1)ダボス会議:

 

機能不全気味の国連の外で、国際問題を議論する有力な場が幾つか存在する。例えば、ビルダーバーグ会議や国際経済フォーラム(WEF)の主催するダボス会議がある。WEFはローマクラブと同じく、スイスが発祥の地である。

 

ダボス会議は、WEFが招待した政治経済の世界的人物の他、芸能、スポーツなど、多分野からの2500人ほど集めて、通常毎年1月にスイスのダボスで、地球規模の問題を設定して議論する。参加者はWEFが自己都合で選定する。

 

今年はパンデミックを理由に5月に延期され、会場もシンガポールに変更された。1月下旬にはネット会議の形式で、世界の首脳の「ダボス対話」があったようだ。25日には、中国の習近平総書記のスピーチがあり注目された。(補足1)https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/12/9394cbf09e15b6db.html

 

ダボス会議は、世界の指導者に世界政治や経済の方向を議論させる場を与えている。ただ、その議題は、前年の11月のWEFの「グローバル・アジェンダ・カウンシル(GAC)」の会合で決められる。GACの詳細はWEFのホームページには明示されていない。

 

2021年の年次総会のテーマは、パンデミック(世界的大流行)後の世界の再建に関する「グレート・リセット」だという。(グレート・リセットについては次回書きます)

 

 

2)世界経済フォーラムについて:

 

ダボス会議という名前は日本でも有名なので、そこから文章をスタートしたが、本来はその主催機関である世界経済フォーラム(WEF)の説明から始めるべきだったかもしれない。ダボス会議が花なら、WEFはそれを育てる草木であり、本体である。

 

WEFを知るには、そのHPを読むのが良い。https://www.weforum.org/about/world-economic-forum その日本語版は、上記からプルダウンで出てくる。WEFの評議員に、菅政権のアドバイザーの竹中平蔵氏が存在していることに注目すべきである。

 

そこのミッションのところに、The World Economic Forum is the International Organization for Public-Private Cooperation. と書かれている。日本語のページでは、「世界経済フォーラム(World Economic Forum)は、官民両セクターの協力を通じて世界情勢の改善に取り組む国際機関です」と訳されている。

 

官民協力は(Public-Private CooperationPublicGovernmentalは同じではないが、非常に近い)政府の仕事であり、国際機関が割り込むことには大きな違和感を感じる。菅政権がカーボン・ニュートラルを言い出したことと、WEF役員として竹中平蔵氏が居ることを考えると、菅政権は、WEFに中心的政治課題を委ねているようにも見える。尚、菅氏と竹中氏の関係は、以下のページなど数多く報道されている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/06b7db31f160c7b6a6aff38274d476cc9d69ac90

 

スウェーデンの環境問題の活動家であるグレタさんも、ダボス会議の重要な講演者として活動していることも印象的である。カーボンニュートラルは、WEFのメインテーマの一つである。

 

WEFのミッションとして記した文章は、WEFは世界政府が出来たとき、その行政部門を担うことを考えていると読むことが可能である。つまり、主権国家の内政に干渉する可能性のあることをミッションにしているのである。尚、WEFは国際連合の経済社会理事会のオブザーバーの地位を有し、スイス連邦政府の監督下にあるということである。(ウィキペディア)

 

WEFは、「特定の利害と結びつくことのない、独立した公正な組織です」とあるが、ダボス会議の他に、「イノベーション、科学、およびテクノロジーについての年次総会」を中国で開催している。役員(評議員)の中に含まれる中国系人物は、ヨーヨーマ(チェリスト、米国籍)だけであるが、中国を活動の一つの重要域(拠点または対象)としており、今後の姿勢に注目すべきである。

 

共産党一党独裁という特殊な政治形態を持ち、人権弾圧を当然のこととして行っている国において、毎年大きなイベントを開催する団体が、「特定な利害と結びつくことのない独立した公正な組織」と言えるだろうか? 

 

3)WEFのメンバーについて:

 

WEFへの参加者として、政治や経済だけでなくスポーツ界や芸能界などからも著名人を集めている。また毎年、ヤング・グローバル・リーダー(YGL) という「賞」を数十名程度に授与して、WEFの協力員とし、ダボス会議に参加する「栄誉」を与えている。これらのことは、WEFの活動の幅広い層への宣伝を通して、長期に亘るWEFの維持成長と世界の変革を綿密に計画している事を意味していると思う。

 

YGLの一人に選ばれた齋藤 ウイリアム浩幸氏によれば、日本以外の国々では、YGLに選ばれるということは、たとえば「ウォール・ストリート・ジャーナル」や「チャイナタイムズ」でフロントページを飾るニュースだという。そして、名刺に「YGL」と書くのはひとつのステータスになっているというのだ。

 

多くの欧米メディアも、WEFに特別の配慮をしているようである。若干深読にすぎるかも知れないが、若い有能な人を選び、マスメディアと連携して高いステイタスを意識させ、ダボス会議のアジェンダを各地で広報をさせるためだと思う。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41784?page=2

 

更に、ストラテジック・パートナーと呼ばれる、グローバル企業100社も選定して、WEFの目標達成に協力させようとしている。それらの企業も、背後にあるかもしれない巨大な力と、それらと関係するマーケットを考えて参加しているのだろう。(補足2)

 

一人の大学教授の主催する私的な団体としてスタートした事になっているが、スイス政府がバックアップしているので、米中中心の経済的グローバリズムを超えた巨大な政治的グローバリズムを目指しているように感じる。

 

主権国家体制を国際関係の中で最善だと考える者にとって、何やら胡散臭い感じがする組織であり、会議である。実際、今年のダボス会議にはトランプ前米国大統領は招待しないと明言している。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-01-24/QNFQ9ADWLU6A01

 

ダボス会議は、今年「グローバル・リセット」なる言葉を、参加者やメディアを利用して喧伝し、何となく世界の近未来のあり方として世論を誘導しようとしているようだ。今年のアジェンダ:グローバルリセット及びステークホルダー資本主義については、次回考えをまとめる予定である。

(13:50 日本語修正)

 

補足:

 

1)習近平はスピーチのなかで、国際法と国際的なルールを重視することが極めて重要だとし、「対立はわれわれを袋小路に陥れる」と指摘した。新型コロナウイルスのパンデミックから世界経済の回復を協力して目指すべく、再び互いを尊重し合うよう訴えた様だ。相手としては勿論米国を念頭に置いている。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-01-25/QNHP0VDWRGG101

 

2)スイスはオフショアのプライベート・バンキングで世界一である。スイスの銀行は堅く秘密を保持することが人気の理由のひとつだろう。つまり、スイスには恐らく中国を含めて世界の富豪が資産を預けており、それらの富豪の政治的思想が、WEFに影を落とす可能性があると思う。

 

1)社会の発展の歴史と社会の隙間を拡大して支配を目指す民族:

 

人は社会を形成し、互いに助け合うことで生きている。その“助け合い”を金銭の授受を介する経済行為として、円滑且つ合理的に行うのが貨幣経済の社会である。貨幣によるサービスの授受は、心理的圧迫を感じないので、情を基礎とする共同体のウェットな関係からの開放という利点もある。しかし、人間関係の希薄化や、共同体としての自覚の喪失などの危険性を孕む。貨幣経済の社会は、金銭関係のトラブルを避けるためもあって、その後「法と契約の社会」に進化した。(補足1)

 

近代化の歴史は、社会を「共同体型」から“法と契約”による「機能体型」に変換することと理解できる。民主主義の国なら、機能体である国家の本来の目的は、国民の安全と福祉の向上である。しかし、民主主義が衆愚政治に堕する現状では、その目的は短期間に支配層の利益に置き換わる。(補足2)

 

支配層は、国民と政治の間に介在するものにより決定される。その介在するものとは、国内外の大資本家とその集まりや外国の諜報活動などにより仕組まれた、政治家への利益供与(私的利益や選挙資金)や工作活動などである。“法と契約の人間関係”の社会において、血液の様に流通するのが、お金なので、政治における支配者の実態などを知るには、目や耳で得る情報よりも、お金の流れ(その額と方向)に関する情報の方が頼りになるだろう。

 

この情の支配から金銭の支配への社会の変革は、米国で最も進んでいる。それは、既存の共同体に入りにくい離散の民が、英国やヨーロッパから米国に移住して、全米を金融で支配した結果である。このユダヤの民の英米における活躍に関して、東住吉教会の高原氏が、同志社大における講演で解説している。異なった視点からではあるが、非常にがわかりやすく参考になる。https://www.youtube.com/watch?v=n2WzaNFKP80 

 

このマイノリティである民族が、マイノリティーの権利拡大の要求を掲げて米国を支配し、その後米国を中心に世界支配を目指す思想がグローバリズムである。一つの地域でマジョリティに属した人でも、グローバルに活動する時、大半の時間をマイノリティとして生活することになるので、マイノリティの権利が大幅に拡大できれば、経済活動において、そして続いて政治において、国境の壁は徐々に意味を失うだろう。

 

尚、この法と契約の社会から最も遠いのが、日本の伝統社会である。近代社会となっても、例えば、会社員は会社というコミュニティの一員であり、その中の一つのセクションも、一つの共同体的性質を帯びる。入社式は、その会社の一員として共同体に参加するための儀式であり、アフター5の飲み会も会社の延長上にある。この世界の時代の流れに取り残されたのが、経済低迷の原因である。(補足3)

 

2)マイノリティの権利拡大から世界支配の戦略

 

その一方、金銭を媒介とした法と契約の社会では、人情の希薄化と荒む社会いう基本的問題を孕む。その共同体を破壊する現在の資本主義社会の危険性は、クラシックな課題だった。日本でも「家族という病」という本を書いた人がいる。本末転倒を正常だと信じる病的な頭脳の人の著作である。

 

上記離散の民は、個人の間に隙間を生じた“法と契約の社会”がむしろ棲みやすい。彼らの一流の知恵が、米国の政治を支配するために用いたプロパガンダが、マイノリティーの権利拡大であり、ポリティカル・コレクトネスであった。(補足4)

 

個人の尊厳を保ちながら、互いに協力するのが民主社会のあり方であるが、それには所得の再配分が必要である。しかし、上記グローバリストたちは、資本の論理を前面に出して、民主社会の本来の目標を放棄し、自分たちの世界戦略を優先している様に見える。米国のマジョリティにとっては政治の歪曲である。それは、金融資産の偏在の結果であり、且つ原因でもある。(補足5)

 

金融資産を資本の論理のままにして制限を設けなければ、巨大化した金融資本は人間社会を支配するようになる。現在、グローバリスト (固有名詞)の目指しているのは、金融資本(儲け)を最大化するという(微分)方程式で動く機能社会である。それは高度な社会を実現しつつあるが、人間社会の本来あるべき共同体という基本を無視する社会となっている。(補足6)

 

その結果として生じた金融独裁国家は、共産主義独裁国家と同様、非人間的国家の典型である。前者を米国が代表し、後者を中国共産党政権が代表する。今回の米国での大統領選は、人間的国家を目指したトランプ政権を、民主党やSES(上級執行官)を操る金融資本が違法選挙で潰すという手法で、民主国家への回帰を妨害した。独裁国家では、三権分立や法治の原則などは存在しない。

 

3)終わりに:

 

なかなかグレート・リセットの議論に進まないが、今回ここで終わる。

一言でグレート・リセットを評価すれば、グローバリストの新た戦略に過ぎない。しかし、同じグローバリストであるが、習近平とジョージ・ソロスで対立が生じている。https://www.nikkei.com/article/DGXKZO56076600W0A220C2TCT000 この対立は、本物なのか出来レース的なものなのかわからない。何れにしても、次期米国政権には、トランプではなくポンペオの就任が反グローバリストにとっては、最高のシナリオだろう。

(18:00 表題変更; 一部編集;翌朝数カ所、日本語の修正あり)

 

補足:

 

1)現在では共同体として最後に残る夫婦関係や親子関係までもが、法と契約によって規定され、機能体社会に組み込まれる。米国では子の進学費用は、子の自己負担となっているし、最近では同性間の結婚も法により認められている。

 

2)インターネットの時代になり、政治が専門家だけのものではなくなった。そこに、民主主義が衆愚政治から脱する可能性がある。それをいち早く危惧したのが、米国のブレジンスキーである。つまり、ユダヤ人脈による米国の支配を脅かすのは、インターネットをメディアとする真の民主主義の出現である。トランプはそれに注目して、国民との直接的対話を目指した。フェイスブックやツイッターがそれを妨害したことは、重大な反民主主義的行動である。

 

3)日本が法と契約の社会に最も遠い先進国であることは、日本の経済低迷とかんけいしている。このことは昨年「日本の生産性をダメにした5つの大問題について」と題する記事として書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html

 

4)現在の国家は、複数の共同体を束ねて一つの共同体とするプロセスを、複数回繰り返して出来た。その共同体の融合には、強圧的な方法(非民主国)もあるが、民主国では新しい理念の創生を必要とする。日本の場合は、天皇が果たした役割が大きい。米国の場合は、独立のときの統合の理念がある。その共同体としての国家に、故意にマイノリティとマジョリティという形で分断線を組み込むのは、国家の転覆の危険を犯す卑怯なやり方である。

 尚、ユダヤ資本家が日本に憎しみを持つ原因が長い間わからなかった。第二次大戦時など、関東軍の一部跳ね返り(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516004.html)を除いて、最もユダヤ人に優しかったのは日本であった。それにも拘らず、何故ユダヤ資本家が日本を憎むのか。勿論、桂ハリマン協定の破棄など、満州利権も一つの原因だろうが、本当の原因は、彼らの持たない“人類のふるさと”的共同体を、未だ日本が持つからだろう。

 

5)私の定義では、善悪とは共同体社会の言葉である。人間社会のあり方は、共同体の善悪を維持した機能体である。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12647466031.html 

 

6)その米国金融資本が利益を最大化するために作り上げたテーマは、脱炭素或いはグリーン・ニューディールである。

最近閲覧があった記事で再録が適当だと判断したものです。2016/1/31に投稿したものです。

 

1)1月30日のNHK教育テレビで五木寛之さんの対談番組があった。そこで、戦争直後平壌から引き上げるときの一家の様子を話しておられた。それはご本人の口から話すことができるまでに、長い期間を要すると思われる残酷な光景だった。その後間も無く亡くなられたお母さんを除いて、一家は日本に引き上げて来た。
 
「悪人ほど、日本にたどり着き生き残ることが出来たのだ」という五木さんの言葉は知っていた。しかしその詳細は知らなかった。ソ連兵が家に踏み込んできたときのことを、その番組で初めて聞いた。彼らの姿は、ほとんど野獣のそれであり人間のものではない。
 
韓国側の米軍難民キャンプにたどり着くまでの詳細は、読売新聞のサイトに五木さんからの聞き取りを纏めた形で掲載されている。http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150804-OYT8T50215.html
しかし、そこには病床の母親がソ連兵に踏みつけられた時に血を吐き、気味悪く思ったソ連兵が布団ごと外に投げつけたことは、書かれていない。(追補1)
 
収容所に入れられ悲惨な生活を送る中、長男の五木さんはソ連軍の宿舎で仕事をもらい、食料を少しもらうことで生き延びた。ソ連兵との共存という悲惨な環境は、収容所に入れられた日本人も非情な姿に変えた(補足1)。
 
一家(父親、長男である五木さん、を含め4人)は、一年ほどして38度線を越えることが出来、米軍の難民キャンプにたどり着いたのは1946年の秋である。その間の出来事を一言で集約すれば、まさに「悪人ほど生き残る」であった。
 
2)今回の主題は、「人はどこまで残酷になり得るか」である。「悪人ほど生き残る」という五木さんの言葉を突き詰めると、私は、「人間は全て野獣と同じ状態になり得る」と思う。一定の豊かさごとに、善という衣を“野性の心”に着けていくが、その生命を保障する豊かさがなくなると、元の野性に戻るのだと思う。ただ、不器用な人や決断力の鈍い人は、その生命の保障が無くなったことに気付くのが遅れ、その衣を脱ぎ捨てる前に、一歩先んじた人間に滅ぼされるのだと思う。
 
豊かになり生命の危険がなくなると、一枚一枚その善の衣を着る。しかし、その衣の中には依然として野獣としてのヒトが存在するのである。ヒトが人間と呼ばれ、人と人の間に共有する温かい空間を作るのは、野獣とは異なる人の(本質ではなく)習性に過ぎない。

 

その善の衣を着た姿を見て、自分の姿だと信じるのは、善と悪を知る為にそう信じたいからだろう。アダムが”善悪を知る木の実”(普通、知恵の木の実というが、それは正しくない)を食べて、自分の裸の姿を恥じたのは、まさにこのことを言っているのだと思う。
 
歴史上にはいくらでも野獣と化した人の姿がある。過去の戦争の際、阿鼻叫喚の地獄と化したところは、数え切れないだろう。人はそれから目を逸らすのは、自分の裸の姿から目を逸らすことである。つまり、アダムの子孫だということである。自分はそのような悪人ではないし、悪はなさないと主張する人は、単に無知か厚顔なだけである。
 
 
補足:
1)その光景は、最近読んだ「大地の子」の中のある光景と全く同じであった。「大地の子」の主人公の在留日本孤児と養父母とが、国民党支配の長春が包囲された際、解放軍支配のチャーツ(関門)が開くのを待つまでの光景である。共産党軍はチャーツをなかなか開こうとせず、中立地帯は地獄の様相を示す。長春では結局15万人が餓死するのである。
追補:
1)この時のことは、今日買った本「運命の足跡」(幻冬社、2003;15-24頁)に書かれていました。
2)補足への追補:チャーツでの悲惨な出来事を引用する場合、遠藤誉さんの著書「チャーズ」に言及すべきだと思います。いつか読みたいと思っています。