1)開かれた本来の米国と理想論(共産主義)で閉じられた中国との戦い

 

人間社会は、家族、大家族、地域集団、更には、国家やそれがつくる国際社会へと成長してきた。この成長は、もとの構造を包含する形で大きく複雑化する様式で進行した。そして現在でも、家族は依然として、もっとも小さな人間関係の単位であり、社会構造の単位でもある。

 

この成長の段階で、古い単位から、権利の一部が上部の組織に譲り渡され、それがその上部構造を造るための素材となった。欧州でのこの社会の組み上げは、構成要素である人間の権利とその主張の自由を出来るだけ確保する形で成された。(補足1)

 

その西欧型社会の枠組に挑戦する国として登場したのが中国である。この中国の本性を明らかにしたのは、トランプ外交の成果であると、伊藤貫氏は下の動画で教えている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12654696184.html

 

昨年中国共産党政府は、香港、ウイグル、チベット、内モンゴル等で、人民の権利と自由を蹂躙した。その中国政府の振る舞いに、民主主義の世界は揺れ続けている。尚、そこで侵害されたのは、基本的人権であり、西欧において、社会構造を造るために譲り渡された権利ではない。

 

これら二つの社会では、構成員個人が社会に返上した権利が、大きく異なる。つまり、①共産党支配の独裁的な国家を為す中国では、平時においても基本的人権はない。一方、②個人あるいは大衆に開かれた国家中枢を持つ米国など民主国では、国家非常事態宣言が出ても尚、基本的人権の返上は抑制的になされる。

 

②の形態の特徴は、国家がつくる国際社会にも同じモデルを採用する点であり、国際社会の形態やルールに関する議論は、弱小国を含めて多くの国に開かれている。「善意」を信じる人達であれば、弱小国でも国際社会の中で存在し得るという安心感がある。

 

しかし、①の中枢は独裁政権であるから、国際社会の秩序を論ずる際に、他の弱小国家には議論が開かれていない。つまり、中国共産党政権のさじ加減により、弱小国の運命が左右される。この中国という国家のDNAは、弱小国相手の所謂「借金漬け外交」、他国要人に対する性や金銭によるトラップ、更には、多くの国を相手になされる戦狼外交などで、最近より明確になった。(補足2)

 

この世界史的な混乱は、この中華文明と共産党独裁思想とで作られた社会構造と、それ以外の日本、韓国、台湾などを含む欧米型の社会構造との間の、東アジア(西太平洋)での、地球規模の人類社会再編のプロセスである。このことは、「人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか」と題して、昨年10月5日の本ブログで、一度議論した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12629638596.html

 

この争いの出発点は、政治と経済を分離して対中国外交を展開した、米国のニクソンとキッシンジャーの対中国政策:開放的な西欧文明が作り上げた繁栄する社会に、独裁的閉鎖的な共産党中国を、招き入れたことである。多数の羊が棲む牧場に幼い狼を敢えて招き入れたキッシンジャーの狙いは何なのか、人類への復讐なのか、聖書の予言の実現のためなのか?

 

共産党支配の中国と米国との密接な協力を、今だ主張するキッシンジャーという人物には、底知れない利己主義と恐怖を感じる。中国を巨大化してどこに導こうとしているのだろうか。バイデン政権が、この路線に戻らないことを期待したい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12667547842.html

 

ニクソンはその後「フランケンシュタインを育てたかも知れない」と気づいた。昨年8月に書いた文章において、その補足3に書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12617932531.html

 

 

2)開かれた社会とは何か?

 

ここで西欧が作った開かれた社会について少し書きたい。それは、米国を含め西欧社会も瞬間的には忘れることがあるので、注意が必要である。

 

開かれた社会とは、理想論を排する社会である。理想論に支配された社会は、彼らの理想以外の考え方を排除する。(補足3)人間の浅知恵では、理想モデルを立てても、何時かはその理想がとんでもない間違いに繋がる可能性が高い。

 

20世紀の共産主義がその典型である。勿論、開かれた社会では、21世紀後半?には共産主義の考えが必要になる可能性は残っているという主張も可能である。尚、理想論が社会を支配するとき頻繁に現れるのは、標語やポスター、短い言葉の繰り返しである。

 

それらは、民衆を洗脳するために用いられる。その段階では、その理想論を導き出した時の努力も経緯も忘れ去られ、それが宗教となって人を縛るのである。

 

一方、開かれた社会とは、理想を持たない社会であり、日々至らない部分を洗い出し、改良する社会である。そこで最重要なのは、事実の把握である。モデルは、足らない要素の洗い出しや、その改良とその戦略を立てる際に用いられる。

 

この開かれた社会を用いることで成功した実例を紹介したい。それは、科学の社会である。科学会では、最優先されるのは実験データである。ニュートンの法則やアインシュタインの理論も、完全なものとしては受け入れてはならない。全ての法則は仮説としての地位しかない。(補足4)

 

開かれた社会とは、文字通り反対論も受け入れて議論の対象にする社会である。そこで最高の地位があるのは、真実或いは事実である。開かれた社会の天敵は捏造や偽証、つまり嘘である。従って、政治的プロパガンダは、理想主義者の用いる手段であり、開かれた社会からそれを見れば極めて卑怯な政治手法である。言論の自由や学問の自由は、開かれた社会の鉄則である。

 

開かれた社会のもう一つの敵は無知である。「無知の知」は知を獲得する能力を言っているのであり、無知ではない。知と無知の区別にも関心がないのが、本当の無知であり、開かれた社会を無防備な社会とする。

 

3)健全な保守への期待:

 

 開かれた社会の主要なる政治思想は、所謂“保守”である。何故なら、保守は過去の歴史から学び、現在を考えるからである。故きを温ねて新しきを知る(温故知新)は、中国の論語の中にある有名な言葉である。それに加えて、新しい現象も良く観察して、政治に活かすべきである。

 

安易に理想論に走るのは、破滅の基である。カール・マルクスの言葉「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」は理想であるが、あまりにも安易な理想論である。人の欲望は無限であり、更に、その無限の欲望は、他人の権利侵害をも含むのである。

 

人は善良なる面を持つと同時に、邪悪な存在でもある。その人間の本質を深く考慮しない理想論は虚しい。日本社会は、中国同様本質としては、開かれた社会ではない。この点については今後議論したい。(14時20分;15:00編集あり)

 

補足:

 

1)この社会構築のモデルから、家族の崩壊を論じることも可能であると思う。つまり、社会の構造を、権利の返上という面から考えた場合、その様式は政治や経済、及びそのための人の行動様式などと密接に関係する。それらが国家の枠組みに影響するのなら、それは同時に家族にも影響する。

 

2)習近平政権になり、一帯一路構想やAIIBの設立などを経て、この中国の性質が明らかになった。中国はその社会構造に関して、欧米とは全くことなった思考の枠組みを持つことは、法輪功弾圧、ウイグルジェノサイド、南シナ海の岩礁の軍事基地化などで明らかである。自らの国際法無視を文化の違いだとして片付ける姿勢は、西欧文明に譲歩する姿勢がないことの表明である。

 

3)理想論とは、英語のidealismであり、頭の中での考え(思いつき)や論理のみで世界を論じることである。理想は、最上という意味ではなく、“頭で組み上げられた”くらいの意味。このアイデアルと理想的(=最高)の間の語感の違いは重要である。

 

4)ナノ(10億分の1)からサブナノメートル()の世界での電子の振舞に対する記述法を得たことが、近代科学技術の基礎となった。ほとんどの化学反応やナノの世界での物質の性質の説明は、量子力学を用いて始めて可能である。しかし、量子力学は直感的には理解が困難であり、言語上は矛盾を含む。それがアインシュタインが、量子力学の基本である確率波などの理論に強烈に反発した理由である。量子論の出発点が、アインシュタインが発見した光電効果だったことは、非常に教訓的である。言語は、我々の棲む巨視的世界を記述するには適切だが、ミクロの世界では通用しないのである。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74308?page=3 

この教訓は、巨大化した世界の社会構造を考える上でも重要である。人間に与えられたチャンスは、この開かれた社会という構想にこだわることにあると思う。

1)再びマスク拒否事件:

 

今朝のTVニュース(朝日系)で、千葉県のある食堂でのマスク拒否騒動が放送されていた。30代の男性が店員の要請にもかかわらずマスクを拒否して、トラブルになったのである。マスクをしてくださいという「お願い」が掲示されていたが、客のOさんは拒否したのである。

 

多分、店員のOさんへの要求は、他の客の要請に基づいて行われたのかもしれない。店員との口論の末、どちらからともなく暴力行為の応酬となり、警察が呼ばれることになったのである。

 

驚くことに、このOさんは、以前ピーチ航空機内でマスク着用を拒否してトラブルになった事件の当事者であった。その飛行機は、航路途中で着陸してOさんを下ろし、結局2時間ほど遅れて目的地に到着した。昨年9月のこの事件は、結局業務妨害か何かでOさんが起訴されたようだ。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/97284

 

この男性が関与したネット掲載のマスク騒動は、合計4回ほどあるというのも驚きだが、更に驚くのは、Oさんは、大阪の裕福な家庭の出身で、京都の名門私立の洛星高校から東大法学部に入学した“エリート”だったということである。https://newsmatomedia.com/okuno-junya

 

Oさんのマスク拒否の理由は、「マスク着用は店側の依願であり、自分には拒否する権利がある」である。その他に健康上の理由に言及したりしているが、それはどうも怪しいようだ。https://www.fnn.jp/articles/-/168006

 

このOさんが引き起こしたピーチ航空内での事件については、既に一度ブログに書いている。根本的な問題点はそこで書いている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12624090435.html

 

新たに一文書くことにしたのは、店側が簡単にこのような客を撃退する方法を示す為である。それは、店の前に「マスク着用に関しては、店員の指示に従うことを条件に、入店してください」との文章を掲示することである。

 

Oさんにマスクをしてもらいたいと店員が思ったときには、この掲示をOさんに思い出して貰えば良い。その指示に従わなければ、契約違反にあたると言えば、すぐに退去するだろう。この男は、論理を翳してマスク拒否をしているのだから、撃退も論理的に行えば良い。

 

2)日本の病根との関連:

 

日本の社会に欠けているのは、「日本は法治国家であり、社会のルールは法と論理に基づいて作られている」という認識であり、その教育である。つまり、個人が社会に出て(家庭外で)行う全ての行為は、法により裏付けられているのだ。

 

買物も、食事も、法的には契約行為である。契約書はいちいち交換していないが、ラーメンを店で食べる行為、お金を支払う行為は、食物の売買やサービスの提供に関する契約行為である。そのことを学校で教育していない。

 

契約には条件があるのが常である。つまり、(繰り返しになるが)飲食店は、マスク着用をお願いとしてではなく、契約の条件として店の前に掲示すれば、このようなトラブルを防ぐ事が可能である。Oさんは東大法学部を出ているのだから、このようなトラブルの際にその契約の事実を指摘すれば、すぐに退散する筈である。

 

因みに、私はこのブログ・サイトで、日本社会のいい加減さについてはいろいろ書いてきた。「日本の病根」の項目中の記事をご覧いただきたい。

 

その第一が、国家の基本法の体をなしていない憲法である。第9条の2も大問題だが、その他にも、非常事態宣言の項目がないことも欠陥の一つである。(補足1)そのため、新型コロナの強力な防疫体制が、個人の権利侵害を含むかたちでなかなかとれない。(補足2)https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12587503729.html

 

日本は明治以来、西欧のマネをして、社会を構築してきた。出来るだけ多くの個人が、社会(国家)のモデルを原点から論理的に構成し持つことが、日本の近代文明を西欧の猿真似に終わらさないためには必要だろう。

 

因みに中国は、西欧文化を無視している。オリジナルな論理で脱西欧歴史&文化を主張している。(補足3)その恐ろしさに気づかず、憲法9条第二項をありがたがっているのは、日本人のほとんどが、原点から国家とその役割を考えていないからである。

 

終わりに: 私は、法律は素人である。何故、このような文章を書くことになるのか、自分でも非常に不可解に思う。

 

補足:

 

1)非常事態宣言が出来ないことの背景に、日本は国軍を持たないことがある。非常事態宣言の次にあるのは、戦時体制やその他の理由による軍政への移行である。

 

2)勿論、法律を制定して、マスク着用を義務化することは可能である。しかし、その憲法上の根拠は、「個人の自由は、公共の福祉の妨げにならない範囲で主張できる」(正確な文章ではありません)という部分であり、非常事態宣言の下での強制のような、国家による強い権力行使は出来ない。つまり、マスク着用を強要する場合、国家権力側が「感染もしていないひとでも、マスク着用を拒否することが、公共の福祉に反する」という根拠を示す必要がある。

 

3)この中国の姿勢と米国の「キャンセルカルチャー」の動きに連携があるかもしれない。これは近代西欧文明の危機である。

 

(12:45、補足2を修正)

1)真実の言葉が消えた世界

 

今の世界には、真実を照らす光はない。知性ある個人は、強烈なフラッシュ光の中に蠕く何者かを見ながら、物陰に身を隠して、何が真実で何が幻影かを考え込む。

 

そして思い当たるのは、この世界には三の巨大な存在があり、現在それらが三つ巴を為しているということである。その世界は単純ではなく渦をなし、その中で真実は正当な概念としての地位を得る根拠を失っている。何故なら、真実とは正邪二者の対立の中での概念であり、三つ巴の世界で真実を探し出すには、世界を対立の図式に戻さなくてはならない。

 

つまり、我々は三つ巴の世界を生きるための高効率の言葉を持たない。それらは、「一党独裁国家、株式会社、民主主義国家」の三つである。これらが創る三つ巴の世界での、分かりやすい“価値座標(価値ベクトル)”は、何通りか存在するかもしれない。(補足1)その一つは、「正と邪とお金」だろう。「お金」という新たな価値基準が社会に誕生する前に、我々の言葉の骨格は出来上がっていたのだろう。その結果、「お金」を上手く組み込んだ言葉が出来なかった。(補足2)

 

新たな次元(お金)の出現により、我々は二次元の価値空間の世界に生きることになった。「敵と味方」つまり「正と邪」だけではなく、「富と貧困」を同時に考えなくてはならなくなったのである。(図参照)繰り返しになるが、その思考に、現在の言葉は上手く出来上がっていないのである。

 

何とか考え出した別の価値軸の言葉が、「冨と貧」であり「清貧と貪欲」の対などである。これらは、ほとんどお金の「プラスとマイナス」のベクトルに一致するようであるがそうではない。何故なら、貧や清貧には「正」が、冨や貪欲には「悪」が混入している。

 

実際、このお金の座標を無理やり「正と悪」に一致させた考えもある。この事実そのものが、我々の言葉が「お金」という新しい独立座標に対応していないことを証明している。

 

 

2)世界の混乱の中心は米国の政治にある

 

現在の世界政治の混乱を、米国と中国共産党の国との対立の所為だと見る人は多いだろうが、それは間違いである。その渦の現場は、米国である。米国が中国共産党に強く影響されたメディアや政界などから、「お金」という次元を副次的として独立座標から排除したとき、米国の政治は本来の保守と革新を取り戻し、真実が復権するだろう。

 

つまり、もし民主国家の米国が、株式会社(金融資本)を下位の存在として抱き込む事ができれば、正邪の世界は復活し、真実も復権するだろう。(図参照)歴史は、そのような価値をめぐる戦いとして記録されてきたと思う。

 

ここで、保守と革新は、共存不可能な対立関係ではなく、議論ののちに止揚を経て共存するための関係である。(補足3)

 

その正常な動きを邪魔するのが、株式会社の中の金融亡者達や、その手先となっている昨日言及したユダヤ系の老人である。世界を悪の海と考えれば、お金は人々を救う唯一のボートなのかもしれない。しかし、その海を満たしているのは、人類のココロなのだから、人類など滅亡した方が神の正義に叶うことになる。我々日本人は、そのような神話の巻き添えとなってはならない。

 

この小文は、後に整理してまともな文章にしたい。しかし、現在、その余裕がないので、差し当たりこのアイデア段階で、ブログ記事とする。

 

 

補足:

 

1)空間での位置を表すのに必要なベクトルの数を次元という。正と邪の世界は、一次元の世界である。我々の言葉は、敵の中で生き残ることを目的に、同じ種族の中での意思疎通の為に作られたと考えられる。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482529650.html

そして、敵に向かって力の分散を最低限にするため、味方(正)と敵(邪)のいち次元空間を想定して、言葉ができたのだろう。

 

2)言葉は、自分の位置を相手に伝達する一つの方法である。従って、言葉はほとんど対立概念のセットで出来上がっている。二つの対立概念のセットを同時に言葉とすることは、むつかしい。つまり、現在直面する問題を、正邪とお金(経済)という二次元の概念空間で問題を分解して考察することは、困難である。日韓の慰安婦問題などうんざりするのは、恐らくこの種の二次元の問題だからだろう。

 

3)弁証法のテーゼとアンチテーゼの関係である。自然界にも似た関係は多い。化学専攻の方なら、ベンゼンなどの芳香族化合物の電子構造を表すケキュレ構造を思い出す人が多いだろう。

(12:00、12:15かなりの編集)