのは、共通の言語文化という意味である。例えば、善と悪という言葉は、どの国の言語であっても翻訳すれば、共有できた。しかし、現代ではそれが不可能になった。

 

2)私は古代神道(自然崇拝)信者であり、キリスト教徒でない。神道には経典がないので、仏教かキリスト教しか引き合いにだせない。仏教の本質は「色即是空」であり、宗教というより悲観論的哲学であると思う。そこで、キリスト教を引き合いに出した。批判等コメントは何でも歓迎します。

 

3)「神は死んだ」と言ったのはニーチェだが、ニーチェは言いにくいことを言う勇気があっただけである。勇気がない人は、それを秘密にしているだけである。

 

 

1)薬代の不思議

 

このブログの管理者(筆者)も高齢になり、年に数回病院に行く。その時、投薬を受ける毎に何時も思うのが「薬代の不思議」である。薬局から受け取る領収書に付属する代金の内訳を見ると、薬そのものよりも、棚から出して袋の中に入れて患者に手渡すだけの部分に大きなコストが計算されているからである。

 

個人情報を抜き取られる可能性もあるが、その不思議に思う部分を書く。3日前に病院へ行き、薬局から投薬を受けた。その代金のうち、薬剤料は35%以下であった。その他の名目は、調剤技術と薬学管理である。調剤技術とは、棚からアルミ箔でパックされた錠剤を取り出して、必要量を数え袋に入れることである。薬学管理とは、恐らく投薬量が適正範囲にあるかどうかをチェックする位のことだろう。(補足1)それだけで、何故2000円を越える金が必要なのか、さっぱりわからない。

 

勿論、複数の病院に掛かり複数の薬袋を貰う場合、薬手帳から同時服用の危険性を指摘することなどもあるかもしれない。しかし、その危険性があるのなら、それは本来処方箋を書く段階でチェックすべきことだろう。

 

将来的には、医薬管理ソフトを開発して、自動的に医師の前のパソコン画面に出すようにすべきことである。データ入力が大変だが、原理的には極めて簡単なソフトだろう。現在でも、たまに微妙な問題が生じるのなら、病院内で薬剤師と医師の間で打ち合わせをすべきことである。

 

 

2)医薬分業の不思議

 

上記薬剤医薬分業は最初占領軍により導入されたとウィキペディアには書かれている。大分前のことになるが、その医薬分業が行政に取り入れられ、病院内での投薬はほとんど無くなった。その代わり現れたのが、病院の門前にある薬局である。

 

当時、医師による過剰な投薬を防止する意味があると言われて居たと記憶するが、門前薬局で投薬を受けるのでは、そんな意味などないだろう。背後で収益が合算されることなど明々白々である。不利益を被ったのは患者だけである。それまでは病院内で受け取っていた薬を、門を出て再び受付に処方箋を出して待たなければならない。別の薬局に日時を改めて行くのはもっと面倒である。

 

時間の浪費の上に、処方箋発行料、調剤技術料、薬学管理料などの項目別のどこかで、医療費が増加しただけではないのか。それは、数時間前に投稿した記事にあるように、健保組合の財務内容も悪くするだろう。

 

一般に分業は、一つの仕事を二つ以上に専門分けすることである。対話に乏しい文化の日本では、人々の意識改革(その為の文化的進化)が無いとつなぎ目のところで不都合を生じやすい。(補足2)しかし、この医薬分業の問題は、今後医師の仕事も薬剤師の仕事も合わせてAIの仕事となることにより、日本でも解消されるだろう。

 

ただ問題は、日本の大学教育のシステムがそれに追随していないことである。

 

3.日本の教育行政の不思議:

 

私が薬を受け取る薬局には、6−7人くらいの人が働いている。大半が薬剤師だとすると、人材の無駄使いではないのか? 数日前に薬を受け取った時、聞いた言葉は「この薬は安全ですから安心してください。筋肉が痛くなったなら中止してください」という言葉だけだった。それが上記薬学管理料の中身だろう。

 

その言葉で不安になった私は、帰宅後にネットで調べてみると、副作用として筋肉痛の他に便秘があると書かれている。そして、服用後2日後にネット記事の通り、便秘になり服用を中止した。次回までにもう一度、副作用を確認するつもりである。

それは兎も角、「6年の教育過程のなかで、薬学を学び、それを現在の仕事に生かしていると言えるか?」そう聞いてみたい気持ちで、毎回薬袋を受け取っている。

 

現在日本の大学の最難関学部は医学部である。その他の理系学部の難易度に大差はないが、大雑把に言ってその次にあるのが薬学部である。現在、薬学の知識量が増加した。しかし、上述のようにそれらは近い将来、パソコンのソフトに置き換えられ、大幅に集約化されるのではないのか。

 

それだけではない。医者の仕事も、様々な数値化或いは画像化された診断結果から、多分20年後くらいにはAIで代用可能になるだろう。そのような分野に、世間で言う秀才たちを集中的に割り当てるのは、民族(国家)としては愚策ではないのか。日本国にはそのような余裕は無い筈である。

 

優秀な人材を選び出して教育し、国家或いは民族の将来にとって必要な知的財産の蓄積が出来るようにしなければならないが、日本の教育機関はそのようには機能していない。そして日本の政治は、そのように日本国民を啓発する工夫を全く行って来なかった。

 

兎に角、日本にまともな政治などない。立法や司法も西欧の猿真似以上のものではない。その病根は、日本には哲学がないことである。日本では、philosophyを普通哲学と訳する。しかし、philosophyという単語の語源など、知らない人が殆どである。哲学の欠如、これが何時も到着する日本の弱点の原点である。

 

補足:

 

1)日本では、分かりにくい表現で請求しても誰も質問しない。日本は、政界だけでなく広く忖度の文化に染まっている。忖度の文化とは、対話の無い文化の別名である。その文化に付け込んで、訳の分からない項目で料金をとるのが日本の公的性質の強い機関の習慣である。しかし、窓口の人には聞きにくい。窓口の人が困る可能性が高いと感じる場合、質問できないのである。今は請求しない自治体も多くなったが、運転免許更新の際にとられていた交通安全協会費もその一つである。

 

2)ある一つの目的達成のために、専門分けして高度な手法を作り上げるのは、西欧文化の特徴である。その根源にあるのは、自然も無数の部品からなる複雑な機械だという認識であり、その思想の大元には、自然は神により創造されたとする創造神話がある。その思想から、自然科学が発展し、現代の機械技術文明に生み出された。科学、つまりscienceは、分けることを意味する。https://www.etymonline.com/search?q=science

 

在米のあるジャーナリストは「日本の生産性をダメにした5つの大問題について」という記事で、日本の会社に元気がないのは、西欧が専門分けして会社の運営を高度化した手法を、日本が上手く取り入れられなかったことだと指摘した。私はその記事に着目して、先月の記事で更に遡って、補足1)にあるように日本文化が対話の文化では無いことに原因があると指摘した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html